2話 噂
朝霧に抱きすくめられた次の日の朝、眠たい目をこすりながら教室のドアを開けると、皆の視線が一斉に集まる。
なんだ。俺が何かやったのか。昨日の件が広まるにしても、朝早くから早すぎないか。
たじろいで、後退りしそうになる体を、無理矢理に前に進める。なんだか、いつもと教室の雰囲気が違う。いや、俺に対する視線が違う。
絶対に昨日、朝霧に抱きすくめられた件がバレてる。そうでなければ女子の凍てつくような視線の意味がわからん。絶対零度のような冷たい視線を浴びせないで。固まってしまいそうだ。
奇異な視線を浴びながら、俺は自分の席に座って机の横に鞄をかける。手が震えているのがわかる。
すると、後ろから背中を「ドン」と叩かれて、振り向くと黒沢俊司と冴木慎がニヤニヤ笑いながら立っていた。
お前らか。お前らが原因なのか。女子達からの冷たい視線をどうしてくれる。完全に俺が悪者じゃないか。
「昨日のあれは何だったんだ。朝霧は柔らかかったか?」
あー、柔らかかったさ。それに少し暖かくて気持ちが良かった。ほのかに甘い香りがして、優しい安心する香りだったな。あ~、思い出しただけで顔が火照ってくる。何を思い出させてくれてんだ。
「何、でかい声で言ってんだよ。みんなに聞こえるだろう」
「心配するな。俺達が朝早くに登校して噂を広めておいた」
やっぱり俊司と慎、お前達2人のせいか、みんなの奇異な視線をどうしてくれる。今でも女子達が俺のほうを冷たい視線で見てるじゃないか。お前達、友達じゃなかったのか。なんで言いふらすんだよ。
「宗太だけ気持ち良い思いをするのは許せん」
慎が静かに呟く。
その気持ちはわかる。俺がお前達の立場でも許せなかっただろう。俺だって言いふらしていたかもしれない。羨ましいからな。
しかし、みんなに言いふらすのはやりすぎだろう。朝霧の立場にもなってみろ。朝霧は女の子だ。絶対に気にするはずだ。そう思って隣の席をみると朝霧は脚をプラプラさせてフニャリと微笑む。
「昨日は雰囲気の良いところを見つかっちゃったね・・・・・・テヘ」
舌先を出して座っている。おれほど慌てている素振りはない。少し顔を赤くして照れている程度だ。
テヘじゃねーんだよ。可愛い顔をしたら何でも許されるのか。可愛いからってな~・・・・・・クソっ可愛いな
男を弄ぶことで有名な朝霧だ。これくらいのことでメンタルが削られるはずはなかった。信じちゃいけない。信じちゃいけない。朝霧にからかわれただけ。からかわれただけ。
女子の視線で俺のメンタルがガリガリと削られていく。そんなに心臓、強くないんだよ。みんな俺を温かい目で見てくれよ。俺は何も悪いことしてないんだからさ。
朝霧は席を立つとクルリと身をひるがえして女性陣のもとへ走っていった。女性陣の中でも特に仲の良い赤沢輝夜と神楽結衣に昨日のことで尋問を受けている。
朝霧と赤沢輝夜と神楽結衣の3人は特に仲がいい。
赤沢輝夜は黒髪をポニーテールに結い、はちきれんばかりの豊満な胸にスタイルの良い肢体が美しい。所属は剣道部、腕前は相当なものだと噂で聞いたことがある。
神楽結衣は料理部に所属していて、気さくで面倒見が良くて、裏表がない、おっとりとした、みんなの頼れるお姉さん的存在だ。
赤沢も神楽も男性生徒から人気が高い。赤沢はクールビューティ、神楽の優しいお姉さん的雰囲気が男達のハートにグッとくるらしい。
赤沢から「宗太が無理強いをしたなら斬ってもいいぞ」という言葉が聞こえ、レーザービームのような鋭い視線が俺に突き刺さってくる。
切れ長の怜悧な瞳で睨まれると、蛇に睨まれたカエルのような気分になってしまう。背中から嫌な汗が噴き出してくる。
神楽からは「何か悩み事でもあるの。錯乱する前に私に相談してね」と朝霧に優しい言葉をかけている。
なんですか、その扱いは。俺は錯乱しなければ抱きつけないような男なんですか。そんな扱いの分類なんですか。
優しいお姉さん的存在であるはずの神楽からの一言が俺の脆いハートを鋭く抉る。
「別段、大丈夫だよ。昨日はお礼だよ~ 毎回、プリントを写させてもらってるしさ~ お礼じゃん。深い意味ないから」
けろっとした顔で朝霧は赤沢と神楽に弁解している。男心としては何かを期待する面も一部あったが、やっぱり何も考えていなかったか。変に期待しなくてよかった。恥をかく所だった。
朝霧のいう通りだ。俺はお礼を受けただけだ。何も間違ったことはしていない。
今度からは違うお礼でお願いしたい。昨日のことを思い出しただけで心臓がドキドキしてしまう。それに噂が広まるのが怖い。
でも、本当に柔らかくって気持ちよかったな~それに女子ってあんなに良い匂いがするもんなんだ。リア充はこのことを既に知っていたんだな。だから女子を追っかけていたのか。リア充は爆発しろ。リア充自爆しろ。
「お前達も変な噂を朝から流すなよ。女性陣から変な目で見られたらどうするんだよ。俊司みたいな扱いされたらマジ涙もんだからな」
黒沢俊司はいい奴なんだが、万年、女が欲しいと言いまくっているので、女子から蔑まれた視線を受けて、毎日を暮らしている。
俊司のような扱いを受けたら、俺だったらヒキニートになることは確実だ。それだけは絶対にさけたい。そういえば。俊司はメンタルが強いな。俺だったら泣いてるぞ。
「なに言ってんだ。俺がいつから女性陣から変な目で見られてるっていうんだ」
少なくとも俺は俊司よりはマシな扱いを受けていると信じて暮らしてきた。そうであってほしい。
「俊司も宗太も前から変人扱いだろ。もう少し自覚しろ」
確かに俺も俊司も変人、馬鹿のレッテルを貼られているかもしれないが、それは慎も同じだろう。3人はどうせ腐れ縁なんだから。いつも3人一括りで言われているし、自分だけ違うポジションのように言うな。
「慎、お前だけには言われたくない」
「宗太が変に思われても、僕だけは宗太の味方だよ」
後から細くて高い声が後ろからするので、振り返ると、そこには新庄零が鞄を胸に抱えて立っていた。
新庄零は謎の多い男子だ。俺達、腐れ縁の俊司、慎、俺の近くにいることが多い。手芸部に所属していて、背中まである黒髪に長いまつ毛、色白の肌が印象的だ。街角で私服で立たれたら女子と間違ってしまいそうな容姿をしている。
制服を着ているから女子と間違わないが、私服だったら絶対に女子と間違える自信がある。その長い髪の毛だけでも切る気にならんのかな。女子に間違われてもかまわないのか。零の心理状態だけはいつも謎でわからん。わかってはいけないような気がする。
「何か、クラスが騒がしいね。宗太、また何かやったの?すずなちゃんに怒られるよ」
ふふふ、甘いぞ零。既に俺はすずなちゃんの説教を2時間も昨日のうちに受けている。だから今日は説教はない。だから安心しろ。
そんなつぶらな瞳で見るんじゃない。いくら男子とわかっても、お前から上目遣いをされるとなぜか俺は照れるんだよ。やめろ。お前を見てると男なんだか女なんだかわからなくなってくるんだよ。
「あのな、昨日、放課後に宗太と朝霧が抱き合ってたんだぜ。その時にすずなちゃんと俺達が目撃してな。もし目撃してなかったら、2人はどうなってたんだろうな」
何もなるか。うるさいよ俊司は。それ以上は何もいうな。いつか俺がお前の口を塞いでやるぞ。覚えていろ。
「じゃあ、僕も」
一瞬のうちに零の華奢な体が俺を抱きすくめた。
周りで見ていた俊司と慎は目を丸くする。教室の中が一瞬だけシーンとなると爆発するような喧噪が吹き荒れる。
女子達の一部から「やっぱり、BL。BL?」と言いながら鼻血を出す者もいる。「キャー素敵ー」と騒ぐ声も聞こえてくる。うるさい腐女子共。男をそんな目で見るんじゃない。俺には絶対にBL要素なんてないからな。
やめろ零。BL要素満点のお前が俺を抱きすくめるから、話がややこしくなるんだぞ。俺が男色家に見られたらどうする。一生、女子から逃げられるぞ。そんなことになったらマジ泣きだからな。やめてくれ。
俺はまだそちらの扉は開いていない。変な目で女子から見られるのはご免だ。女子達も早く冷静になってくれ。俺をそんな視線で見ないでくれ。あ~どこか遠くへ逃げたくなってきた。零、早く俺から離れてくれ。
零を無理矢理に引き剥がすと俺は席を立って急いで教室を後にした。こんな状態の教室にいるほど、俺の心臓は強くない。勘弁してほしい。背中に冷や汗が流れる。
まだ女子達の喧噪は止まらないが、この1件で朝霧との件はうやむやになってみたいだ。零にお礼を言ったらいいのか、二度と抱きつくなと言った方がいいのか。悩むところだ。ただ1つわかっていることは、また俺が変人扱いされることだけは確実だろうということだ。実に不快だ。このまま逃げよう。
今日の1限目の授業は数学か。別に得意科目ではないが、苦手科目でもない。屋上に逃げて1限目はサボることにするか。
2階の自分達の教室から3階へかけあがり、4階にあたる屋上の扉を開ける。通常、屋上は立ち入り禁止で鍵がかかっているが、鍵が壊れているので出入り自由だ。でも、そのことを知っている学生は少ない。よって屋上には誰も来ることはないので、安心してサボることができる。
屋上の扉を開けて、屋上に出てグランドから見られないように、反対側の縁近くを通って、給水塔の下まで歩いていく。
給水塔の下の日陰に寝転んで空を仰ぐと、今日は快晴で飛行機雲が1つ空を横切っている。顔を撫でる風が気持ちいい。
給水塔の梯子からきれいな脚が見えたかと思うと、制服の短いスカートがヒラヒラと見える。
スカートの中は男子生徒からすれば女性の神秘というか、ブラックボックスみたいな感じで、心臓がドキドキする。そうかスカートの中身は桃源郷があったのか。
今日はピンクな。可愛いお尻が丸見えですぜ。お嬢さん。
太陽が眩しいのか、お尻が眩しいのかわからん。俺は馬鹿か。
俺は何を見てるんだ。ボーっと給水塔の梯子から見えるお尻を見つめていると、段々と上半身が見えてきて顔が見えてくる。フニャリと笑った朝霧の顔がそこにあった。
「じっと見るなっつーの。しっかり見てんじゃん」
だってそんなきれいな脚と可愛いお尻がフリフリしてるんだぞ。絶対に見ちゃうでしょう。健全な男子なら絶対に見てるね。目を逸らせるという奴がいたとしたら、そいつは偽善者だ。
「見てね~し」
一応、見てないと言っておくのが礼儀だろう。自分の心にも優しいし。時代はエコですよ。エコ。
「今日の色は?」
「ピンク」
誘導尋問にひっかかった。気軽に聞かれると言いたくなるんだよな。
何、嬉しそうにフニャリとした笑顔をしてるんだよ。そんな笑顔をされると、お尻を見てたことに罪悪感を覚えるじゃないか。それにしても向日葵のような笑顔だな。本当に朝霧は笑顔がよく似合うな。
「やっぱり見てんじゃん」
朝霧は口を尖らせて、アヒルの口のようにする。その顔がなんとも可愛い。いかん朝霧の魔力に俺も翻弄されているのか。立ち直れ俺。とにかく言い返そう。
「そんな所から降りてくるのが悪い」
言い返してみたが、悪態をついてるだけだよな。これじゃあ、素直に謝っておけばよかったのかな。
「ほい」
朝霧は俺にアイスココアを放り投げてくる。手でキャッチするとまだ冷たい。自販機で買ったばかりのようだ。
お前がサボりに来たら、また一緒に教室からいなくなったって言われるだろう。また噂になるだろうが。2人が付き合ってるとか噂になっても知らないぞ。何考えてんだよ。まったく何も考えてないだろう。
「噂になってもいいじゃん。私と九条って仲良しじゃん。かまわないっしょ」
フニャリとした笑顔を俺に向ける。冗談でもそんな嬉しそうな笑顔を向けるなよ。本気になりそうだったじゃないか。心臓がドキドキして止まらない。顔が火照りそうだ。本当にお前はそれで平気なのか。
「お前が構わなくても俺が構うんだよ」
朝霧はキャハハと声をあげて笑う。
そこは声をあげて笑うところじゃないから。足をバタバタさせない。こっちが必死で答えているのに。なんなんだよ。その態度は。やっぱりからかわれてたんだろ。まったくこいつは、いつでもどこでも俺をからかう。
「九条って昨日から私を見たら、顔を赤くしてばっかりだよね。可愛い~」
朝霧は俺の横に座ると俺の腕に縋り付いてくる。
腕に豊満な胸の感触が・・・・・・当たってる、当たってる・・・・・・柔らかいものが当たってます。あ~なんて気持ちいいんだ。それよりも、やっぱり朝霧から甘い良い香りがする。この香り、ずっと嗅ぎたくなるから怖い。中毒性はないだろうな。
俺が飲んでいたアイスココアを奪い取って、美味しそうに一口飲んで返してくる。
非常に気まずいが、ここで飲むのを拒否すれば、何か負けたような気がする。俺はアイスココアを一気にグイっと飲んだ。すると朝霧は「キャハハ」と大声あげて足をバタつかせて笑っている。やっぱり何か負けた気がする。
空を仰ぎ見るとジェット機が飛び、飛行機雲を線が伸びていた。
俺達のじゃれ合いは続き、屋上に笑顔と笑い声が広がる。