後編
男の後ろの扉からひょっこり現れたのは、私よりも少し年上の女性だった。染めるのはもったいないと思うような黒髪が特徴的だった。皮のような茶色と空色を基調とした服だった。名札が付いてあり、加々宮と書かれている。
「あ、その服・・・・・・あの店のですか? 川の向こうのカフェの、ええと」
その服は、Tから始まる店のものだった。
「テレスコープ、知ってるの?」
彼女の言ったカタカナ英語の店名は、確かにTから始まっていた。
「はい。この前食べに行きました」
「嬉しい、嬉しいわね。あたし、あの店のウェイトレスやってるの。今はお使いでね、茶葉の仕入れ。あたし紅茶飲んだことないんだけど、テレスコープの紅茶、美味しいでしょ? 淹れる人もそうだけど茶葉もちゃんとしたのを使っているからなんだって。だから、ちゃんとした茶葉を買えるここを贔屓にしてるの。だからね、ここはちゃんとした店だから安心しなさい。変なのは都帳さんだけよ」
彼女はここまで言って、肩で大きく息を吸う。私はうなずきながら「telescope」の意味が望遠鏡であると思い出した。
都張さんは、変だと言われても全く気にした様子はなく、「車が通るよ」と私の自転車を引き寄せるような動作をした。
車が通り過ぎたのをきっかけに、加々宮さんは店内にある時計に目を向けた。
「都張さん都張さん、店に戻りましょうよ。あたし、そろそろ帰らなきゃ。あなたも入るでしょ? ええと、お名前は?」
「佐原です。佐原那実」
「佐原さん。あ、私から名乗るのが礼儀だったわね。加々宮あしたよ。今日明日の明日と同じ音だから、あんまり好きじゃないんだけど」
明日という言葉は好きよ、と彼女は名刺をいじる。
「佐原さんも、入るでしょ?」
もう一度問われて、
「あ、はい」
彼女の話し方は、断ることを想定していないようで、それに吊られて私は返事をした。
都張さんの杖のリズムは、初対面の時と全く同じだった。
二人がなにやら作業をしている間、店内を散策する。紅茶は大小様々な缶に入れられていて、その1つ1つにラベルが貼ってあった。今私の家にあるダージリン。それからアッサム、アールグレイ……。
アスタリスクはどうしているかと、入り口から窓を見る。店内にいなかったので、外のいるのかと入り口の扉から外を覗いてみても、いなかった。
「どうしたの?」
キョロキョロしている私を不信がってか、加々宮さんに声をかけられる。
「黒猫がいなくなってます」
「黒猫? そりゃあどっかに行くでしょ」
まるで、私が店の外で猫を見つけたような言い方だった。
普段から店に通っているらしい彼女だが、知らないのだろうか。さっきまで店にいたのに。怪訝に思っていると、都張さんが口を開いた。
「ああ、アスタリスクのことか。君は見たことないだろうけど、ここにずっといる黒猫のことだよ」
「え、ネコ飼ってたの? 知らなかった」
その子に嫌われているのかなー、と続けた彼女が、エプロンに取り付けられた大きなポケットから薄い財布を取り出すのを見て、私はまた店内を散策する。
5
それは、気付けないくらい自然にあった。茶葉の入った缶が並ぶ棚の中で、あきらかにそれは違うのに、気付いたときには少し通り過ぎていて、戻らなければいけないくらいだった。
店内の棚は缶の種類ごとに、立方体の形に区切られていた。店の壁一面にある棚のちょうど中央。レジの目の前。黒い箱が隙間無くそこに収まっていた。なぜ今まで気が付かなかったのか。店内を二周三周した後だった。
箱には二周りほど小さい扉が付いてあって、おそらく何かを入れられるようになっている。左端の下から5cmのところには、直径2cm、奥行き数㎜のくぼみがあり、扉の右上にもくぼみと同じサイズの小さなレンズが嵌め込んであった。それは、何も見えない望遠鏡のレンズみたいで、この世の物ではないような美しさがあった。
長い間それを見つめていたようで、実際はそれほどの長さでもなかった。会計を終わらせた加々宮さんの声で引き戻される。
「じゃあね、佐原さん。もう少し話したいけど怒られちゃう。だから、また会いましょうね」
「あ、はい」
ひらりと手を振る加々宮さんに、私は軽く頭を下げた。
彼女が箱に気付いていないのは目線ですぐにわかった。気付いていたら、どんなに時間がなくても一言二言それについてなにかしてから帰りそうな、話好きな人だ。
都張さんは違った。
「それ、気付いた? 気付いちゃった?」
とても楽しそうな、きらきらした顔で彼はカウンターから出てきた。その表情を見て、初老に見えるのは服装だけで、実際はもっと若いのではないかと思った。声が若いのはカフェの時から知っていたが、あの時は顔をよく見ていなかった。
杖が床を鳴らす音も、楽しそうに聞こえる。
「何ですか? これ」
私は箱を指差し聞いた。
「これはね、ポストだよ。僕が適当にそう呼んでいるだけなんだけど」
「ポストですか?」
都張さんが名付け方は本当に単純だ。
「そう。変なものがたまに届くんだ。そして僕も、この世界で僕が好きなものを送っている」
「この世界のもの?」
都張さんが考えるには、これはこの世界と別のどこかとを繋ぐもので、紅茶屋以外の場所にも同じようなものはいくつか存在するようだ。なぜこのようなものがあるかは不明。箱の存在に気付く人と気付かない人の差もわからない。いつのまにかそこにあって、どこの誰ともわからない、人かどうかもわからない相手とやり取りができるのがこの箱らしい。知らない人と文通をしているようなものだと都張さんは言う。レンズの部分が淡く光れば何かが届いたという印で、このやり取りを続けるも続けないも、レンズの光を無視するのも全て自由。彼はこの存在について深く考えず、単なる好奇心でこのやり取りを続けているそうだ。
都張さんよりも変わった存在のポストだが、これらの話を信じさせるだけの魅力がその箱にはあった。この話が本当ならば、カフェのブランチで始める一日よりもっともっとすてきだ。
「届くものは、今の技術じゃ作れないものばかりだよ。巧妙な機械というよりは――昔読んだ本の中に登場しそうな、魔法の道具みたいな感じ。でも、そのほとんどはしばらくすると、魔法みたいな力を無くしちゃうんだけど」
「すごい、どんなのが届くんですか?」
「そうだねえ。宙に浮くランタンとか、最後のページまで捲るたびに内容が変わっていく本とかかな。本は、今はただの白紙の紙束になって、力尽きたランタンはあそこにぶら下げている。こうなればこっちの世界でも作れてしまうね」
彼が示した先、表側の入り口に手のひらサイズのランタンがぶら下がっていた。
その下、板張りの床をトトッと歩く、小さな足音がする。アスタリスクだ。
「帰ってきたみたいだね。実は、アスタリスクもここから出てきたんだ」
「嘘」
私の目を見てアスタリスクはニャーと鳴いた。
「嘘みたいだけど本当なんだ。ずっとぐるぐるしているのも、何か訳があるんじゃないかな。それ以外は普通に成長していくのを見ると、向こうの世界のネコもこちらとあまり変わらないようだね」
「でも、何で周っているんでしょうか」
彼曰く、動けるときは常に周っているそうだ。今も、飽きずにぐるぐる回っている。
「さあ・・・・・・telescopeの茶葉の残量がわかるから、とかだったらおもしろいね。今まで一人と一匹は一回も合ったことないんだから。あ、そうじゃなくて、あの子の居場所がわかるのかなあ・・・・・・」
残量が見えるとはいったいどんな感じなのか。茶葉の道があるのか目の前に茶葉がぶら下がっているのか、はたまた全く別のものを見ているのか・・・・・・。
「そうそう、気付いたならね、いいものをあげなくちゃ」
都張さんはどこからともなく銀色の物を取り出した。いつかテレビで見た、何もない空間から物を取るというマジックによく似ていた。
「この日のために、ずっと練習してたんだ」
彼の手にはコインが握られていた。
「君がカフェで僕に教えてくれたコインだよ。その時、もしかしたらポストを見つけられる子なんじゃないかと思ってね。だから僕は名刺を渡したんだ。今日はこれをどうぞ」
「は、はあ」
コインに彫られた模様は消えかかっていたが、箱に描かれた模様に雰囲気がよく似ていた。
「このコインは何なんです?」
「扉を使う時に必要なんだ。まあ、もう少し説明しよう。もっと、きっと君に関係することだ。なんてったって、君は新たな扉の持ち主になるかもしれないんだから」
6
「え?」
「扉がいくつもあることはさっき言ったね? そのうちの一つ、僕はこれをポストと言っている」
都帳さんは扉をぽすぽすと叩いた。
「以前、僕も君と同じように扉を見つけてね。その時、ちょうど今みたいにいろいろと教えてもらったんだ。忘れてしまった部分もあるけど、忘れていないことは全部君に言ってしまおう」
壁掛け時計の音がする。
「誰かの扉を見つけた人間はこれから高確率で、同じような扉を見つけるんだ。でも、ただ見つけるだけじゃ扉は使えない。使うためにはコインがいる」
私の手の中にあるものをちらりと見た。そして、箱を指差す。丸いくぼみがあるところだ。
「扉を開けるための鍵みたいな物なんだ。ここにはめ込むと、扉の開け閉めができる。ところが不思議なことに、扉一つにつき、使える人は一人なんだ。だから、君がここにコインをはめたところで何も起きない。試してみる?」
言われたようにして扉を開けてみるが、びくともしない。
「・・・・・・本当だ。サイズはちょうどなのに」
次に、都帳さんもポケットからコインを取り出してはめ込む。
私の時とは違い、かちりと音がして、何の問題もなく扉が開く。中も真っ暗で、何も入ってなかった。
「ほらね。君が扉を使うためには誰も知らない扉を見つける必要がある」
「今、僕は返信を待っているとこだから今日はこのまま閉じよう。連続で送ってこられても向こうがびっくりするだろうから」
扉が閉まると、コインは都張さんの手のひらに落ちた。
「この前は何を送ったんです?」
「何だっけ、小型ナイフだったかな。アスタリスクが咥えたまま歩いていたからね、危ないし、僕使わないからそのまま送っちゃった。ああ、贈り物だし一応ちゃんと磨いたよ」
「わりと適当なんですね・・・・・・。おまけに物騒」
「装飾がちょっぴり豪華だったから、いいかなって。いつもは違うんだよ。いつもはもっと、なんというか・・・・・・いや、うん、いつもこんな感じだ」
「やっぱり適当じゃないですか」
仕切りなおしだとでも言うように、杖をトトンと鳴らす。
「と、まあ、つまらない説明は終わりだ。君に渡したコインはこの前送られてきた物と一緒に入っていたから予備はないからね。なくさないように」
私は手のひらの物を、ぎゅっと握った。
壁掛時計が間抜けな音楽を奏でる。12時だ。
「ん、お昼だ。君はもう帰るだろう?」
「ああ、そうですね。そうします」
コインをなくさないうちに、早く仕舞ってしまわないと。今はとりあえず、鞄の中に。
アスタリスクがいるのとは、別の扉に向かう。後ろから杖の音が突いてくる。出口まで見送ってくれるらしい。
「じゃあ、また何かあったらおいで」
「次は茶葉を買いに来ようと思います」
自転車のハンドルは、春の光でじんわり暖かくなってた。
「いいね。なら、次は美味しい淹れかたを教えてあげよう」
私が自分の扉を見つけたのはもう少し後だ。その中で私が得たものは、確かに人生を180度変えたのだが・・・・・・この時すでに、私の人生は別方向に向いていた。
お読みいただきありがとうございます。この話、元はリレー小説として進むはずだったのです。そのため私自身、前編のあたりまでは別の人に任せるつもりでいました。なので続きを全く考えていなかったため、どうしてもちぐはぐな感じがしたかも知れませんが、一人でリレー小説するとこんな感じになるんだなと思っていただければ幸いです。




