ようこそデッドフォールへ
船長の号令と共に船内がガタガタと激しく揺れだし、続いてゴゥンゴゥンという不思議な音に変わった。
それはこの船のメインエンジンが始動した音で、ほどなく船はゆっくりと回転しはじめた。
「デ、デッドフォールに行くんですか?」
「ええ、あなた達にはヴィスカスと戦えるぐらい強くなって貰わないと」
「あ、あの、助けるってのはつまり……」
「あなた達に、最高のトレーナーをつけてあげる」
船長は片目を可愛らしく閉じてそう言った。
そのウインクにはチャームの魔法がかけられていて、俺達は一瞬、惚けてしまった。
しかし、すぐに我に戻って、これから自分達に降りかかるであろう災厄を想像し、お互いに見合ってしまった。
「お前達は貨物室で寝ろ。そこしか空いてねぇ。俺達と一緒に寝たいって言うなら、寝室を使ってもいいがな」
おつきの海賊がそう言って笑うと、顎で俺達に出て行けと指図した。
まぁ、海賊が相手では、まともな接客など期待出来ないだろう。
俺達は船員に誘導されて、船倉の貨物室に連れて行かれた。
案内してくれたコンストラクトの船員の話では、この船はブラッドムーン号と呼ばれる船で、海賊達が持つ船の中では中規模程度の船らしい。
その代わりにエンジンは高出力で、とびきりの推進力があり、速度に関しては海賊船の中でも一番だという。
これは諸処の事情があるが、タルキス船長が吸血鬼であり、昼間の移動は迅速にしたい。そして夜間の行動も迅速にしたいという考えからだった。
勿論、船長は元は人間の娘で吸血鬼ではなかった。海賊でもなかった。それがどのぐらい前の事かは知らないが。
デッドフォールに姿を現した頃には既に吸血鬼になっており、仲間を連れていたそうだ。
最初は少人数だったが、さすがに船長が不老不死の吸血鬼とあっては、向かう所敵無しで、すぐに仲間は増えていき、今に至るという成り上がり伝説を教えて貰えた。
「私達はどこに向かっている? デッドフォールとはどこだ?」
「スラニルから、とても遠い北の果てにある島だよ。死の砂漠より更に遠い所にある。普通なら一生行く事なんてないだろうね」
簡単な地図を書いてリヒトに見せると、彼女は明らかに困惑した表情になった。
スラニルから小指の先ほど離れた所がボーグルの森。
そこから同じぐらい離れた所がビオ卿の屋敷。
そこから指二本分ぐらい離れた所がサゴシの街。
さらにその倍離れた所がエル・カシの都。
そこから片手を広げたぐらいに西へ行けば海岸線。
海岸線に到達してから南に向かって片手を広げたぐらいが湿地帯。
そして、海岸線に到達してから北に向かって、片手四つ分ほど北に行った所がデッドフォールだった。
飛空艇でなければ到底いけない所にあった。
「あの吸血鬼はトレーナーとか言っていたが、つまり、また修行するのか?」
「そうなるだろうね。俺とリュージとロアックは、少しでも強くならないと」
「まともな修行なら、いいんだけどな……スカルバッシュのオークから、人形を貰っていたよな?」
「あ、あれは、私が預かってます」
「あれ? どうしてキュネイが?」
「落ちてました」
「……ありがとうキュネイ……」
どこで落としたかさえも覚えてなかった。キュネイが気を利かせてくれたおかげで、もしかしたら少しは『楽に』トレーニングができるかもしれなかった。
ブラッドムーン号の乗り心地は快適で、ブルブルと揺れるエンジンの振動に身を任せていると、それだけで眠たくなる。
この飛空艇でデッドフォールまで、どのぐらいかかるのだろうか。
このまま一眠りして、起きたら到着、なんて楽が出来たらいいのに。
などと暢気な事を考えていたら、本当に翌日には着いていた。
(この飛空艇、どれだけ速いんだ……)
そもそも俺は飛空艇に乗った事もないから、それがどれだけの速さで飛ぶのかも分かっていなかった。
空を飛んでいく船というイメージは、雲の様にふわふわと飛んで行くものだと思っていた。
しかし、本当は鳥や風よりも速く飛んでいるのだろう。
そうでなければ、こんなに短時間で着くわけがなかった。
「おい起きろ、もうすぐデッドフォールに着くぞ」
大人しく貨物室で待っていた俺達に船員が叫んだのは、起きてから数時間しての事だった。
「もう着いたんですか?」
「昼飯に間に合う様にって、船長の命令でね。本当は日の出が出るまでに戻りたかった」
船員は殆ど寝ていないのだろう、疲れが溜まっているのがこちらも伝わってきた。
ふぅ、と大きくため息をつき、片腕を大きく回す。
その様子を見て、セリーナスが軽いヒールの魔法をかけると、船員はひげだらけの顔でにっこり微笑んで、こいつはどーも、と礼を言った。
「やっぱりタルキス船長でも、太陽は苦手ですか」
「そりゃね。でも船の中にいる限りは安全だし、今時はサンシールドって魔法もあるらしいし、それほどびびっちゃあ、いねぇよ」
「サンシールド?」
「光魔法を防御する魔法の道具です。太陽の光は、光魔法に比べれば穏やかなものですから、半減できれば十分かと」
「魔法じゃないんだね?」
「はい、アイリアのアーティファクトです」
セリーナスは軽く小首を傾げながら、そう言った。
アーティファクトとは神の力を持つ強力な魔法の道具。リヒトもその一つだが……手に入れられる事など、普通は無い。
「タルキス船長は、既に異世界のアーティファクトまで持っているのか……世界を滅ぼすほどのドラゴンシャードでさえ、ただの宝石扱いしてた理由が分かった気がする」
「ははは。まぁ、この世の殆どの事には飽きてる方だからな……お前達は幸運だよ。船長の心を動かすネタを持ってたおかげで、こうして生きていられる」
船員のその言葉は実感できた。初めてこの船の船底を見た時、俺達は一様に死を覚悟したし、甲板に昇ってからも、その緊張は解けなかった。
おそらく、ここで自分は死ぬ。死ぬとしても、どれだけの海賊を道連れにできるか。
あの時は、そう覚悟していた。
「気づいてるだろうけど、タルキス船長は味方には優しいぜ? 敵には、生きたまま手足もぎ取って血を吸うほど、容赦ないけどな」
そう言うと、船員は俺達に外に出る様に促した。
外ではデッドフォールが見えたぞ! という叫び声が聞こえていた。
デッドフォール。その名の意味は、死の奈落。
世界中の海賊達が集い、秩序と治安を退け、混沌と強欲を勝ち得た自治区。
常に流血と争いに満ち、死者のでない日は無い。力こそが正義、力こそが法律。
「ようこそ、デッドフォールへ」
甲板に出た俺達に、船員がそう告げた。




