13話 三日月の夜
げっそりとした顔で教室に登校すると、慎と俊司が駆けつけてきた。
「あれからどうなった。無事に家に帰れたのか?」
「朝霧のお姉さんに怒られたんじゃないか?今日は朝から顔がゲッソリしているぞ」
2人は心配そうに俺の顔を覗いてくる。そんなに心配してくれたのなら、なぜ一緒に朝霧の家に行ってくれなかったんだよ。お前達2人、ダッシュで逃げていったじゃね~か。
「色々あったよ。色々とな。お前達に1つ良い報告をしてやろう。朝霧のねーちゃんな。ガチで美女。酒癖悪いけど、美女。ただ絡まれるとウザい。でも美女。報告はそれだけだな。なんとか解決して家に帰してもらったよ」
「そうか朝霧もきれいで可愛いもんな。お姉ちゃんが美女であっても不思議じゃね~。俺はなんでお前に付いていかなかったんだ~。昨日、逃げて損した~」
俊司、ちょろい。
今度、瑞穂姉ちゃんから連絡があった時は、こいつも巻き込んでやる。俺だけであの酒癖の悪い、瑞穂ねえちゃんの相手をさせられるのは2度とゴメンだ。
「いくら美女といっても朝霧のお姉さんだよな。絶対にウザいことになりそうだから、俺を巻き込むなよ」
さすが慎。何も言ってないのに予測が当たってる。だてにイケメンなだけじゃないな。俊司とは違うな。
俺達が席で雑談をしていると、元気よくピョンと跳ねて、俺の前に朝霧が現れた。自分の席に鞄を置いて、にっこりと笑っている。
「おはよう。九条。昨日は楽しかったね」
ああ、そうでしょうとも、あなた達姉妹は楽しかったと思いますよ。さんざん2人で俺を弄んで、昨日、瑞穂姉ちゃんが酔っ払って、俺にヘッドロックしたことは忘れないからな。いや、大きな柔らかい胸の感触が忘れられません。
昨日、俺が瑞穂姉ちゃんから、朝霧のことで約束させられた後、瑞穂姉ちゃんは缶ビールを何本も開けて、完全に酔っぱらった。俺と猫のソウタとどちらを呼んでるのかもわからない状態だった。どれだけ俺が瑞穂姉ちゃんの玩具にされていても、ニコニコ笑って助けなかった朝霧。
何度もリビングから逃げ出そうとして、瑞穂姉ちゃんにリビングまで引きずられたことか。何度、朝霧に助けてと叫んで手を伸ばしたか、それを全て無視して、姿勢よくお茶を飲んでニコニコ笑っていやがって。
さすがは姉妹。瑞穂姉ちゃんが朝霧に絡みに行くと、上手いぐあいに俺に振って躱していく。お見事だったぜ。
自分の席に座って、俺のほうに体を向けて足を組んで朝霧はフニャリと笑っている。
「お姉ちゃんとの約束なんだから、私のこと1番に考えてくれないとダメなんだよ」
慎と俊司が俺へ視線を集中させる。
「お前、どんな約束して帰ってきたんだよ」
「無茶苦茶、怪しいぞ」
このことは、お前達にも一生言えん。俺は墓場まで、この秘密だけは持って行くつもりだ。何も聞かないでくれ。涙が出そうだから。本当にここで泣いちゃうからな。
「何でもない。朝霧のお姉さんと少し約束事をしただけだ。朝霧の言っていることは聞かなかったことにしてくれ」
朝霧は俺の言葉を聞いて頬をプクッと膨らませている。
そんな話をしていたらHRを報せるチャイムがなった。慎と俊司が自分の席に戻っていく。そして、すずなちゃんが教室に入ってきた。
教壇に立つすずなちゃんのポニーテールが揺れている。すずなちゃんは元気で可愛いな。そんなことを考えている間にHRが終わった。するとすずなちゃんが突然、俺の方を見つめる。
「九条くんと朝霧さんは生徒指導室まで来てください。少し話したいことがあります。用意するものは何もありません。生徒指導室で待っていますから逃げずに来てくださいね」
そう言って教室を出て行った。
生徒指導室に呼ばれるようなことなんかあったけ。あれ?数えてみるとけっこうありそうだぞ。今回はどれで怒られるんだろう?相手はすずなちゃんだ。気軽に顔でも見に行こうか。
俺が席を立ちあがると隣で朝霧も立ち上がった。
「生徒指導室へ呼ばれてるのは一緒じゃん。一緒に行こう」
「お、おう」
俺と朝霧は教室を出て、生徒指導室までの廊下を2人並んで歩いていく。
「あのさ、朝霧、瑞穂姉ちゃんとの約束なんだけどさ。きちんと守るから、みんなに内緒にしてくれないか」
「どうして。私、嬉しいのに。みんなに言っちゃいたいのに。ね~どうしてダメなの?」
「だってさ、お前のことを1番に考えるなんて、ちょっとハズいじゃん。約束は守るからさ。皆に内緒にしてくれよ。頼む。頼むよ。お願いだから」
「本当にアタシのことを1番に考えてくれる?」
「ああ、約束は守る」
向日葵のような笑顔を向けて、朝霧は頷いてくれた。やっぱりお前の笑顔は可愛いな。
朝霧が手を伸ばしてきて、俺の手を握る。廊下には今、誰もいないんだし、手を繋ぐぐらいはいいか。
俺達は手を繋いで、生徒指導室まで歩いていく。朝霧は繋いだ手を振って、嬉しそうに歩いていく。そんなに嬉しいのか。それだったら時々、手ぐらい繋いでやるか。また向日葵のような笑顔を見たいしな。
生活指導室の扉を開けて中へ入ると、すずなちゃんが座っていた。
「いままでここに来た生徒は沢山いるけど、2人で仲良さそうに手を繋いで入ってきたのは、あなた達2人が初めてよ。随分と仲よさそうね」
あ、手を離すのを忘れてた。すずなちゃんの顔が少し怒っている。機嫌を損ねてしまった。これは失敗だ。
「まずは2人共、座って」
俺達、2人はすずなちゃんの対面の椅子に座る。
「今日、呼んだのはあなた達の学校での生活態度です。何回、授業をサボったら気がすむの。このままサボり続けると、単位が足りなくて留年しちゃうわよ。それでもいいの?よくないでしょう」
もちろんよくない。留年なんてするつもりはない。隣で朝霧は口を尖らせている。
「九条くん、朝霧さん、2人は将来について考えているの?大学に進学するつもりはないの?一応、この高校は進学高なのよ。そのことを忘れてない?」
「俺は大学に行きたいです」
「私・・・・・・お嫁・・・・・・大学に行きたいです」
今、お前、お嫁とか言ってなかったか。誰のお嫁さんになるつもりですか?そして何で大学って言いなおしてんだよ。訳わかんね~だろう。
すずなちゃんは今年、高校2年生だと力説する。俺達の成績では今からスパートをかけないと、大学に行けないらしい。
「先生はそれが心配なのよ。これからはサボらずに授業にも出てちょうだい。そして、放課後には私が居残り用のプリントを用意するから、必ず放課後に残ってプリントをしてほしいの。私も協力するからお願い。約束して」
また、すずなちゃんの居残り授業か。帰宅部の俺からすれば、自分の身になることだし、やってもいい。だが、朝霧が何と返事をするかはわからないが。
「俺、居残りでプリントやります。留年するのは嫌なので、サボりも控えます。大学行きたいですから」
「アタシも居残りやるし。私も留年は嫌だし。大学も行きたいし。でも時々はサボりたいな~」
これこれお嬢さん、そこでサボりたいと堂々と言うもんじゃありません。すずなちゃんの立場がないじゃないか。
「あなた達のサボり癖がすぐに治るとは思っていません。でも、このままサボっていたら、本当に留年になっちゃうよ。そうなったら困らない。朝霧さん。ご家族の方にも迷惑がかかるわよ。それでもいいの?」
瑞穂姉ちゃん、怖いからな。俺だったら絶対に怒らせるようなことはしたくない。
「なるべくサボりません。留年したくないし」
瑞穂姉ちゃんには知られても構わないわけか、朝霧、意外と度胸あるな。
「それでもいいわ。じゃあ、今日から居残りね。HRの時にプリント持っていくから。2人とも楽しみにしててね。帰ってもいいわよ。きちんと教室に行くのよ。そのまま逃げちゃダメだからね」
俺達はすずなちゃんに会釈をして、生徒指導室を出た。朝霧は俺と手を繋いで「2人で居残り」「2人でプリント」と変な歌を歌っている。なんで上機嫌なんだよ。
「今回は、きちんと居残りのプリントしろよ。大学行きたいんだろう。絶対に俺のは見せないからな」
「大丈夫。きっちりとプリントするよ。だって九条と同じ大学に行きたいじゃん」
はぁ、いつお前と一緒の大学にいくことになったんだ。それでやる気が出るなら、ま~いいか。考えていることがよくわからん。
「そんなに俺と一緒の大学に行きたいのか?」
朝霧は向日葵のような満面の笑顔でウンと頷いた。ほんとうに笑顔が可愛いな。
「2人で頑張ろうな」
俺達は教室に戻った。既に1時間目の授業が始まっているが、すずなちゃんが担当科目の先生に言ってくれているのか、教室に入った時に先生からのお咎めはなかった。しかし教室の生徒達がザワザワと騒めく。
俊司が大声で俺に叫ぶ。
「2人で手を繋いでどこに行ってきたんだ~。生徒指導室じゃなかったのかよ~」
あ、手を離すのを忘れていた。慌てて朝霧の手を離す。俺は自分の顔が上気するのがわかった。朝霧の顔も真っ赤になっている。
俺は俊司に言い返す。
「ちゃんとすずなちゃんに会いに、生徒指導室へ行ってきたぞ。居残りだってよ。お前も一緒に居残りするか」
俊司が一瞬で黙った。教室内もシーンと静まりかえる。クラスメイト達の目には同情の眼差しがあった。俺と朝霧は自分の席に戻って、椅子に座った。担当科目の先生は何もなかったかのように授業を進めていく。
すずなちゃんとの約束を守るため、俺は必死に授業の内容をノートに書きこんでいった。あっという間に昼休みになった。これほど勉強に集中したのは高校受験以来だろう。肩こった。横を見ると朝霧も首を回している。そうだよな。
さぼり癖のある俺達には、授業をぶっ通しで受けるのはキツイよな。
弁当を持って、屋上へ逃げた。ゆっくりと1人で休みたかった。すると給水塔の梯子から朝霧が降りてきた。もちろん弁当持参だ。考えていることは一緒だったか。
俺達2人は屋上で弁当を広げて食べた。やっぱり屋上は開放感があって最高だ。それに人がいないのがいい。
朝霧が、箸におかずを持って、俺の口に近づけてくる。
「はい、アタシのつくった唐揚げ。あ~んして。食べさせてあげる」
いきなり「あ~ん」ですか。今まで妹にしかしてもらったことがないぞ。まさか現役女子高生に「あ~ん」をしてもらえる日がくるなんて夢でも見ているんでしょうか。
「私のこと1番に考えて。私は今、九条にあ~んをしたいの」
その言葉を言われると痛い。何も言い返せない。俺は諦めて口をあ~んと開く。唐揚げが俺の口の中へ入ってくる。旨い。本当に旨い。
「旨いな。料理の腕、上げたんじゃないか」
「頑張ってるもん」
朝霧は他のおかずも俺にあ~んをさせていく。俺はほとんどのおかずを食べてしまった。でもどれも旨かった。
「朝霧は良いお嫁さんになりそうだな」
「九条に毎日、作ってあげるね」
俺に弁当を作る話ではないんだが・・・・・・朝霧の弁当のおかずをほとんど食べてしまった。このままでは申し訳ない。加奈が作ってくれた弁当だが、おかずを朝霧に進呈する。朝霧は嬉しそうにおかずを食べていく。
なんだか2人で弁当の交換会のようになってしまった。朝霧が嬉しそうだから良しとしておこう。俺達は弁当を食べていく。
2人共、弁当を食べ終わって、黙って青空を眺めて時間を過ごす。どこまでも高い空が気持ちいい。昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴った。弁当を片付けて2人共、階段を降りて教室に戻った。
午後の授業も教師の説明と、黒板に集中するが、腹が満腹になると眠気が襲ってくる。午後の授業は眠気との戦いだった。横を見ると朝霧はキリっとした顔で授業を受けている。負けてられるか。俺だってやる時はやる。
やっと昼の授業が終わり、HRになった。すずなちゃんは約束通り、居残り用のプリントを持ってHRに現れた。そしてHRは10分ほどで終わった。皆は鞄を持ってそれぞれに散らばっていく。
俺と居残り用のプリントの束を渡されて、プリントを見て唖然とした。いつもよりプリントの量が多い。朝霧も気づいたようだ。
「これぐらいしないと、あなた達の遅れている分を取り戻せないの。はじめは大変だと思うけど、頑張ってね。先生は職員室で仕事があるから、何かあれば呼んでちょうだい」
「九条、ちょっとだけ休憩したいし。午後の授業から、ぶっ通しはキツイし。ジュース買ってほしい」
「朝霧のいうとおりだな。俺も休憩するのに賛成だ。自販機で適当にジュース買って来るけど何がいい?」
「九条と同じの」
そういえば俺がコーラ好きなことを朝霧はしっていたな。そういえば最近、朝霧もコーラを飲んでいたっけ。自販機に行って、コーラを2つ買って教室に戻る。
俺達はコーラを飲んで、休憩をすると、プリントの束にとりかかった。かなりの量があるので、今日中に終わるかどうかわからない。
俊司と慎が途中まで教室で、俺達がプリントをやっている様子を見ていたが、まったく終わりそうにないので、先に帰ってしまった。栗本も待っていたが、神楽も赤沢も部活が終わって、一緒に帰っていった。
プリントが終わった頃には、空が真っ暗になっていて、夜になっていた。朝霧は俺のプリントを写さずに、自分の力でプリントをやり切った。今までそんなに頑張った姿を見たことがなかった。やればできる子だったんだ。
俺と朝霧は教室を出て職員室へ向かう。職員室で待っていてくれた、すずなちゃんにプリントを渡した。
「今日はよくやったわね。疲れたでしょう。夜になっちゃったわね。明日から少し量を減らすわ。今日はお疲れ様。気を付けて帰るのよ」
俺達は会釈をして職員室を出ると、1階で靴を履き替えて、校舎を出た。朝霧がぐったりとして俺の腕に絡みついてくる。そして俺の肩にちょんと自分の頭を乗せる。
今日は疲れたよな。お前にしてはよくやったよ。本当に見直した。これくらい甘えてさせてもいいだろう。
俺達は寄り添って校門を出て歩いていく。瑞穂姉ちゃんの言葉を思い出す。「朝霧を守る」。それに、こんな時間に朝霧を1人で、家に帰すわけにはいかない。俺は朝霧のマンションまで送っていくことにした。
「・・・・・・ありがとう。九条、優しい・・・・・・嬉しい」
「瑞穂姉ちゃんとも言ってたな。お前ってナンパされやすいんだろ。お前、見た目がきれいだし、可愛いからな
。男に狙われてもシャレになんね~し。こんな時間に1人で帰らせられない。夜の女子の1人歩きは危ない」
2人は寄り添って、黙ってゆっくりと朝霧のマンションを目指して歩いていく。2人共、黙っているけど、沈黙が嫌ではなかった。妙に安心感があるというか、楽しいというか、言葉にできない感覚だ。
朝霧のマンションの玄関まで送ると、俺の袖をつかんで朝霧が離さない。そして俺が困って立っていると、「私も九条の家の途中まで送っていく」と言い出した。俺達は方向転換して俺の家のある方向へ歩き出した。
今日は星空も見えるし、三日月も見える。空がきれいだ。2人で寄り添って空を見あげる。
俺の家の途中まで、送ってもらうのはいいが、帰りは結局、朝霧が1人で帰ることにならないか。気づくのが遅かった。
「やっぱり朝霧のマンションまで送るよ」
「うん・・・・・・九条、ありがとう・・・・・・散歩、嬉しい・・・・・・」
俺達は寄り添って朝霧のマンションまで歩いた。マンションの前で、また、俺の服の袖を持って離さない。
「明日も会えるだろう。暇だったら、後からでも連絡してこい」
「うん。後から連絡する」
朝霧はフニャリと笑って、俺の袖を離して手を振る。
俺も手を振って体をひるがえすと、夜空には三日月が輝いていた。




