1話 居残り
夕焼けが教室の中に差し込んでくる。俺、九条宗太はため息をつきながら、目の前のプリントを1枚でも早く片付けようと必死で取り組んでいる。
今日は、中間考査が終わって廊下に成績表が張り出された日。
赤点ギリギリでしのいだ俺が悪いんだけど、赤点ギリギリでしのいだんだよ。気分よく帰ろうと思っていたのに、担任である久保田鈴奈(通称すずなちゃん)から呼び止められた。
その時、悪い予感しかしなかった。もっと速足で帰っておけばよかった。
すずなちゃんから容赦のない一言。「赤点ぎりぎりだから居残り」
俺の顔はムンクの叫びのように青ざめていたことだろう。それでもすずなちゃんは許してくれなかった。
すずなちゃんは何か俺に恨みでもあるのか、事あるごとに毎回、居残りを言いつけられる。
目の前に積まれたプリントの束を見て、ため息をもう一度だけ吐く。
ぐだぐだ言ってても仕方がない。ささっとプリントを片付けて帰るとしよう。頑張れ俺。挫けるな俺。心が折れそう。
「プリントできた~?早く終わらせてくれないとプリントを写せないんですけど~」
なんというわがまま。そんなわがままが通るとおもっているのか。
俺はジトリと机の上に座ってスマホをいじくっている女子を見上げた。
傍若無人な暴言を吐いた彼女は朝霧結菜。可憐な笑顔で男を手玉に取ることで有名なビッチで、今まで毎月二桁の男子の告白を断り続け、それでも二桁の男子とお付き合いもしている。
最近では大人の男性と付き合いをしているとも噂になっている。
最近の女子高生はすすんでいるな。その中でも最先端をひた走るビッチだ。
今日も肩より少し長い茶髪を揺らせて、シャツのボタンを2つ外している。そこから豊満で形の良い胸が見えそうで見えない。校則で決まっているスカートの丈よりも短いスカートをヒラヒラさせて、机の上に座っている。
そんな可愛い恰好をしているからと言って俺は誘惑には負けないぞ。負けたくない。負けそう。
朝霧は俺と同じように赤点ギリギリだったために、すずなちゃんに居残りを仰せつかった女子だ。だが、いっこうにプリントをやる気配がない。今もニヤニヤしてスマホのを弄っている。ゲームでもしているのだろうか。
時々、長い脚をドタバタと動かしてフニャリとした笑顔で笑っている。
気を抜くと可憐な笑顔に心を奪われそうになる。
そんなに簡単に俺を堕とすことはできないぞ。それにしても可愛い笑顔だな。ダメじゃん俺。
俺と朝霧は授業をサボる癖がある。だって授業って面白い時と面白くない時があるんだから、仕方ないじゃないか。
中学生の時だったら、机に突っ伏して寝ていた所だが、高校になったんだからサボリという特典を使わない手はないと思う。朝霧がどう考えているのかは知らん。
そういうわけで、俺達は毎回、一緒に居残りになることが多い。居残り仲間と言っていいだろう。
「ね~早くプリントを写させてよ。何か言ってもいいじゃん」
必死でプリントをやってんだよ。隣で脚をプラプラしているお前に言われたくない。それにお前に構っている余裕は今のところない。
このプリントの束を見てみろよ。この量、今日一日で終わる量じゃないだろう。たぶん、お前と協力してプリントをやれってことだと思うんだけど。その態度からすると協力するつもりは全くないよね。わかってるよ。
机の上に書き上げたプリントを置いていたら、勝手にプリントを朝霧は持ち去った。そしてスマホを鞄に入れて、席に座ってプリントを写していく。俺の労力を勝手に写すな。
「やればできるじゃん。たぶんだけど、プリント、ほとんど正解してるっしょ」
当たり前だ。プリントを片付けていいというものではない。すずなちゃんが俺達専用にチョイスしてきたプリントだ。ある程度、正解しておかないと、また居残り確定だぞ。それは絶対に嫌だ。
「何か反応してくれないと、つまんないんですけど~」
「すずなちゃんから自分できちんとプリントをするように言われただろう。人のを見るのはダメだろう」
「そんなこと言われても、これってただの居残り勉強じゃん。テストじゃないんだし。見せてくれてもいいじゃん。減るもんじゃなし」
俺だってお前のように脚をプラプラさせてスマホを弄って、ゲームに勤しみたいわ。1人に押し付けるな。ボケ。
おっと、いけない。紳士を自認している俺としたこが、心の中とはいえ暴言を吐いてしまうとは。これは反省。
俺はボランティアじゃね~の。
俺の労力をなんだと思ってんだ。お前に見せたら、俺のマインドが減るわ。
また、机の上に置いてあったプリントを勝手に持っていく。俺はその手を咄嗟に抑えた。朝霧の手がとても柔らかい。肌もすべすべする。
その手の柔らかさと肌のすべすべ感は何ですか。お前は生きているだけで男を虜にするのか。接触禁止な。
俺はすぐさま自分の手をひっこめた。あまりにも危険すぎる。少し頭がクラっとした。
朝霧が俺の顔を見てニヤニヤと笑っている。こいつ俺の心が読めるのか、エスパーかお前は。
「九条。女の子の手、触ったことなかったんだ。柔らかかったでしょう。私の手、お手入れしてるからさ~お肌もスベスベなんだよ~」
クッ・・・・・・悔しいが認めざるを得ない。柔らかくて気持ちよかったです。だからお前、接触厳禁な。
そう言いながら朝霧はプリントを持ち去っていく。そしてプリントを写しはじめる。本当に人のいうことを聞かない奴だ。毎回のことだから慣れてはいるけど・・・・・・本当にこいつ、やる気ないのな・・・・・・
クソ・・・・・・何かというと上手く使われているような気がする。
「九条って浮いた話ないよね。彼女とか今までいないの?」
うるさい。俺は年齢=彼女なしだ。そんなこと人に言えるか。
お前のように異性からモテモテになった記憶は前世の記憶から思い起こしてもないと断言できる。あ~ちくしょう。俺だってモテ期というものを経験してみたい。
「彼女いそうに見えないもんね。女の子の手とか体に触ったこともないの?」
本当に俺のことは放っておいてくれ。女の子を触ったことぐらいあるわ。ただし妹だけどな。あれでも一応は女の子だ。俺は触ったことがある。
目から涙がでてきそうだ・・・・・・クソっ
空しい持論を展開しながら、必死でプリントを捌いていく。
毎回、宿題をやってこない俺が悪いんだけど、いつも担任のすずなちゃんに怒られる。でもすずなちゃんの真剣に怒った顔って、けっこう可愛いんだよな。その顔が見たくて宿題をやってこないというのも半分くらいある。
モテ期のない男子にとって担任でも可愛い女性との触れ合いは大事なんだ。少しくらい癒しがあってもいいじゃないか。
すずなちゅんから毎回、居残りをさせられる。その度に朝霧も一緒になるんだが、毎回、俺がプリントをやって、朝霧がプリントを写すのがパターン化してきている。
朝霧からすると、俺は使い勝手が良いパシリ扱いか。なんだか悲しくなってきた。泣いてもいいか。
毎回のことなので、いい加減、俺も諦め気分になっている。朝霧にかまっている暇はない。まだまだプリントは残っている。さっさとプリントを提出して俺は帰るぞ。
さすが、すずなちゃんだ。俺達の学力をわかってらしゃる。難し過ぎる問題がないので、なんとかプリントを捌いていくことができる。マジすずなちゃんに感謝な。朝霧も少しはすずなちゃんを見習いなさい。
机に向かって集中して問題を解いていく。この集中力がテストの時に発揮されていれば、もっと良い点数が取れていたのではないだろうか。
このプリントって、テスト前にさせてくれていたら、もっと俺の点数って良くなってたんじゃね~の。なんで居残りで出すかな~。今度、すずなちゃんにでも真相を聞いてみるか。簡単に教えてくれるかな~。
テキパキとプリントを終わらせて机の右上に積んでいく。それを朝霧は自分の机に運んでプリントを映していく。まるで流れ作業だ。気にしない。気にしない。
まるで工場のラインのような作業になってきているな。ある意味、俺達の息はピッタリだな。
すずなちゃんも相当に気合を入れてプリントを作ったようで、プリントの枚数はいつもよりも多い。すずなちゃんの努力を無にするわけにもいかないので、俺は無心にプリントをこなしていく。
最後のプリントを書き終えて机の右端に置くと、朝霧がサッと取ってプリントを無心に写していく。
それだけの集中力と労力を発揮できるなら、自分でプリントをやったほうが早くないか。お前は絶対に集中する箇所を間違えていると思うぞ。労力の出し惜しみもたいがいにしろ。
すべてのプリントを写し終えた朝霧はフニャリとした笑顔をして、プリントをトントンと叩いて整頓すると、俺の机の上にさっと置いた。
やっと終わった~。いい汗かいたぜ。今から自販機に行って、飲み物を買ってきてくれてもいいんだぞ。
「ありがとう九条。やればできる子じゃん。これ私からのお礼」
お礼、何をくれんの。本当に自動販売機でジュースでも奢ってくれんのか。
その言葉を聞いて朝霧の方を振り向くと目と鼻の先に朝霧が立っていた。
「さっきの話だけど、女の子に触ったことないじゃん。だから、お礼」
そう言って、朝霧は俺を抱きしめた。
何が起こった。柔らかくて、暖かくて、気持ち良い何かが顔を埋め尽くしてるんですけど~。このまま眠りたい。
それに何、この甘い香り、それに何かホッ安堵させる優しい香り、ハァ~一瞬で疲れが癒される。心地よい香りが鼻腔をくすぐる。
俺は一体、どういう状態になっているのでしょう。心臓だ段々とドキドキしてきた。まさか朝霧に抱きすくめられてる~
マジか。マジですか。これで俺も童貞卒業か。
俺が感じていたように朝霧に頭から抱きすくめられていた。
ちょう~ドキドキする。心臓がドキドキする。顔が熱くなるのがわかる。これって非常に恥ずかしい。なんとかしなきゃ。早くなんとかしないと、誰かに見られたら大変だ。
それにこのままだと俺の理性が吹っ飛びそうだ。野獣になってもいいですか。
俺は何か掴むものはないかと朝霧の方へ手を伸ばすと腰に手が触れた。
なんだこれ。折れそうなほど細い腰。それに柔らか~。
「ガラガラ」
「あなた達、何をしてるの?」
咄嗟に朝霧の体が俺から離れる。間近に朝霧の顔を見るとフニャリと笑っている。俺は恥ずかしさで顔をあげることができない。
声からするとすずなちゃんだろう。
「九条くん、顔をあげて状況を説明して」
おそるおそる顔をあげると、顔を真っ赤にしたすずなちゃんが仁王立ちしていた。
ヤバいよ。ヤバいよ。すずなちゃんの目が吊り上がってるよ。瞳の奥に炎が見えそうだ。本気の怒りが見える。逃げたい。逃げさせてください。
「九条くんにお礼をしようと思って・・・・・・やりすぎちゃった」
顔を真っ赤にして照れながら朝霧がすずなちゃんに答える。
そうです。これは朝霧のお礼であって。ちょっとしたお茶目なお礼なんですよ。本当です。
「あなたには聞いてません。九条くん!」
「はい。朝霧にお礼をしてもらってました」
すずなちゃんの背後に般若の面が幻視できる。やめて~。すずなちゃん、それ以上、起こると血圧があがるよ。なんて言っても許してくれませんよね。
「あなたがお礼に朝霧さんに抱っこを要求したの?」
「そ・・・そんなことしてませんよ。朝霧がいきなり、お礼だって抱きついてきたんです」
本当です。そんな犯罪者をみるような冷え切った目で見ないでください。これは冤罪だ~。
「お前達、そういう関係だったのか?」
その声は俊司と慎か。なんでお前達がいるんだよ。とっくに帰ったんじゃないのか。
すずなちゃんの後ろからクラスメートで腐れ縁の黒沢俊司と佐伯慎が姿を現わした。
「2人でお楽しみ中だったら、今まで待ってやる必要なかったな。これから、すずなちゃんの説教みたいだし、宗太、俺達は先に帰るわ」
今までいたんだったら、俺を助けてから行けやコラ~。そこは助けるのが友情だろうが。帰ってどうする。帰らないで。
「待ってくれ。俺は無罪だ~」
涙目の俺を置いて、2人はニヤニヤした笑みを浮かべて教室から去っていった。薄情者。
俺と朝霧は机に座って、すずなちゃんの長い説教を受けることになった。
今日の説教はいつもより絶対に長い。勘弁してほしい。
隣に座っている朝霧が何を考えているのだろう。気になる。
応援をよろしくお願いいたします。(*^▽^*)