Sー14話 バレンタイン
由利さんと結菜を対面させた次の日から、俺、俊司、慎のところに由利さんの「おはよう」メールが届くようになった。俊司と慎はそのことを喜んで、今まで落ち込んでいたのがウソのように回復していった。さすが、妖艶な大人の美女からのメールは高校生男子への影響が大きいな。
慎と俊司の2人の心を癒すには、時間が経つのを待つしかないと思っていたけど、これは嬉しい誤算だ。
今日は、バレンタインデー。この前、バイト先で働いていた俺に、由利さんが「弟くん達に」と優しく微笑んで、市販の高価なバレンタインチョコを買ってきてくれた。そして俺に紙袋を渡す。深々とお辞儀をして、由利さんにお礼を言って、チョコを受け取って、家の冷蔵庫に保管していた。
俺は由利さんからの紙袋をママチャリの籠に乗せて、結菜のマンションまで迎えにいく。ママチャリを地下駐車場に止めて、いつものように結菜と寄り添って学校までの道を歩く。
校門前には多くの生徒達が集まってきているけど、男子も女子もバレンタインデーの話で盛り上がっている。学生達はそれぞれの思惑を心の中に隠して、校門を潜って、それぞれの教室へ向かう。
去年までの俺だったら、バレンタインデーを「呪われた日」と呼び、こんな日を作った、チョコレート会社へ1日中、呪いの言葉を吐いていただろう。今日はモテない男子の裁きの日なのだから。
今年の俺は違うぜ。結菜と凛からのバレンタインチョコがもらえることは、ほぼ100%決まっている。今年の俺は勝者だ。生まれて初めて、バレンタインデーを征した俺は、余裕の笑みで教室へ入っていく。
すると慎と俊司の2人は、黒い瘴気のようなオーラをまとわせて、バレンタインデー敗者の匂いを漂わせて、自分達の席に座っていた。これが去年までの俺か。敗者にかける言葉はないな。無残すぎる。
俺は慎と俊司の席に行って「これ、由利さんからのバレンタインデーチョコ。喜んで、ありがたく受け取れ」と言って、机の上に紙袋を置く。すると枯れかけて黒ずんでいたバラが聖水をもらって、一気に生き返り、生命力を取り戻すように、俊司と慎の黒い瘴気はおさまり、紙袋を見る目に光が戻り、俊司などは「バレンタインが俺に来たー」と大声で叫んでいる。
2人がダークサイドに飲み込まれる前に由利さんのチョコを渡せてよかった。由利さんは俊司と慎の心の恩人だ。由利さんはやっぱり優しい、最高のお姉ちゃんだ。
俊司が立ち上がり、いきなり真剣に俺を見つめる。そして俺を指さして宣言をする。
「俺はこの間から悩んでいたんだ。悩んだ末に結論がでた。俺は由利さんが好きだ。でも大人の由利さんが、俺みたいな高校生を相手にしてくれるはずがない。だから俺は、自分で世界を旅にできるようになったら、旅に出る。そして由利姉ちゃんを超える黄金律のプロポーションを持った外国の女性と結婚をする。そして俺は幸せに暮らす。それが俺の夢と希望と計画だ」
こいつ何を言ってんだ。朝からぶっ壊れてるな。
「俺は海外に行って、幸せに暮らす。日本で暮らしていく慎や宗太とはお別れだ。これで腐れ縁トリオも解消だ。お前と慎がいると、俺の美女がいつお前達に取られるかわからない。だからお前達との腐れ縁を切って、お前達から俺の美女を守る。結衣とも一緒に皆で昼休憩にお弁当食べやがって。宗太、お前は1番、危ない俺の敵だ」
はぁ、何を朝から言ってるんだ。神楽の時も応援してやっただろう。樹海の時も助けに行ってやったのは俺達だぞ。どんな頭の回転をしてたら、俺が敵になるんだ?それに俺には結菜と凛がいるんだぞ。お前のことなど構っている余裕なんてあるか。縁を切りたければ勝手に切れ。
「世界中のボン・キュ・ボンのスタイルの良い女性達が俺が来るのを待っている。早く行って、最高の女性と一生を暮らすんだ。その時には、行方不明になるかもしれないが、絶対に俺を探すな。俺の幸せを邪魔するな。俺は由利さんを超える美女をゲットして見せる」
あー、これは完全に本気の目だ。止めてもダメな目だ。完全に頭が妄想の世界へ行ってる。それにしても、俊司の巨乳への愛がこれほど深いとは思わなかった。由利さんも神楽も相当に胸がでかい。それで満足できずに海外まで行こうとする俊司の野望のすごさに、正直、呆れて言葉もでない。まー頑張ってくれ、俊司。
俊司は机に座ると、旅行会社から持っていたのだろう。沢山の外国のパンフレットを出して、自分がどこの国にいくのか、計画しているようだ。他にもリオのカーニバルの写真が多く載っている雑誌も買っている。
日本人女性にモテないから、海外へというのは、ちょっと幼稚な発想だとは思うが、俊司らしいと思う。俺は俊司を放っておくことにした。まさか本気で海外に旅立った時は、心の中でお祝いを言ってやろう。
慎は冷ややかな目で俊司を一瞥して「いってらっしゃーい」と手を振って、興味も持っていないようだ。
俺が自分の席に座ると、後ろの席に座っている結菜が俺の背中をチョンチョンと突いてくる。俺が結菜のほうへ座りなおすと、結菜がフニャリとした笑顔で紙袋を持っていた。
「これ、瑞穂お姉ちゃんから、宗太へのバレンタインだって。今年の瑞穂お姉ちゃんはすごかったんだよ。初めて、手作りチョコに挑戦したんだから。大きなハートマークのチョコまで作ってた。いったい誰に本命チョコを渡すんだろうね。宗太のチョコは義理チョコって言ってたから。別に渡す男性がいるんだろうね。瑞穂お姉ちゃんに聞いたら、顔を耳まで真っ赤にして俯いて、照れていたから、桜木さんだと思うんだけど。桜木さんなら私も大歓迎」
俺は微妙な気持ちだよ。桜木さんは良い人だ。それはわかってる。でも瑞穂姉ちゃんは俺一人のお姉ちゃんだったのに、段々と桜木さんに取られていってるようで、嬉しくない。2人を歓迎したい気持ちと、桜木さん、あっち行けという気持ちの2つの心が芽生える。
「宗太も瑞穂お姉ちゃんが幸せになろうとしてるんだから、もっと歓迎してあげないとダメなんだからね。宗太には私がいるし、凛もいるし、瑞穂お姉ちゃんのことは素直に祝ってあげてね。桜木さんだって、仲良い、お兄さんみたいな存在だし。他の男性より、何倍も安心できるよ」
そう言われるとそうだ。確かに桜木さんは俺のお兄さん的な存在だ。だから応援してあげなくちゃ。瑞穂姉ちゃんも、あんなに美女なのに、毎年、独り身なのは可哀そうだ。結菜のいうとおり、素直に応援してあげよう。頑張れ、瑞穂姉ちゃん。頑張れ、桜木さん。
「瑞穂お姉ちゃん、ずいぶん、桜木さんのことを気にし始めてるから、宗太はからかうようなことを言うのは止めてね。変にへそを曲げられて、意固地になられても困るから、このことは宗太と私だけの秘密の話。だから瑞穂お姉ちゃんに言ったらダメだよ」
確かに変にからかうと瑞穂姉ちゃんの性格だと、絶対にへそを曲げて、意固地になる。最悪は桜木さんを振るかもしれない。ここは黙って、見守ることにしよう。俺も桜木さんに恨まれるようなことはしたくない。
あれだけ沢山、瑞穂姉ちゃんにフラれ続けても、頑張って追いかけ続けて良かったね。その桜木さんの粘り腰は尊敬に値する。本当に桜木さんにも幸せになってほしい。
きれいで優しくて可愛い面も沢山ある、モデルのような体形で、絶世の美女の瑞穂姉ちゃんが桜木さんと付き合うことに、弟気分な俺は妬けるけど、瑞穂姉ちゃんの本命なら仕方がない。2人を祝福しよう。
凛が教室に入ってきて、俺の隣の席に座って、清楚な笑みを浮かべて、俺と結菜に「おはようございます」と言う。凛が来るだけで回りの空気が清浄されたような雰囲気になる。
凛が紙袋を2つ机の上に置く。
「宗太には本命チョコを後から渡しますね。材料が余ったから黒沢くんと佐伯くんの分も作ってみました。もらってくれると嬉しいのだけれど、義理チョコでも受けとってくれるかしら?」
何ー!凛のチョコは俺だけのものだったはずなのに、慎と俊司にもお裾分けだと。そんなこと、俺が許さん。絶対に慎と俊司には渡したくない。俺は頬を膨らませプリプリと怒った顔をする。俺の顔を見て、結菜と凛が笑っている。
「凛の本命チョコは宗太のものなんだし、そんなに焼餅を妬かなくてもいいじゃない。黒沢と佐伯は義理チョコがないと生きていけないの。か弱い動物には優しくしないといけないんだよ。凛の優しい気持ちをわかってあげて」
結菜に頭をなでられて、優しく諭される。そして、俺は諦めて、凛と一緒に慎の席に行く。凛は慎に「おはよう。佐伯くん、チョコが余ったの。義理チョコでよかったら、もらってくれると嬉しいんだけど、いいかしら?」
慎は席を立って、姿勢を正して、両手を前に差し出して「喜んでお受けいたします。ありがとうございます」と頭を下げている。俺は慎の両手に凛が作った紙袋を置いた。慎はその紙袋を抱いて、歓迎したように体を震わせている。
それから俺達は俊司の席へ向かった。海外のパンフレットを読んでいた俊司が顔を上げる。そして凛と目が合うと、凛が「おはよう。黒沢くん、宗太がいつもお世話になってるから、私からの義理チョコをもらってくれるかしら?」と尋ねると、俊司は席から立ち上がり、ガッツポーズを決めて「「氷姫」から義理チョコもらったぞー」とクラス中に聞こえるような大声で自分の成果を叫んだ。聞いているこっちが恥ずかしい。
興奮して舞い上がっている俊司を放っておいて、俺は俊司の机の上に凛の紙袋を置いて、2人で自分達の席に戻った。
クラス中、凛が俊司と慎に義理チョコを渡したことで大騒ぎになった。俊司は机の上に足を乗せて、凛の紙袋を手に掲げて、「ひかえおろー」と叫んでいる。俊司の周りには大勢の男子が集まって「俺達に味見させてくれ」とゾンビ状態になっている。
慎の周りでも同じような状態だ。今は俺の2号として認知されているので、男子学生が凛に近寄ることはないが、凛の人気は依然として高いことが、これでわかった。無用な男子達から凛は俺が守る。俺は心の中でそう誓った。
俺達が自分の席で雑談をしていると神楽がやってきた。そして「おはよう」と笑顔で会釈する。俺達も「おはよう」と言い、結菜の隣に神楽を座らせる。
神楽は3つの紙袋と持っている。
「結菜、凛、九条くん、色々と今まで相談にのってくれてありがとう。それに仲間に入れてくれて、私、最近、すごく幸せ、3人にお礼がしたくてチョコを作ってきました。受け取ってくれると嬉しいな。」
神楽は俺達に紙袋を1つずつ渡していく。すると凛と結菜も神楽に渡すチョコを準備していたらしく、チョコの交換会となった。そして、神楽は結菜と抱き合い、凛と抱き合って、目から涙を浮かべて喜んでいる。結菜と凛も優しい眼差しで神楽を包み込み、神楽を抱きしめる。神楽が少しづつ元気になっているようで、俺も嬉しかった。神楽からもチョコをもらえるなんて、今年の俺は一味違うぜ。
神楽からチョコをもらっているところを俊司に見つかるとヤバいと思って、俊司のほうを見ると、俊司は「「氷姫」からの義理チョコー。由利さんからの義理チョコー。今年の俺は勝者だー」と叫んでいた。俺達のほうなど一切、見てない。そんなに凛からのチョコが嬉しかったのか。その姿を見て、俺は呆れた。
HRのチャイムが鳴り、教室の中にすずなちゃんが入ってきた。今日は妙に雰囲気が違う。妙にお淑やかに見えるというか、清楚に見えるというか、大人の色気が漂っているというか、いつものすずなちゃんではない。
「今日はバレンタインですが、学校内ではくれぐれもはめをはずさずにしてください。以上です。もうすぐ学期末テストなので、皆さん、勉学を頑張りましょう!」
今日のすずなちゃんはメイクがバッッチリとされていた。そのおかげで大人っぽく見えたんだな。普段より色気が溢れている。夜は必ず南さんにバレンタインチョコを渡して、デートをするに決まってる。すずなちゃんも教師と恋愛を両方を楽しんでいるようだ。すずなちゃんも可愛い色気のある女性になったなー。俺はつくづく感心した。すずなちゃんは教室から立ち去っていった。
午前中の授業があっという間に終わり、昼休憩のチャイムが鳴る。
俺と結菜と凛と神楽でお弁当を食べていると、栗本がゆっくりと歩いてきた。そして、とても落ち着きのある笑みを浮かべて俺達を見る。手には1つの大きな紙袋をさげていた。
「義理チョコだけど、九条には慎に失恋した時にお世話になったから、お礼が言いたくて、あの時はありがとう」
栗本が改まって、俺にお辞儀をした。そんなに礼儀正しくされると照れるから。もっとフランクでいいよ。
「これ、私が作ったバレンタインのチョコ。みんなで食べてくれると嬉しい。慎のことはもう吹っ切れたから安心して。私は大丈夫よ。ありがとう」
そう言って、大きな紙袋を俺に渡して、栗本は自分の席に戻っていった。その後ろ姿は颯爽としていた。
今年の俺のチョコの量がすごい。一生分のチョコをもらったような気がする。去年まで義理チョコ1つもらえず、バレンタインデーの日を「呪いの日」と思って暮らしてきた。クラスでもカーストの底辺にいた俺だけど、今年の俺は神がかってるな。今年だけの夢でないことを祈ろう。
「宗太、今年はよかったね。女子からバレンタインをもらえるなんて」
結菜がフニャリとした笑みを向け、凛が優しく微笑み、神楽がクスクスと笑っている。俺はその時、頬に一筋の涙を流している自分に気が付いた。俺は無意識のうちにそんなに喜んでいたのか。頬の涙を拭って「みんな、ありがとう」と笑って、お弁当を口の中へ放り込む。
お弁当を食べた後に、自販機でジュースを買ってきて、みんなからもらった栗本からもらった義理チョコを開けて、4人で食べる。ビターな感じのチョコの味で、みんなで美味しいと口の中へ運んでいく。そして栗本からの義理チョコがなくなったので、神楽からもらったチョコを皆で食べることにした。とても旨い。神楽も料理上手だな。
「最近の私、とても落ち着いてるの。それに以前よりも楽しい。九条くんに助けてもらってよかった。凛と結菜ともすごく仲良くなれて、とてもうれしい。これからもよろしくお願いします」
神楽は礼儀正しく、にっこりと笑う。、そんな可愛い様子を見て、凛も結菜も神楽に抱きついて、喜びあっている。神楽が元気になってよかった。高校3年生になっても、同じクラスになって一緒にお昼を食べたいな。
昼休憩が終わるチャイムが鳴った。今日は結菜と2人で屋上に行く時間はなかったけど、楽しいひと時を過ごせたので俺は十分に満足だ。結菜も満面の笑みを浮かべている。
午後の授業が終わり、HRも終え、放課後になった。クラスメイト達はそれぞれにバラバラに教室から出ていく。
凛が大きな手提げ袋を俺に手渡す。
「はい。宗太へのチョコ。特別性なのよ。私の手作りチョコレートケーキが入ってるから、家でゆっくりと味わってね」
「ありがとう、凛。俺のために時間かけて作ってくれて、本当に嬉しいよ」
凛は顔を赤く染めて、はにかんだ笑顔を見せる。
「宗太と高校3年生になったら、別々のクラスになるかもしれない。結菜とも。私はそのことが不安。3人で一緒にいたいわ。でも高校を卒業したら、私は結菜と宗太とは別の大学に進学することになると思うの」
少し凛が寂しげな表情で、憂いが彼女を包む。
「宗太からもらった指輪、私の大切な宝物。だから絶対に指から外さない。もし、将来、宗太以上に大好きな男性が現れたら、その時は私のフィアンセになってもらって、結婚しようと思ってる。私は今は宗太の2号だけど、宗太と結菜の恋を心から応援するわ。これからもよろしくね」
凛のいきなりの告白に戸惑う。日本の法律だと、嫁を2人持つことはできないもんな。凛はそのことをわかってるんだな。そしていつか俺から飛び立つことまで考えているんだろう。切ない想いをさせてゴメンな。
凛が2号である間は、凛のことも大切に想っていこう。そして将来、凛が羽ばたいていった時には、凛が幸せを掴めるように、心から祈ろう。
横で聞いていた、結菜が涙を流して、凛に抱きついて「凛、大好き。いつも一緒にいたい」とささやいた。凛も結菜を抱き寄せて「私も結菜のことが大好きよ。いつも一緒にいたいわ」と呟く。2人は長い間、抱き合っていた。
凛は「黒崎がリムジンで待っているので、これで帰ります。ごきげんよう」と言って教室から去っていった。
結菜と2人で学校を出て、いつもの帰り道を、ゆっくりと寄り添って歩く。そしていつもの小さな公園にさしかかった時、結菜が公園の中へ入って行く。夕日が公園の照らして、公園の玩具達の影が長く伸びる。
空からは小雪がちらほらと舞い降りてきた。小雪が舞い、夕日が照らす公園のベンチに2人で座って見つめあう。結菜が可愛いラッピングをして包装袋を俺に手渡す。結菜の手の温もりが暖かい。
「はい。宗太へバレンタインチョコだよ。もちろん本命チョコだからね。宗太、大好き。愛してる」
結菜の目がウルウルと潤んで、キラキラしている。可愛い。俺は思わず、結菜の体をギュッと抱きしめた。
「今、開けてみて!」
結菜がそういうので、可愛い包装袋から中の箱を取り出して、中を見ると、カップチョコケーキが入っていた。
「宗太のために一生懸命に愛をこめて作ったんだから、喜んで食べてね」
結菜は向日葵のような笑顔を俺に見せて、幸せそうに俺の肩に寄り添う。結菜のカップチョコケーキを食べるととても旨い。やっぱり結菜からもらったバレンタインチョコは特別だ。
俺は結菜からもらったカップチョコケーキの入った箱を、きちんと包装袋の中に入れる。
結菜と皆からもらったチョコも家に帰って大事に食べよう。皆、心のこもったチョコばかりだ。
俺は結菜の肩を抱きしめ、結菜を一生離さないと誓った。




