S-11話 加奈の誤解
由利さんは南さんに提出する企画書と報告書を作成していく。こればかりは俺がお手伝いをするわけにはいかない。仕事の要だ。由利さんもこの時ばかりは真剣にPCに向き合っている。
俺は由利さん宛てにきたメールの返信を頼まれて、メールの返信内容を由利さんから教えてもらって、各部署へ定型文を使って、返信していく。もちろん由利さんに確認してもらってOKがででから返信する。
ずいぶんとメールの文章を書くことにも最近は慣れてきた。バイト始めの頃はコピー印刷や、書類整理しかできなった俺だけど、数か月バイトしているおかげで、ずいぶんと慣れてきた。
しかし大人の仕事は少しもミスが許されないので、常に緊張状態がMAXで肩がすごくこる。
隣を見ると由利さんが首をクルクルと回して、肩こりを取ろうと首をうごかしている。そして僕のほうをチラッとみる。目が「肩こりほぐしてほしい」と無言で訴えている。由利さんのきれいな体に触れていいのだろうか。
「肩こってそうですね。肩もみしましょうか?」
「その言葉を待ってたの。お願いできる?」
俺は自分の席を立って、由利さんの後ろに回って、由利さんの肩をもみ始めるが、結構、強めに押しているのに、由利さんは全く痛いそぶりも見せない。これ肩コリすごすぎでしょう。
力いっぱいに押すと、由利さんの口から甘い吐息が漏れる。これはエロイ。「はぁ、いい気持ち」と少し鼻にかかった甘える声がささやかれる。
それにこの体勢から、由利さんの胸を見ると、シャツの隙間から胸の谷間は見えそうだし、形のよいロケットのように突き出した胸がダイレクトに俺の視界に入ってくる。俺の脳神経細胞がピリピリと反応しそうだ。
これだけ立派な胸があるんだから、そうとう胸も重量があるだろう。これは肩こりが酷くなっても仕方がない。俺は力いっぱい十分ほど、由利さんの肩をもむ。
男性社員の殺気にも似た視線が俺を貫く。男性でも嫉妬に狂うとこんなに怖い視線になるのか。俺は額から汗を出して、男性社員の殺気を無視して、肩もみに集中する。すると他の女性社員の方々が手を挙げて「次は私の肩をもんでー」とリクエストが殺到してきた。
由利さんは「宗太くんは私のアシスタントなの。だから私専属。誰にもあげないから」と独占欲丸出しの声をあげる。女性社員から「ケチー少し、分けてくれてもいいじゃん」と非難の声があがるが、由利さんは意見を曲げなかった。
肩もみを終えて、PCのブラインドタッチに戻るが、指先の力が戻らない。ブラインドタッチの速さが遅くなる。このままでは今日の入力作業が終わらない。俺は必死に指先を動かした。
定時時間を過ぎて、段々と働いている社員の人達が帰っていく。南さんは俺達が仕事を終えるまでは見届けていくつもりらしく、部長室にこもっている。
大人になると、こういう日々が毎日になるのか。大人って大変だな。俺の家には他界して、父親はいないけど、父親がいれば毎日、こんな風に大変な思いで仕事をしてたのかな。大人って思ったより大変だ。
仕事って1つもミスが許されないのが大変だ。俺達、学生は間違いや勘違いがあっても許されるし、忘れ物をしても、それほど気にする必要もないけど、大人になると何でも責任という言葉がつきまとうんだな。
それを知れただけでも、このバイトに来たことは俺のプラスになっていると思う。
やっと仕事が終わった。周りを見ると、俺と由利さんしかいない。南さんが部長室から出てきた。
「今日は仕事量が多かったね。宗太くんに来てもらって助かったよ。休日にこれほど仕事が舞い込むことは少ないんだけど、まだ1月だから、昨年の分が舞い込んできているんだろう。今日はお疲れ様。私がフロアを閉めて帰るから、新垣さんを駅までエスコートしてあげてくれ」
「わかりました」
由利さんは女子更衣室へ向かう。僕は廊下で由利さんが着替えるのを待った。しばらくするとコートを着た由利さんが更衣室から現れた。
「宗太。一緒に帰ろう。私、宗太と一緒に帰れて、今日は嬉しいな」
由利さんは満面の笑みを浮かべて俺の腕に絡みつく。
「由利姉ちゃん、まだここは会社の中です。だから、あんまり密着しちゃダメだよ」
「いいもん。仕事の時間は終わったんだから。いいもん」
あーあ、女性がこうなったら、男性は諦めるしかない。俺は深いため息をついて、由利さんと一緒のエレベータに乗って1階まで降り、ビルの玄関を出て、まだ寒い外に出る。そして大通りの歩道を2人寄り添って歩く。
「こうやって2人寄り添って歩いてたら、恋人同士に見えるかな?」
「どう見ても、きれいなお姉さんと弟にしか見えませんよ」
「そっか、じゃあ、恋人に見えるように、もっと寄り添わないとだね」
由利さんは俺をからかって、体を密着させてくる。気持ちの良い暖かさと柔らかさが俺の体に伝わる。結菜だと全然、緊張しないで受け止めることができるのに、由利さんだと緊張感する。
「宗太、緊張して歩き方がおかしいよ」
由利さんがクスクスと笑う。そんなこと言われても、大人の魅力ある女性と寄り添って歩くなんて経験、少なすぎるから緊張するよ。
駅に入って、券売機で切符を買っていると、由利さんが俺の降りる駅を地図で見ている。
「宗太。私と降りる駅、同じだよ。ご近所さんだったんだね。嬉しい。偶然、会ったりできるかな」
いえいえ、結菜と一緒の時に偶然に会ったりなんかしたら、結菜の目が吊り上がるに決まってる。それは勘弁してほしい。結菜は普段は素直な良い子だけど、一度、頑固になると、なかなか頑固さが取れない一面を持っている。絶対に面倒になるから、由利さんとは偶然には会いたくない。会わせるのなら、きちんとお姉ちゃんとして紹介したい。
夜、遅い時間なのに、電車は満員だった。俺と由利さんは満員電車の中で体を密着させて乗り込む。電車の揺れに負けないように、由利さんの腰に手をまわして、しっかりと由利さんの体を引き寄せてホールドする。
何駅か過ぎたのちに顔を赤くして由利さんがささやく。
「誰かが私のお尻をなでまわしてる。痴漢されてる。どうしよう」
由利さんは少し怯えているようだ。大声で「痴漢」と叫んでやろうかと思ったけど、誰が痴漢かわからない。確か痴漢は現行犯でないとダメなんだったっけ?よく覚えていないけど。
電車のドアが開いて、一斉に降りる人、乗る人が入れ替わる。その瞬間に由利さんと位置関係を逆にして、俺は電車のドアとの間に由利さんを挟んで、腕に力を入れて、由利さんがリラックスできるように空間を開ける。
すると、誰かが俺のお尻をなでる。それも結構、繊細な指の動かし方でなでまくる。男の俺の尻と気づかないで、痴漢野郎はなでているんだろう。これは気持ちが悪い。俺は痴漢される女性が怯える気持ちがわかったような気がした。
そしてあろうことか、痴漢は段々と指の動かし方が乱暴になり、俺の股間へ手を伸ばした。そして俺の玉玉を触って、慌てたように、痴漢の手が去っていった。俺が男だということがわかったんだろう。
男の俺の尻の感触は良かったか。変態野郎。俺の尻の感触で、今日、1日、悶えるがいい。俺の勝ちだ。
「由利さん、痴漢されてない?大丈夫?」
「宗太が守ってくれてるから大丈夫。でも毎日、痴漢に会うから電車って嫌いよ」
由利さんほど、妖艶な美女だったら、痴漢も寄ってくるだろう。痴漢に怯える気持ちはわかるけど、痴漢される由利さんを想像するだけで腹が立つ。
「由利姉ちゃん、俺、由利姉ちゃんが痴漢されたら腹立つ。由利姉ちゃんの体に変態が指1本でも触れたら、腹立つ。だから俺のためにも、痴漢にあったら、大声で「痴漢」って叫んで。できたら腕ぐらい捕まえたほうがいいよ」
由利さんが少し考えこんでいたが、そっと俺の腰に手を回して、俺をぎゅっと抱きしめてくれた。
「ありがとう宗太。これから、お姉ちゃん、少しは勇気を持つね。私も痴漢って大嫌いだし、変態も嫌い。だから頑張る」
由利さんはそう言って、電車の揺れを利用して、俺の頬にチュッと軽く唇と当てた。
「これは痴漢から守ってもらったお礼。ありがとう。宗太」
由利さんははにかんだ笑顔で俺を見る。きれいだなー。
俺達は駅を降りて、別れようとしたが、帰り道が一緒の方向で、2人で顔を見合わせて驚いた。
「まだ、一緒にいられるね」
由利さんは嬉しそうに俺の腕に自分の腕を絡めて、寄り添って歩く。
2人で街灯が並んでいる歩道を寄り添って歩く。まだ吐く息が白くなるほど、寒い。由利さんの家は、俺の家と駅の中間にあるマンションの一室だった。
「宗太。これからは私がお姉ちゃんだから、お姉ちゃんを寂しくさせないように、時々は遊びに来て。私、一人暮らしだから、寂しいの。家に寄って帰ってほしい」
いくら由利さんの頼み事でも、それはダメ。だって妖艶な由利さんと2人きりで、1つの部屋でまったりなんかしたら、もう結菜の顔が怖くて見れなくなる。由利さんのことはお姉ちゃんと認定するけど、結菜にきちんと紹介するまでは、結菜からきちんと許可を得るまでは、それは禁止。
「由利さんとご近所さんってわかったし、一人暮らしで寂しい気持ちもわかるから、電話番号とラインIDとメルアドを教えます。何かあったら連絡してください。俺、由利さんに会いにいきますから」
「私のために来てくれるの。嬉しい。毎日でも連絡しちゃおうかな。朝からおはようメールするからね」
そんなに無邪気に喜ばれると、俺のほうが照れる。俺と由利さんは電話番号とラインIDとメルアドを交換した。
由利さんは満足して、自分のマンションの中へ歩いていった。俺は由利さんを見送って、歩道を歩き始める。すると俺の近くに、人影が寄ってきた。加奈だ。
「お兄ぃ。今のすごく素敵な大人の女性は誰なの。結菜お姉ちゃんがいるのに浮気でもする気。すごく良い雰囲気だったけど、怪しいわよ」
マズイ所を加奈に見られた。俺は必死に会社の上司だと説明するが、なかなか加奈は信用してくれない。結菜にはキチンと紹介するから、それまで結菜には言わないでほしいと俺は必死で加奈を拝みたおす。
その必死さが怪しいと、余計に加奈に疑いをもたれて「最低、お兄ぃ」と言って、加奈は家の玄関へ入り、玄関の鍵を閉めてしまった。
なんでこんな目にあうんだ。浮気なんてしてないぞ。これは冤罪だ。
俺は玄関を必死で叩いて、加奈に言い訳をする。薄曇りな夜空に俺の「冤罪だー」と叫ぶ声がこだまする。1時間後に加奈は冷えた視線を俺に向けたまま、玄関の扉を開けてくれた。俺は風邪をひいて、次の日、学校を休むことになった。
由利さんが拘わると、俺にいらぬ誤解がかかることが証明された日だった。俺はきちんと結菜に由利さんのことを紹介しようと心に決めた。結菜に変な誤解は受けたくないからね。




