14話 風邪
今日は土曜、すずなちゃんの居残りプリントをはじめて1週間以上が過ぎた。もうすぐ6月も終わるな。屋上に行けるのも後少しだな。俺は朝遅くまで寝て、土曜という休日を満喫している。
朝霧と居残りを始めてから気づいたが、意外と朝霧は真面目にプリントをこなしている。途中で投げ出すんじゃないかと思っていたが、真面目に机にむかってプリントをしていた。
朝霧が真剣に勉強をしている姿なんて見たのは、これが初めてかもしれない。でも、真剣に取り組んでいる横顔はきれいで何回か、目を奪われてしまった。真面目な朝霧も良いものだなと思う。
しかし、わからないところがあると俺を頼って来るところは変わらない。涙目になりながら、アワアワと俺にわからないとアピールしてくる。そういう朝霧も可愛いと思う。
でも聞く相手を間違えてないか。俺はお前と同じレベルの点数しか取ったことがないんだが。慌てた時の朝霧はそんなことはどうでもいいらしい。
この1週間ほどで色々な朝霧の面を見たような気がする。瑞穂姉ちゃんに朝霧を1番に考えろと言われたこともあって、最近は朝霧をよく見てしまう。するといろんな表情をする朝霧に出会う。
その度に、新鮮さを覚えるし、時にはドキッとしてしまう。そんな時は相手は朝霧、相手は朝霧と呪文のように唱えることにしておく。そうしないとダメなほど、朝霧の表情や行動は魅力的だからだ。それは素直に認めよう。
毎日、慎、俊司、栗本は俺達の居残りに自分達が帰るまで付き合ってくれた。朝霧、神楽も部活が終わって少しの間は教室に残ってくれた。皆は俺と朝霧の周りに座って、俺達が間違っている箇所や問題を丁寧に教えてくれた。そのおかげで最近では少しは勉強が進んだような気がする。
居残りの日は毎日、朝霧をマンションまで送っていくのが日課になった。そのおかげで毎日、けっこう遅い時間の帰宅になっている。今のところ、加奈には朝霧を送っていっていることは内緒にしている。
なぜ黙っているかというと少し恥ずかしいからだ。何を恥ずかしがっているのか、自分でもわからないが、とにかく恥ずかしい。
学校からの帰り道では必ず、朝霧が腕を絡めてきて、頭を俺の肩にのせてグッタリした格好で2人で帰っている。
誰かに見られたら、肩を寄せ合って、寄り添って歩いているように見えるだろう。今、思い出しただけでも恥ずかしくなってくる。
しかし、朝霧は居残りで疲れ切っているし、腕を払うと涙目になるので、腕を離すこともできない。今では2人で寄り添って歩くのが普通になってしまった。それでもやっぱり女子と寄り添って歩くのは緊張する。
いくら朝霧だとわかっていても、柔らかくて温かい体が密着状態にあると、理性が飛びそうになる。それに朝霧は良い香りがいつもしている。甘くて優しい香りだ。その香りを嗅いでいるだけで頭がボーっとなる。だから、緊張しているしかない。これはいつまで経っても慣れることはないだろう。
最近では2人ではしゃぎながら帰ることはほとんどない。疲れているのもあるが、黙っているほうが楽しいからだ。たぶん朝霧もそうだろう。俺をからかってきたりしないから。
1度、朝霧のマンションまで送っていって、それから1時間ほど散歩をして、また朝霧のマンションへ送っていくのが最近のパターンだ。だって、朝霧が俺の服を持って帰してくれないのだから仕方がない。それに俺も朝霧と2人で散歩を楽しんでいるところがある。
そんなわけで最近では家に帰って来る時間が非常に遅くなっているわけだ。
「お兄ぃ。部屋に入るわよ」
加奈が扉の向こうから声をかけて、俺の部屋に入ってきた。加奈の目が少し吊り上がっているように見えるのは気のせいか。なんだか怖い。何を言われるんだ。
「最近、私に黙って、お兄ぃ。彼女、作ったでしょう」
はぁ、どこからそんな発想になったんだ。妹よ。俺がモテないことはお前が一番、知ってるじゃないか。
「制服に女性の残り香が移ってるんですけど、こんな良い香り、お兄ぃから絶対にしないからね」
「それは、あれだ。偶然、女子と肩をぶつけたとか、よくある話じゃん」
どこがよくある話だよ。言い訳が苦し過ぎるわ。
「それにこれは何?お兄ぃの制服に引っ付いてたんですけど。茶色の長い髪。それも結構、数が多いんですけど」
妹よ。なぜそこまでチェックしているんだ。お前は俺の着ているモノ、全てをチェックしているのではあるまいな。
それは1歩間違えたら、変態だから。今すぐにやめるように強く求めたい。
加奈の指に1本の茶色の長い髪の毛が摘ままれている。加奈の目がさらに吊り上がっていく。俺は背中から嫌な汗が流れて止まらない。なんか浮気を見つかった男性の気持ちだ。こんなに辛いとは。
「最近、帰って来る時間も10時頃だし、学校で居残り勉強してるのは聞いてるけど、帰ってくるまで時間がかかり過ぎているよね。おかげで夕食を温めなおしたり、私、二度手間なんですけど」
妹よ。そこまでお兄ちゃんの時間管理しなくていいからね。加奈に負担をかけていることは素直に謝ろう。
「夕食、温めなおしてくれて、ありがとうな」
「そういう気持ちがあるなら、ちゃんと話してよ。というか、早く吐け」
加奈の後ろに般若の面が幻視できる。加奈はにっこりと笑っているが、目の奥が笑っていない。これ以上、隠していても無駄だろう。
俺は学校で居残り勉強を終わった後に、朝霧を毎日送っていってることを、加奈に説明した。もちろん夜の散歩のことは秘密だ。
「最近さ、お兄ぃのことが学校で噂になってるの、お兄ぃ知らないの?」
「どんな噂だ?」
「最近、朝霧さんが趣旨替えして、ダサい男子と付き合ってるって噂になっててさ。よく聞いてみるとお兄ぃのことのようなんだよね。私もただの噂だと思って笑ってたんだけどさ。本当に付き合ってんの?」
噂になってるとは知らなかった。それにしてもダサい男とは何事だ。あんまりな言い方じゃないか。俺、ちょっと傷ついたぞ。泣いちゃうぞ。本気で涙が・・・・・・クソっ
「付き合ってね~よ。ただの友達。それと朝霧の姉ちゃんから頼まれててな。朝霧を守ってあげてって言われてんだよ。だから番犬替わりに俺が朝霧の家まで送って帰ってんだ。俺達、居残りしてるから夜も遅いしな」
「いつの間に、朝霧さんのお姉ちゃんと知り合いになってんのよ。まさか家族ぐるみの付き合いになってんの?私、そんなの聞いてないわよ」
前に朝霧を家に泊めた時に、朝霧が家に連絡しなかったことが原因で、瑞穂姉ちゃんに怒られたことを加奈に説明した。
「朝霧さん、そういえば家族に連絡してなかったわね。それでお兄ぃ、朝霧さんの家まで行って、朝霧さんのお姉さんに怒られたんだ。大変だったんだね。それで朝霧さんのお姉さんってどんな感じの人?」
「ガチの美女。でも性格残念。あと酔っぱらうと、かなりウザい。でも美女」
「そんなに美人だったら、私も会ってみたかったな~。朝霧さんでも美少女なのに、その上をいく美女なんて、モデル級じゃない」
そうだな。はっきり言って正解。モデルのようなスタイルなのに、胸はダイナマイト。そして顔は美女。外見は完璧なんだよな。性格は残念だけどな~。妹思いなところは良い点かな。
机の上に置いてあったスマートホンのバイブ音が鳴って、振動する。俺はスマートホンを取って耳に当てる。
《宗太だな》
《只今、回線が込み合っています。この電話は自動的に留守番電話に切り替わります》
《宗太、お前の声じゃね~か。いい加減にしろ~》
瑞穂姉ちゃんからだ。絶対にウザいことに決まっている。俺はスマートホンを耳から話すと電話を切った。
また、スマートホンが振動する。怖いのでスマートホンを耳に当てる。
《九条。よくも私からの電話を切ったわね。今まで私からの電話を切った男なんていなかったのに。あんたが初めてだ。ちょっと傷ついたわ~》
《すみません。何でしょう?》
《結菜が風邪ひいた》
はぁ?意味わかんね~し、朝霧が風邪ひいたのは可哀そうだが、なぜ俺に電話をしてくる?
《・・・・・・》
《結菜が風邪をひいた。宗太に会いたがってるから、今から来い。1時間以内に来ないと家に乗り込む・・・・・・ガチャ・・・プー・・・プー・・・プー》
俺はスマートホンをじっと見つめていた。いつまでもじっとスマートホンを見ているので、加奈が心配して声をかけてくる。
「どうしたのお兄ぃ。何か緊急なこと?」
「緊急といえば緊急だな。朝霧のお姉ちゃん、瑞穂姉ちゃんからの連絡だ。朝霧が風邪をひいたらしい。そしてわがままを言ってるらしい。今すぐ家に来いって言われてガチャ切りされた。もし、1時間以内に来ない時には家に乗り込むって脅された」
いくらなんでも家にいきなり乗り込まれるのは勘弁だ。瑞穂姉ちゃんの性格だ。俺の家の中で何をしでかすか、わかったもんじゃない。家で缶ビールでも飲まれて酔っ払いになられたら、たまったもんじゃない。それに家には加奈がいる。俺には加奈を守る義務がある。
「俺、ちょっと朝霧の家に行ってくるわ」
「わかった。お兄ぃ、自覚なさそうだから言うけど、今のお兄ぃって傍からみてると十分、朝霧さんの彼氏に見えるよ。事情を知ってる私でさえ、そう思うんだから。何も知らない人から見たら絶対に誤解するよ」
そうかもしれない。でも瑞穂姉ちゃんとの約束で、俺は朝霧のことを1番に考えないといけない。それに瑞穂姉ちゃんに呼ばれたらどこにでも出向く約束もある。それに朝霧の風邪も実際に心配だしな。見舞いに行ってやるか。
「ちょっと朝霧の見舞いに行ってくるわ。たぶん帰りは遅くなると思う」
あの瑞穂姉ちゃんが夕方なんかに俺を帰してくれるはずがない。これは確信がある。
俺は自分のママチャリに乗って急いで朝霧のマンションに向かった。
マンションに着いてエレベーターに乗って18階のボタンを押す。エレベーターが18階に着いた。俺は朝霧の家のインターホンのボタンを押して、自分の名前を名乗った。
《鍵、開いているから勝手に入れ》
俺は玄関を開けてリビングへ向かう。ソファには瑞穂姉ちゃんが座っていた。俺を見て目を丸くしている。
「宗太、お前、その恰好で来たのか。ここは女の子の家だぞ。何を考えてんだ」
俺は自分の恰好を確かめる。そういえばベッドから起きたばかりだった。俺は黒に赤のラインが入った上下ジャージの姿だった。
「すみません。急いで来たので、着替えるのを忘れました」
「ま~いいよ。来てくれただけでもありがとう。結菜は自分の部屋にいるから。そこの廊下を入ってすぐの部屋が結菜の部屋だから。部屋に行ってやってくれ」
お~い。はじめての女子の部屋~。女子高生の部屋というのは一種の禁断の場所ではないか。俺みたい男子が入っていいのか。それもジャージ姿で。それなら着替えてくればよかった。俺の初めての思い出がジャージ姿なのが残念だ。
俺はリビングの途中にある廊下へ歩いていき、すぐの部屋をノックする。すると中から「入って」という声が聞こえる。俺はそっと朝霧の部屋の扉を開けて中へ入る。
朝霧の部屋はきちんと掃除も整理もされていて、とてもきれいだった。さすが女子の部屋で、いろいろなクッションやぬいぐるみが置かれている。あれは俺達がクレーンゲームで取った「ぐでたま」のぬいぐるみだ。可愛く飾られている。部屋の色彩も淡い色で統一されていて、俺の部屋とは大違いだ。
朝霧はなぜか顔にマスクをしてベッドの上に座っていた。なぜ猫の着ぐるみパジャマを着ている。それは加奈が貸したものじゃなかったのか。
「見舞いにきたぞ。風邪、大丈夫か。それとそのパジャマはどうした?」
「風邪はひどくないよ。このパジャマは加奈ちゃんからもらったの。気に入ったから私の部屋着」
なんだ風邪はひどくないのか。心配させやがって。急いで来て失敗したじゃないか。
「で、俺に用事ってなんだ」
「その前に1つ九条に怒ってることがある。なんで瑞穂お姉ちゃんは九条のこと宗太って呼んでるの。いつからそんな関係になったの」
そういえば俺は九条って呼ばれてたはずだよな。確か瑞穂姉ちゃんが缶ビールで酔っ払って宗太って呼ぶようになったんだよな。なんだか自然に呼ばれていたから気づかなかった。
「あ~瑞穂姉ちゃんが勝手に呼び始めたことだから、あんまり気にしてなかったわ」
「だったら、私も宗太って呼んでもいいよね。呼んじゃうもんね」
それは色々とマズイだろう。今でも噂になっているようだし、教室の中でいきなり、名前呼びは、他のクラスメイトに驚かれるのは確実だし、慎や俊司にからかわれることは確実だ。それに俺が非常にハズい。
「私は宗太って呼ぶから、私のことは結菜って呼んでくれていいんだよ」
おいおい、俺1人でもマズイのに、お前のこと名前呼びなんてしたら、噂がよけいに拡大するじゃね~か。お互いに名前呼びなんて、彼氏、彼女と間違われても仕方ないぞ。絶対にクラスのみんなに突っ込まれる。学校にいる朝霧ファンに殺される。殺意の視線に囲まれて生活するのは嫌だ。お前、ちょっとは自分が学校で有名人の自覚を持とうな。
「・・・・・・それはならぬ」
「どうして、いいじゃん。宗太と結菜。一緒に呼び合えば楽しいじゃん」
楽しいのはお前だけだって。俺は針のムシロだわ。これから学校で生活できないじゃないか。少しは俺の立場を考えてくれ。俺はピラミッドの底辺だぞ。自分でいうのもなんだがダサ男だぞ。そんな学生が目立ってみろ。男子から殺意の視線だけで殺されるわ。女子からも冷たい視線の嵐だわ。
「今から練習しよ。宗太。宗太。はい、私の名前を呼んでみて、はい、結菜、結菜。言って」
「そんなことはできん」
だって女子の名前を呼ぶなんてハズいだろう。俺のようなダサ男にはまだまだ階段が高すぎる。もっとソフトなところから始めてもらえませんか。
「一言、いえば楽になるから。はやく言って、一言いえば楽になるよ」
マスクを取って、向日葵のような笑顔でニコニコ笑って、朝霧がベッドから立ち上がって俺に近づいてくる。固まっている俺にぴったりと寄り添ったかと思うと、俺の腰に手を回してギュッと抱き着いて耳元でささやく。
「早く言って」
オ~破壊力抜群。意識が朦朧とする。頭が真っ白になる。何も考えられない。
「・・・・・・結菜・・・・・・」
なんだ、朝霧を見て胸がドキドキする。なんだか妙に朝霧が可愛く見える。こんなに朝霧が可愛いのは知ってるけど・・・・・・なんか違う。本当に心から可愛い。
「宗太」
朝霧が俺の胸に顔を埋めて目を伏せる。その姿を見て胸がドキドキする。俺は頭が真っ白で今、自分がどうなっているのかもわからない。理性のタガが飛びかける。誰か俺を助けてくれ。
「はいはい。そこまで~。傍から見てる方が恥ずかしいわ。宗太、お前は中学生か。意識をしっかり持て」
「結菜も可愛く迫ってるんじゃないよ。背中が痒くなったわ。それよりアンタ、風邪ひいてないのか。咳も出てないし、熱もなさそうだし、私を心配させて宗太を呼び出させたわね」
「だって宗太に会いたかったんだもん・・・・・・テヘ」
朝霧は俺と瑞穂姉ちゃんを見てフニャリと笑った。瑞穂姉ちゃんは額に手を当てて、首を横に振っている。
俺と瑞穂姉ちゃんは同時にため息をついて、肩をすくめた。




