ポイズン・ブラッド
ヴォンヴォンヴォン……という、どこかで聞いた音が遠くで響いていた。
それと心地良い振動音。身体が小刻みに揺り動かされる感覚。
どのぐらい眠っていたのだろうか……今、俺はどこにいるのだろうか?
身体が妙に軽い……服を着ていない。俺の身体は冷え切っていて冷たく、そして誰かの熱い身体がぴったりと俺の身体にくっつけられていた。
(なん……だ……?)
ひどく身体が重い。手足が痺れて動かない。薬を飲まされたのだろうか?
俺の身体には毛布が掛けられていて……目を開けると、木の天井が見えた。
しかしこれはマングスタの宿じゃない。
匂いが……油と蒸気の匂い。汗の臭い……。
首を少し動かす事が出来たが、それだけだった。
狭い部屋に閉じ込められている。何があったのか。
「……ご主人様。気がついたか」
その声はレオの声だった。俺の身体から熱い身体が引き剥がされていく。
そして俺の身体にかけられていた毛布も引き剥がされた。
首を動かして、レオの方を見ると、彼女の顔がぬっ、と眼前に迫ってきた。
そしてそのまま俺の唇に唇を重ねると、温くて苦い液体を口の中に無理矢理流し込んできた。
「う……ぐっ……げほっ……うう……」
薬だ。痺れ薬を飲ませているのはレオだった。
俺を殺す為だろうか? 何故それなら痺れ薬なのか?
考えが纏まらず、また、意識が遠のいていく……。
遙か上空から地上を見下ろすと、いくつもの光の線が交差していた。
光の線は直線で、他の光の線と直角に交わり、グリッドを形成している。
遙か遠くでは、沿岸に光の網で作られた街の様な景色があった。
「毒だよ。お前、毒を喰らったんだ。覚えてないだろう」
誰かがどこかからそう話しかけてきた。
「スノーミュートって知ってるかい? ちょっとした仕掛けって奴だ。似てる。色々とね。お前さんは危うく仕掛けにのる所だった」
視界がぐるんぐるんと周り、空と地上が逆転する。
スノーミュートと言われても、何の事かわからない。
仕掛けとは何か。毒を盛ったのはレオではないのか?
「あの時、背中で毒の刃を受けただろ。リヒトで。それでお前さんは避けたつもりだった。でも、毒はあんたの身体にくっつき、傷口から感染しちまったのさ。ウイルスみたいなもんさ」
そう言われて理解した。アナセマの戦士を降伏させたあの時。
毒の直撃を受けはしなかったが、二次感染を起こしたのだった。
だとするとレオが俺に飲ませたのは解毒剤になる。
「もっと頑張ってくれよ。こんな事で死ぬんじゃない。何の為にお前にチャンスを与えたと思ってるんだ。旅人の神の手を何度も患わせるな」
混沌の神。サングマの神殿で出会ったあの神が助けてくれた。
理由は簡単。まだ俺がヴィスカスを倒せず、ドラゴンシャードを手に入れてないからだ。
「お前一人が死んでも駄目だ。お前は何万人という人間の血と肉をばらまくんだ。さぁこっちだ、お前が望んでなくとも、お前のクソッタレの肉体の中に、その魂を詰め込んでやる」
おそらく俺はアナセマの毒によって死の淵を彷徨い、そしてダークシックスの神の一人に助けられた。
レオは看病をしてくれていたのだろう……。
(どうして、レオが……?)
次に意識が戻った時は、もっとはっきりとしたものだった。
冷たくなっている俺の身体。その身体にぴったりとくっついている熱い身体は裸のレオだった。
「レ……オ……?」
「ああ、随分顔色が良くなったな。もう大丈夫か」
まだ全身に気だるさがあるが、身体はいくぶん動かせた。
上半身を持ち上げると、レオは恥ずかしそうに自分の身体を毛布で隠した。
「ありがとう……看病してくれたのか」
「……私でなくてはできない事だったんだ」
「俺は……アナセマの毒にやられたんだろう?」
「そうだ。気づくのが少し遅かった。マングスタで休みを取った時は、毒はまだ効いて無かったんだ」
「タルキス船長が夜中に着いた時、ご主人様を起こそうとしたら、毒が回り始めていた。船長は一発で見抜いてね、なんだい毒をくらってるじゃないかって。これはすぐ死ぬよって」
「私は毒の作り方も解毒剤の作り方も知っている。だから、アナセマの戦士から毒をわけてもらい、血清を作ってそれを飲ませていたんだ」
「そこまでしてくれたのか、すまない」
「毒は口移しだと感染する恐れがあるから、毒の効かない私が飲ませる役目をした。あとは体温が常に低下してしまうから、暖めた」
「身体で暖めたのは私だけではない、リヒトもキュネイも代わり代わりに手伝った」
「おかげで助かったよ、皆にも礼を言わないと」
「そうだな。皆、喜ぶ」
レオは部屋の端まで行くと、そこにおいてあった自分のマントを羽織り、俺に毛布をかぶせてから、部屋の外に出た。
それからほどなくして足音がし、扉を開けて皆が入って来た。
「シェイ、大丈夫か? すまない、また守れなくて……」
皆を押し退けて一番に飛びついてきたのはリヒトだった。
彼女は寝ている俺にしがみつくと、涙に濡れた頬を俺の顔にこすりつけながら、何度も謝った。
「リヒトのせいじゃないから……」
そう言っても、冷静に聞く様な状態ではなさそうだった。
「ごめんなさいシェイ様。私の魔法では治癒出来ない特殊な毒だったんです」
そう言ってセリーナスも頭を下げるが、彼女のせいでもない。
「せめて水浴びでもして身体に着いた毒を洗っておけば良かったな」
リュージが頭をかきながらそう言った。
リュージが無事だったのは、セリーナスの手当をうけ、きちんと傷口の消毒をしていたからだろう。
そんな風に清潔にするのもまた、大切な事なのだと思い知った。
「ここは……ブラッドムーンか……俺は何日ぐらい眠ってたんだ?」
「四日ぐらい」
泣き止んだリヒトが子供が甘える様に、俺の身体にしがみつきながらそう言った。
「キュネイは?」
姿が見当たらないので尋ねると、今は休んでいるという事だった。
レオが担当する前はキュネイが肌を暖めていてくれたらしい。
「お、俺は抱きついてないから、安心しろ」
とリュージが苦笑いしながら言った。
「わ、私もちょっと、恥ずかしくて……すみません」
「温かいタオルを身体に当てても、毛布で包んでも駄目だった。ただ抱きついているだけでも、どんどんシェイの身体は冷えていく。そういう毒だった」
「タルキス船長が教えてくれたんだ。死の世界、ドールラに引き込む毒なんだとよ。身体を温め続けないとそのうち心臓が止まって、それで死んでしまうそうだ」
「解毒出来るまで身体を温め続けないと、私の身体みたいに冷たくなるよって。だからリヒトとキュネイとレオで暖め続けた」
あらかたの事情を察した所で、俺に言えるのは感謝の言葉しか無かった。
しばらくは、皆の謝罪の言葉と俺の感謝の言葉のやり取りが続く事になった。