28話 星空
大学に行った、その日はソファで眠ってしまったが、加奈に夕食ができたと起こされた。
加奈と夕食を食べて、シャワーを浴びて火照った体を癒す。湯舟を張ってお湯に浸かる元気はなかった。たぶん、お湯に浸かった瞬間に、湯舟の中で熟睡してしまう自信がある。これは危険だ。
俺は机の前に座り、教科書と参考書を出してきて、勉強をする。朝、瑞穂姉ちゃんとプリントをした範囲の復習だ。プリントに書かれている瑞穂姉ちゃんの要点をノートに写し直して、参考書を解いていく。
まだ、教えてもらったばかりなので覚えている。いくつかつまづいたが、何とか参考書を解いていく。
机の上に置いていたスマートホンが振動する。結菜からだ。俺はスマートホンを耳に当てた。
《宗太、今、大丈夫?》
《大丈夫だよ。今、参考書を開いて勉強してたんだ。結菜は何をしてるの?》
《私は瑞穂お姉ちゃんに監視されて勉強中なの。宗太に連絡したいって瑞穂お姉ちゃんに頼んだら、許可してくれたから。声が聞きたくて連絡したの。瑞穂お姉ちゃんから聞いたけど、今日は大学へ行って、大変だったんだってね。お疲れ様。体は大丈夫?》
《もう、クタクタ!さすが、シュートボクシング同好会だわ。ストレッチや筋トレも本格的で、今までに体験したこともない経験をさせてもらったよ。明日は筋肉痛がどこまで出るか、心配だけど》
《そうなんだ。私ね、瑞穂お姉ちゃんから、宗太の1日のメニューを聞いていたんだけど、大変そうだね。私も頑張んなくちゃ。私も朝から勉強してたんだよ。お昼は紗耶香と結衣と連絡してたけど。ほとんど勉強で肩こりがひどくなっちゃった》
《みんな元気にしてるの?》
《あのね~ヘヘ。結衣と黒沢がね、いい感じなんだって。毎日、連絡し合って、今度、プールに行くって言ってた。良かったよね~。相手が黒沢なのが、何でって思うけど、結衣が嬉しいなら、私も応援するよ》
《ああそうだな。神楽が喜ぶ顔が見たいな。相手が俊司というのが今でも信じられないけどな》
《紗耶香も懸命に佐伯に連絡してるんだって。あんまり本気にされてないって嘆いてたけど。紗耶香、頑張るって言ってた。そういえば紗耶香も佐伯とプールに行くとか、言ってたな。本当なら私と宗太もプールに行けたのに~。パパのせいで行けなくてゴメンね》
《仕方がないよ。結菜のお父さんが妥協してくれた条件は、お父さんのいる前で2時間だけ会えるっていう内容だから、プールは無理だね。俺も結菜の水着姿を見たかったけど、今年は残念するしかなさそうだね》
《私もせっかく買った水着だったから宗太に見せたかったのに・・・・・・パパなんて大嫌い。今日も1日中、私を監視してるんだよ、腹が立ったから、「ストーカー、キモイ」て言ったら、パパ、泣いてた。少しくらい泣かせたほうがいいのよ》
愛娘から「ストーカー、キモイ」なんて言葉をもらったら、俺もショックで立ち直れないだろうな。結菜のお父さんが少し不憫に思う。
それから他愛もない話を結菜として会話を終了。これ以上、話していたら、結菜が会いたいと寂しがって泣き出していたからだ。俺も寂しいけど、ここは我慢するしかない。
俺は机に置いて、開いている参考書に集中する。そのまま机に突っ伏して寝落ちした。
加奈が俺を起こしてくれ、「お兄ぃ、寝るならベッドで寝たほうがいいよ。今日は運動してきたんだし」というありがたいお言葉をいただいて、ベッドで熟睡した。
次の日、俺は今までに経験したこともない筋肉痛に襲われた。体の節々が痛い。朝6時に瑞穂姉ちゃんは家に来て、そんな俺をみてやれやれと首を横に振った。
「筋肉痛になるのはわかっていたけど、そこまでの筋肉痛になるとはね。今日はもっと軽めのメニューに変えるしかなさそうだね」
「軟弱ですみません」
俺と瑞穂姉ちゃんは朝からプリントの束に取りかかった。瑞穂姉ちゃんは、俺が少しでも悩んでいると、優しく丁寧に解説をつけて教えてくれる。そしてプリントに要点を書いてくれるので、俺の頭にも入りやすい。俺は自分が頭が良くなったのかと勘違いするぐらいにプリントの束が消化されていく。
「宗太、あんた、頭は馬鹿じゃないみたいだね。あんたも結菜も授業できちんと要点を覚えてきていないのが、テストの点数を落としている原因みたいだね。すぐにテストの点数はアップするだろう」
加奈が持ってきてくれた、クッキーと紅茶をテーブルの上に置いて、瑞穂姉ちゃんは紅茶を一口飲んでそう言った。
俺は瑞穂姉ちゃんの言葉を聞いて嬉しかった。成績がアップにつながれば、ベスト50位に近づいているということだ。頑張れば、なんとかなるかもしれないと、単純に俺は喜んだ。
「高校2年生の夏は大学に行くための入り口みたいな時期さ。この時期に勉強を頑張るか、サボるかで大学に行けるかどうか、凄く差がつくからね。勉強している奴は必死で頭に詰め込んでくるはずさ。ベスト50位に入るのは簡単なことじゃないよ」
瑞穂姉ちゃんの現実的な言葉に肩をガックリと落とす。上げておいて、下げるなんて瑞穂姉ちゃん、酷過ぎるよ。さっきの、俺の喜びを返してほしい。
俺と瑞穂姉ちゃんは少し休憩した後に、勉強に戻った。瑞穂姉ちゃんが1階に行って、加奈と何か話しているようだが、俺は勉強に集中する。
加奈が11時半に昼食を用意してくれた。少し早いような気もするが、俺と瑞穂姉ちゃんは昼食を食べる。そして車に乗り込んで駐車場から車を走らせた。
「今日はちょっと寄り道するよ」
そう言って、瑞穂姉ちゃんが大学へ向かう道から外れる。よく見ると俺が毎日、結菜の家へ通っていた道だ。車は結菜のマンションの前に停車する。すると結菜がマンションの玄関で手を振って待っていた。
俺は急いで助手席から降りると、結菜が俺に飛びついてきた。俺の首に手を回して、俺を抱きしめて泣いている。俺は、優しく結菜の髪の毛を撫でた。
「15分だけだからね。それ以上、外にいると父さんがやってきそうだ」
『加奈ちゃんから連絡をもらったの。宗太と瑞穂お姉ちゃんが家に向かってるって。だから外で待ってたの。宗太の顔が見れて嬉しい。宗太に会えて嬉しい。宗太の匂いがする。宗太、宗太、会いたかったよ』
結菜は耳元でささやいて、涙を流している。
「たった、数日、会えなかっただけでオーバーなんだよ。2人共。それでなくても今日も暑いのに、温度、上り過ぎるね。私がヘタバリそうだよ。あ~熱い。私、自販機でジュースでも買って来るから、その間、2人で好きなだけイチャついてな。見てらんないよ。全く。私はフリーだっつーの」
瑞穂姉ちゃんは自販機へ向かって、サッサと歩いていった。後姿も凛々しい。
俺は結菜をマンションの玄関の階段に座らせて、自分も隣に座る。結菜は腕を絡めて俺に寄り添って、俺の肩に頭を置いた。
「瑞穂お姉ちゃんはそういうけど、私にとっては何日も会えなかったように感じるんだから仕方ないじゃん。毎日、宗太に会える瑞穂お姉ちゃんが羨ましい。私もずっとこうしていたいのに~」
「俺も毎日、結菜とこうしていたいよ」
俺は結菜の頭をそっと撫でる。すると結菜は目をそっと伏せて気持ち良さそうに微笑む。
15分はあっという間に過ぎ去った。瑞穂姉ちゃんが戻ってくる。
「時間だよ。これ以上、結菜が外にいるのはマズイ。父さんに見つかる前に結菜は家に戻りなさい」
結菜は絡めていた手を外すとゆっくりと立ち上がる。顔がショボンとしている。俺は立ち上がって、結菜の肩を掴んで抱き寄せた。
「頑張って、勉強してベスト50位に入れるようにしよう。そうすれば結菜のお父さんも認めてくれるはずだから」
「うん・・・・・・でも、宗太が格闘技でパパに勝つなんて無理だよ。瑞穂お姉ちゃんでも何年もかかったんだよ」
そうだ。確かに結菜のお父さんは柔道3段に空手2段。昨日から練習を始めた俺では勝つのは無理かもしれない。でもやるしかない。結菜と会うためだ。頑張るしかない。俺は何も言わずににっこりと微笑んだ。
「俺達には瑞穂姉ちゃんがついてる。大丈夫。なにか策を考えてくれるはずだよ。俺は信じて練習するよ」
結菜は背を伸ばして、つま先立ちになって、俺の額にチュッと唇を触れさせた。うぉ、これは頑張らねば。
俺は結菜に「行ってくるよ」と言って、結菜から手を放す。そして車の助手席に乗り込んだ。既に瑞穂姉ちゃんは運転席に乗っている。車はゆっくりと走り出した。結菜は俺達が見えなくなるまで手を振っていた。
◇◆◇◆◇◆
シュートボクシング同好会の道場に着く。瑞穂姉ちゃんと俺はトレーニングウェアに着替えてランニングに出る。
今日は俺に合わせて距離を5kmにしてくれた。それでも筋肉痛に喘ぐ俺は、5kmでもキツかった。ランニングを終えて、道場に入る。すると桜木さんが「待ってたぞ」と笑って話しかけてくれる。
昨日、俺をサポートしてくれた2人が、また俺をサポートしてくれる。俺はサポート2人がかりでストレッチをする、とういうかストレッチをされた。「ギャー」という俺の声が道場いっぱいにこだまする。練習していた同好会のみんなは、それを見て笑っている。だって痛いのだから仕方がない。
桜木さん曰く、スポーツにはストレッチはかかせないらしい。体を柔軟にしておかないと、いつ不意に怪我をするかわからないから、ストレッチだけは欠かせないという話だった。俺は体が硬いらしい。それでも昨日よりは曲がるようになったと思う。ほぼ、サポートしてくれる2人のおかげだけど・・・・・・
リングに上がると、瑞穂姉ちゃんがピョンピョンと跳ねている。
「今日も、私の手を払う練習だよ。とにかく私に体を掴まれたり、服を掴まれると逃げられなくなるよ。そうなると絶対に柔道家なら投げられる。そうすればお前の負けだ。だから、私の手を払いのけろ」
そういうと、瑞穂姉ちゃんは俺に向かって手を伸ばして服や体を掴みにくる。それを俺は自分の腕や手で払いのける。そして時には弾く。
はじめは俺に合わせてくれてスピードは遅めだ。時間が経つにつれて、瑞穂姉ちゃんの手を出す速さが上がっていく。俺はそれを腕で弾き、手で払う。そして捕まえられた瞬間に投げられた。
今日も何回、投げられたかわからない。瑞穂姉ちゃんが手加減をして優しく投げてくれているので、受け身は取れる。俺は何回も投げられては、すぐに立ち上がって練習を再開する。
桜木さんがリングの下から俺と瑞穂姉ちゃんの練習風景を見て「頑張ってるじゃないか。そうだ。頑張れ宗太」と声を飛ばしてくれている。
筋肉痛だったことなんて頭から飛んで行った。今は瑞穂姉ちゃんの手だけに集中する。
何回か飛ばされて、俺が仰向けになって大の字に倒れたところでスパーリングは終了した。少しの間、休憩をとる。桜木さんが「昨日よりは様になってたぞ」と褒めてくれた。正直、嬉しい。自分では何も変化がなかったように感じていたから、尚更、嬉しかった。
休憩を終えた後に、腕立て伏せ、腹筋、スクワットをセットでこなした。今日はトレーニングマシーンでの練習はなかった。
俺はボケーっと体を休めて、瑞穂姉ちゃんの練習を見ている。今、瑞穂姉ちゃんはサンドバッグを蹴っている。瑞穂姉ちゃんがサンドバッグを蹴る度に、サンドバッグが揺れている。あの蹴りを俺が受けたら、即死コース決定だろうな。
桜木さんが腕を組んで瑞穂姉ちゃんを見ている。
「宗太、瑞穂ってきれいだよな」
「桜木さんは瑞穂姉ちゃんのことが好きなんですか?」
「ああ、もう3回、告白して全て断られた。でも諦めきれね~」
桜木さんは俺に、にっこりと笑いかけて、ミネラルウォーターのペットボトルを放り投げる。俺はそれを受け取って、蓋を開けて一気に飲む。
「断られてるけど、今回は条件をもらったんだよ。瑞穂と試合をして勝ったら、付き合ってくれるって。だから頑張って俺は強くなる」
そんなに瑞穂姉ちゃんは強かったのか、これからは絶対に怒らせないようにしようと、俺は心に誓った。
サンドバックを蹴る練習が終わると、瑞穂姉ちゃんはバスタオルで汗を拭いて近寄ってくる。桜木さんが「お疲れ」と言ってミネラルウォーターのペットボトルを瑞穂姉ちゃんに渡す。瑞穂姉ちゃんは半分まで一気に飲んだ。そして、頭の上にミネラルウォーターをかける。
髪の毛がキラキラして、瑞穂姉ちゃんがすごくきれいに見える。桜木さん、見惚れすぎで、固まってますけど。
「さ、着替えて帰るとするか」
瑞穂姉ちゃんは俺の腕を掴んで、更衣室へ歩いていく。後ろから「宗太はいいな~」と桜木さんの呟きが聞こえた。
俺と瑞穂姉ちゃんは着替えて、道場を後にして車に乗った。
「桜木さんから聞いたんだけど、瑞穂姉ちゃんって桜木さんを3回も振ってるんだってね。桜木さんが瑞穂姉ちゃんに勝ったら、付き合ってもいいって、瑞穂姉ちゃんが条件を出したって聞いたよ」
「チッ、桜木の奴、宗太と仲良くなったと思ったら、いらんこと言いやがって。ああ、私は桜木を3回振った。それに条件をつけたのも本当さ」
「瑞穂姉ちゃんって桜木さんより強いんだね」
「それは違うぞ宗太。実力では桜木のほうが強い。私では敵わない。でもね、あいつ、私のことエロい目で見ていただろう。だからリングにあがって近づくと、あいつ、目が泳ぐんだよ。そしてね、わたしが胸元をチラ見せすると、あいつ目を逸らすんだ。だから私の蹴りをもらうことになるんだよ。だから、あいつは私に絶対に勝てないのさ」
それってズルいんじゃない、瑞穂姉ちゃん。男だったら誰だって、魅力的な胸には勝てないよ。
「今日は少し早く終わったから、私から結菜に連絡して、またマンションの玄関で会わせてやる。結菜に泣かれたら、家の中が暗くなるからね。私も困るんだ。宗太、優しくしてやってくれ」
そう言って、瑞穂姉ちゃんはにっこりと笑った。瑞穂姉ちゃんはなんだかんだ言って、とても優しい。俺は瑞穂姉ちゃんの優しさに感謝した。
車は結菜の待っているマンションへ夜道を走る。空には満開の星空が広がっていた。




