闘技場の主、マスターゴージ
床にはネズミが走り、時々開いている隙間には、食べ物の残りや、或いは食べ物になってしまった何者かの一部が挟まっていた。
匂いも酷く、汗と腐った物の匂いと、糞尿の悪臭が漂い、それを時折吹く風が流してくれた。
船長はまっすぐ闘技場のドームへと向かう。
昇降機を降りた後、ドームへと続く道はメインストリートになっていて、横に武器防具の店、雑貨店、食料品店、そして賭場とギャンブル場が並んでいた。
中層部では女性の姿もちらほら見えたが、ここでは殆ど見る事は無かった。
希に、その辺りの男よりも怖そうなお姉さんが立っているぐらいだった。
周囲の男達の視線は、タルキス船長とリヒトに注がれていたが、さすがに大物だけあって、誰も近寄ろうとはせず、遠くから見ているだけだった。
闘技場のドームの入り口まで近づくと、船長は中へと入らず、裏手へと回った。
それが何故かは既に分かっている事だった。
ドームの裏側には、何人かの闘技場の闘士達が自己鍛錬を行っていた。
基礎訓練をする者、剣の素振りをする者、格闘術を繰り出す者、それぞれが己の勝利の為に身体を鍛えていた。
それらの闘士達の横を抜け、人一人分の小さな扉を開けると、船長はその中に入っていく。
扉の中には左側へと曲がる下り階段があり、丁度90度曲がると、闘技場の地下に出た。
そこには、鉄の檻と、無数のトレーニング用の人形や鉄の柱、そしてベンチがあり、何十人もの闘士達が真剣にトレーニングをしていた。
外の闘士達はまだまだ下っ端で、この地下の施設にすら入れないのだろう。
ここの闘士達は二回りほど体つきが大きく、もう何百戦も戦ってきた様な貫禄があった。
彼らは己の勝利の為ではなく、もっと純粋に、敵を倒す為に身体を鍛えていた。
その真剣さは、美貌の吸血姫が入って来ても、一瞬、誰が来たのかを確認するだけであり、惚ける者は誰も居なかった。
ドラが鳴り響き、そしてどこかから声が響く。
「赤チームの闘士は元騎士団隊長のブラッドナイト! 対する青チームは元盗賊団の首領、ブラッドネイル! さぁ、騎士が勝つか牙が勝つか、お楽しみ下さい!」
そういうアナウンスの後に、レディ、ゴーの賭け声がかかり、そして観客の歓声が鼓膜を破りそうになるほど聞こえてきた。
キュネイとセリーナスは思わず耳を抑えて、嫌な顔をしていた。
闘士達は、アナウンスを聞いて、誰と誰が戦うのかを確認した後、また、自分のトレーニングに戻る。
それらの生ける凶器の中をタルキス船長は進んでいき、一番奥の部屋に着いた。
「常夜の姫が何の用だ? お前を闘士にするつもりなんてないぞ」
「マスターゴージ。今日は頼みがあってきた」
「お前さんが? 俺に? 頼み? 何か特別なショーでも見たいのか?」
「そうだ。その為に、こいつらをトレーニングして欲しい」
「……?」
俺、リュージ、ロアックが進み出て、スカルバッシュの頭領からもらった人形を見せた。
「こいつはバトルマスターの……ほう、あいつ、まだ生きてたか」
「私も修行する」
リヒトはそう言ったが、タルキス船長がそれを制した。
「お前は武器だ。武器は闘士にはなれない。お前とキャットエルフ、ライトブリンガーは私の側に居ろ。それがこいつらの為にもなる」
「そうですね。船長の加護がありますし、人質にもなりましょうから」
セリーナスがそう言うと、船長はあまりいい顔をしなかった。
吸血鬼である以上、仕方の無い事だが、光の国の使いであるセリーナスは船長の天敵だった。
「魔法戦士、拳闘士、それにコボルドの騎士か。こんな奴らを鍛えてどうする? こいつらを今のチャンピオンと戦わせるつもりか?」
「いやいや、そいつらにはヴィスカスの首をとってきてもらう」
「……レッドドラゴン、ヴィスカス? 本当に居たのか?」
「ああ、ラー・ライラット三世と一緒に」
「伝説の赤竜にリッチキングまでセットか! そんな地獄の悪魔が束になっても勝てない奴らとこいつらを戦わせるつもりか!」
「そうだ。私は出来ると思っている」
「ほう……へぇ……あんたの頼みだ。闘士として面倒を見るのは引き受けた。ただし、そいつらがへたばったり、勝手に死んでも、俺は知らんぞ」
「使い物にならない時は、私が殺す事になっている」
「一方通行ってわけか。ならそれでいい」
「金は後で持ってくる。ついでに異国の酒も土産に入れておこう」
「この俺に土産なんて、あんたらしくももねぇ」
それだけ言うと、船長は俺達には何も言わず、リヒト達をつれて戻っていってしまった。
俺達三人はその場に残され、何をすれば良いのかさえも分からなかった。
目の前のゴージという中年の男は、ベンチに座ったまま俺達を無視していた。
「おいおっさん、俺は気が短けぇんだ。どいつをブッ倒せばいい?」
戸惑っている俺とは正反対にリュージがぶっきらぼうにそう言った。
「は? 何、寝言言ってやがる。外で腕立て伏せでもしてろ」
ゴージがそう言った時、リュージは近くにいた太った戦士の軽鎧を掴み、いきなり引き倒すと、その場で回し蹴りを入れて壁へと吹き飛ばし、すかさず縮地で壁に埋まった戦士の目の前に着地して太い腹に右腕を叩き込んでいた。
壁を含め、闘技場の地下が振動で震え、皆が一瞬、リュージを見た。
壁に埋まり込んだ太った戦士は、既に息絶えていた。
「おいおっさん、もう一度言うぜ? 俺は気が短けぇんだ。次はどいつだ?」
リュージのその気迫を見て、自分も思い直さなくてはいけないと気づいた。
タルキスの側では大人しくしている方が良いが、この闘技場では大人しくしていては、永遠に先に進む事は出来なかった。
「馬鹿野郎! ここにはここのルールがある! アリーナの外でやるんじゃねぇ! おいおい頼むよ、ランク20位のブルストライカーを一撃で殺しやがった。このクソ野郎が」
「じゃあ俺はランク19位でいいんだな」
「はぁ……駄目だ。お前はランク50位だ。これは罰だ。雑魚を倒して上がってこい」
「にゃにい!!! 20位を倒した俺がなんで50位だぁ!? ふざけんなジジイ!」
「うるせーよ、黙れ脳筋野郎。お前、名前は?」
「リュージ=ガラン」
それまで俺達を舐めきった顔で見ていたゴージが、その名前を聞いた途端、目を見開いた。
「伽藍、だと? シンの国の伽藍か?」