旅の終わり
「ダイゲンはどこに逃げやがった! 出てこい臆病者!」
ザーガッシュが叫びながら、兵士達を切り伏せていた。
他のオーク達は、さすがにザーガッシュほど強くはなく、兵士達といい勝負になっていた。
この本陣から右手の方には塹壕が掘られ、馬では逃げられなくなっていた。オーク達が左手で暴れている以上、逃げる道は正面しかない。
本陣の横を通り過ぎると、左手にまだ無傷の小隊が残っていた。本陣が襲われているというのに、何故その部隊を動かさないのかが不思議だった。そして、彼らが慌てていないという事は、そこにダイゲンは居ないという事も意味していた。
俺達はその何千人かの小隊に見つからない様に、まっすぐ進み、小高い山に登っていく。
果たして、ダイゲンはここを通ったのだろうか。そういう不安にかられながら歩いていると、レオが目の前に現れた。
「近くだ。親衛隊5人と共に居る」
レオが指さした下の小道を、立派な鎧を着た男が一人と、その周りを取り囲む騎士達がこちらへと歩いてきていた。
「レオが連れてきたのか?」
「うん。逃げ道はこっちですってね」
先ほどお逃げ下さいと叫んでいた兵士の正体はレオだったらしい。そのおかげで国王は本陣からも離れ、とっておきの小隊からも離れる事になってしまっていた。
いよいよ大詰め。
俺達は斜面を駆け下りると、ダイゲンとその親衛隊に襲いかかった。
「くそっ! 追っ手か!」
「王様、私とこちらへ」
親衛隊の隊長がそう言ってダイゲンの手を引いたが、ダイゲンはその手をふりほどいた。
「もういいのだ。分かっている。逃げ場所などない事を」
「諦めずにこちらへ!」
「40万の兵を動かし、それを全滅させたのだ。もうハル・ウルゴーには兵は居ない。帰ったところで旧ウルゴー派は手ぐすね引いて待っているだろう」
「私の戦いは終わったのだ。短い王位だった。いや、王などにならなければ良かったのかもしれん」
そこまで言われると、親衛隊長らしき騎士も、困惑の表情で黙ってしまった。
「逃げ落ちるにせよ。まずは私をここまで追い込んだ、この男は殺さねばならんな。シェイ=クラーベとやら」
ダイゲンがそう言い、マントと盾を捨てて剣を構えた。
その顔は手慣れた戦士の顔つきであり、血の匂いしかしない非情の剣だった。
「どうなのだ? これでスラニルは救われるのか? 本当にそうなのか? お前達はどれだけの数のアウトサイダーを戦いに引き込んだのだ? このミドル・サーンは再び混沌に落ちる事になるぞ?」
「俺は……何も深く考えてないんだ。ただ、自分が生き残り、そして仲間が行き残る事を考えていたら、ここまで辿り着いたんだ……」
ダイゲンが紋章の彫られたブロードソードを両手で構え、右へ半歩ずつ歩みながらタイミングを伺っていた。その足裁きも気迫も、隙の全く無い構えも、王と呼ぶには荒々しすぎた。
「ダイゲンさん……あんたおかしいよ。自分で何を言ってるか分かってるのか? 異世界がどうとか、混沌がどうとか、そんな事の為に、何万人もの人を殺してきたのか?」
リヒトの白い光の刃に気力を注ぎ込んだ後、俺は右手にリヒトを掲げ、左手に魔弾を充填させつつ、大きく腕を開いて構える。そして背中には魔力を力へと変化させるエンパワー・トランスフォームの魔力の羽が禍々しく展開していた。
剣聖が武器の道を究めた戦士であり、力の象徴ならば、エルドリッチ・ナイトは剣に魔力という力を与えた混成力の象徴であり、ともすれば死の狩人にも見えた。
「お前こそ、自分が生き残る為に、どれだけの人を殺したのだ?」
「俺は、俺が生き残る為に他人を殺した事はないよ」
「馬鹿な……それは単なる屁理屈という奴だ。人は生き延びる為に人を殺す。そうしなければ殺されるからだ」
「違うね。俺が誰かを殺さなきゃいけない時は……何かにケジメをつけなきゃいけない時さ」
幾多の人間を斬り捨ててきた男に、幾多の人間を斬り捨ててきた俺が斬りかかる。
ダイゲンの言っている事は正しいかもしれない。皆、そうして毎日を生き延びている。
しかしそれは、自分を正当化する為の言い訳でしかない気もする。
ダイゲンの持つ剣とリヒトの剣の刃がぶつかり、軋み、小さな火花を散らす。
互いに眼前の敵の顔を睨む。互いの人生の転機となった男の顔を。
ダイゲンがスラニルに来なければ、ロディット卿は剣王を呼ばなかったかもしれない。
シェイという見習いの魔法使いが居なければ、剣王は助力せず、ダイゲンは容易くスラニルを占領していたかもしれない。それも比較的友好的に。
しかし、現実はそれを許さなかった。俺とこの男は、あの最初の戦場の時から、どちらかが死ぬまで戦う事を運命づけられた。もしかしたらそれは旅の途中だったかもしれないし、門閥貴族達に倒されていたかもしれない。そうならない為に俺達は生き延び、ここまで来た。
だが一つ、俺とダイゲンには大きく違う所があった。
「あんた本当は、死ぬのが怖いだけなんだよ」
ダイゲンの目を見て俺がそう言った時、リヒトが小さく呻いた。
ダイゲンはその言葉に対し、怒りの光を瞳に宿した――この私が、この戦士の長たる俺が――『死ぬのが怖い』だと!?
光の剣がダイゲンの剣を砕き、そしてその身体に刀身を埋め込んでいく。
己が身体を切り裂いていく光迅の刃を、そして宙に散る血しぶきを、ダイゲンは大きく目を見開いて見ていた。
「いつか……こうなる時が来ると……」
身体を斜めに裂かれ、右腕がぶらりと力を無くして剣を取り落としても、ダイゲンはまだ倒れなかった。
「それが剣を持つ物の宿命……その宿命から逃れ続け……王の衣を纏うまで至ったが……死から逃れる事は出来なかったか……」
そこまで言うとダイゲンは力尽きて、その場に膝をついた。地面の上にしたたり落ちる自分の血を見た後、薄く笑って自分の血だまりの中に突っ伏した。
最後まで戦士であり、王と呼ぶには返り血を浴びすぎた男だった。
「生きるってのは……楽じゃないよな」
それが目の前に倒れた戦士への、俺なりの弔いの言葉だった。
周りで戦っていた親衛隊達は、崩れ落ちたダイゲンの姿を見て剣を降ろし、黙祷していた。
「あんた達、王を守るのが仕事なんじゃないのか?」
リュージがそう言うと、親衛隊長が答えた。
「守るべき王はもう居ない。その光の剣の持ち手が言った通りだ。ダイゲン”中将”は死ぬのが怖かったんだ。だから、生き延びる為に、殺し続けてきた」
「……この人は、本当に王様だったのか?」
「いや……そういう肩書きを背負わされた、一人の戦士だったのかもしれない……戦いは終わった。行くが良い、スラニルの英雄達よ」
「急ごう。我々はまだ命ある戦場の皆に、敗北と撤退を伝えなければならない」
そう言うと、親衛隊長は軽く一礼をした後、ダイゲン王の亡骸をかかえて俺達の前から去っていった。
こうしてスラニルはウルゴーの侵略を撃退し、逃れる事が出来た。
親衛隊長はダイゲン国王が死んだ事を皆に伝え、戦いを終え、退却するように指示していた。
敵を撃退したパラゴンナイト達とドラゴニアンナイト達は、彼らの居た滅亡戦争の時代へと戻っていった。戻った先に死と滅亡しか待っていなくとも、彼らはそれを恐れてはいなかった。
赤竜ヴィスカスの目論見は、滅亡戦争時代の戦力をこの世に呼び出し、ドラゴンポリスを取り戻し、巨人族の呪いを解く事にあった。しかし、今のドラゴンシャードの力では、ほんの一部しか呼び出す事は出来なかった。
スラニルの周りの平原は、血に染まった地獄の様な有様だった。
何しろスラニル国民の数よりも、死体の方が数倍も多いのだから、無茶苦茶な戦場だった。
サゴシとエル・カシの援軍達は、まずは味方の遺体を探す事に専念し、これ以上は捜索しても無理だという所でケジメをつけると、自分達の国に戻っていった。
スカルバッシュ軍団の被害は、さほど大きくはなく、ザーガッシュはダイゲンの死体を一目でも見たかったと悔しがっていた。
彼らはまたボーグルの森に戻り、公道の治安と奴隷商売を続けるだろう。
「わらわはねぐらへと戻る事にしよう。此度の傷は痛いばかりでなく辛い事も多い。あの時の無い部屋で、傷が癒えるまでは眠るとしようか」
ヴィスカスはそう言うと、リヒトから返せるだけの魔力を返して貰い、大きくなったドラゴンシャードを受け取って、去っていった。
今後、彼女の姿を見る者は居なくなり、そしてまた伝説上の存在として語られる事になるのだろう。
魔法使いの俺と――
天空の剣リヒトの――
レッドドラゴン討伐の旅はこれで終わった。