吸血姫、タルキス船長
ダークシックスの本殿を離れた俺達は、生贄の神殿やモディウスの神殿を避け、森の中を進んで船着き場まで戻った。
そして、そこにつなぎ止めてあった奴隷商人の船に乗ると、エル・カシへと戻る事にした。
しかし、一言でエル・カシに戻ると言っても、この船には海図も無く、あったとしても誰も航海の経験がなかったので、あまり役には立たなかっただろう。
結局は海岸線に沿いながら、どこかの港がある所まで戻るしかなかった。
それはまるで漂流しているのと、大して変わらなかった。
食事については、セリーナスの神聖魔法でヒーローズフィーストというごちそうを出す魔法があり、それで十分に満足する事が出来た。
しかし、いつになったらどこへ着くのかという漠然とした不安の中で、波に揺られながら海岸線を辿る毎日だった。
おそらくは一週間、そうして船の中で暮らしていたと思う。
突然辺りが暗くなったので、何事かと思い船の幌屋根から空を見上げた。
そこには、宙に浮かぶ巨大な飛空艇の船底が見えていた。
「こいつは……飛空挺か」
ドラゴンシャードを使った魔力発電が進んでいる国では、その魔力と火の精霊の力を用いて空飛ぶ船を作る事ができる。
飛空挺にもピンキリがあり、わりと誰でも買える小型船から、国家規模の財力が必要な巨大戦艦まで様々だった。
そして、俺達の上に停泊しているのは、大型の戦艦の様に見えた。
「……この船は俺達の為に、止まったのか?」
リュージが俺にそう尋ねた時、いやな感覚と共に俺達は宙に浮いた。
この奴隷商人の船ごと、空中へ引き上げられているのだ。
誰が、いったい何の為に、というワケは、その船の甲板の高さまで船が浮かんだ時に分かった。
甲板の上には人相の悪い連中が何十人も居て、そして船のマストには黒い海賊旗がたなびいていた。
この飛空艇は、海賊達の物だった。
(海賊が……俺達に何の用なんだ……)
数人の魔法使いが念動力でこの船を持ち上げ、そして甲板の上に降ろすと、全員疲れ切った様にその場にへたり込んでいた。
俺達は船の中から、全方向を警戒しながら、海賊達の出方をうかがう。
もし襲ってくるのだとすれば、勝ち目が無くとも、全力で戦うしか無かった。
「お前達、奴隷ではないな?」
とても涼しい綺麗な女性の声が聞こえた。
目の前の海賊達には似合わない、澄んだ声だった。
どこからその声がしたのかと辺りを見回すも、声の主は居ない。
「船長の質問に答えろ。お前達は何者だ?」
目の前に居た、ひげ面の男が、野太い声でそう尋ねてきた。
「俺達は旅人だ」
俺が問いに答えると、再び鈴が鳴る様な女性の声で質問が続いた。
「旅人がどうして奴隷商人の船に乗っている?」
「この船は奴隷商人から奪った」
「ふむ。この船はサングマの島へ行き、ダークシックスへの生贄を運んでいた筈だ。生贄はどこに行った?」
「生贄は逃がした」
「そんな筈はない。自分の意志も持たぬまで洗脳されている筈だ。自力で逃げようとさえせぬだろう」
「……俺が、その生贄だ。悪からの加護の指輪を持っていて、洗脳から逃れた」
「あまり私を甘く見るな。お前の衣服は生贄の物ではない。武装したコボルド、シンタオのモンク、クレリック、ローグ、それに奇妙なコンストラクト。どうみても冒険者」
「本来なら問答無用で殺す所だが、そのコンストラクトに興味がある。一体何だ? 機械でもなく人間でもない。しかし生物ではなく、自立意志を持つ機械だ。こんな物は見た事が無い」
「私は剣王によって鍛えられし武器、天国の剣だ」
「剣王……機甲涅槃界の……? ふむ……分かった。まずはお互い、話し合いから始めようではないか」
どうやら、いきなり殺し合いになる事は免れたみたいだった。
リヒトが剣王の鍛えた武器と聞いて、その力を警戒したのかもしれない。
「穏便に済ませられるなら、こちらもそうしたい」
「魔法使い……いや、エルドリッチナイトだな? お前がグループのリーダーか」
「一応、そんな所だ」
「バッジオ、その者達を私の部屋へ」
「了解です船長。おい、お前ら、さっさと降りろ!」
俺達は急かされて、やむなく奴隷商人の船から甲板に飛び降りる。
海賊の中にはむさくるしい男だけでなく、女性もコンストラクトも混じっていて、キュネイと同じキャットエルフも居た。
どうやら、種族混合の海賊団のようだった。
これだけの船、これだけの人種を纏めているのが、女性船長だというのが、また驚きだった。
しかし、その驚きなど、船長本人を見た時には吹き飛んでしまっていた。
「ままま、まさか……こんな事って……」
船長室は船室の一番奥にあった。
とても豪華でかつ清潔感のある部屋だった。室内は金色に装飾され、壁には花がかけられていた。海賊船の船室というよりは、お姫様の船室だった。
そしてこの煌びやかな船室の一番奥には、真っ黒な棺桶が置かれていて、その棺桶の前に、絶世の美女がいた。
真っ白で透き通った肌は、リヒトとはまた違う類の……死者の肌だった。
切れ長の目。真っ赤な瞳。赤すぎる唇。その唇からはみ出している乱ぐい歯。
まぎれもなく、この女海賊船長は、吸血鬼だった。
「タルキスと言う。よろしくな」
俺達全員が呆然としたのを見て、タルキス船長は面白そうに微笑んだ。
しかしその笑みには、温もりや優しさなど微塵も感じられなかった。
「俺……吸血鬼って初めて見たけど……皆、こんなに美人なのか?」
「俺だって初めてだよ。たまげたなぁ……」
「胸か! 胸が問題なのか!」
俺がタルキス船長の美貌に見とれているのを見たリヒトが、妙なライバル心を起こして怒っていた。
確かに、タルキス船長の胸の谷間は、とても魅力的だったが、別に胸の谷間に魅せられているわけではなかった。
「気をつけて下さい、吸血鬼の視線は常にチャームされますよ」
セリーナスがそう言い、慌てて俺とリュージは船長から視線を外した。
「……私は理由を知りたい。お前達が何故、ここにいるのかを」
「ちょっと長くなるかもしれませんが……」
「もう百年以上生きているが、その話は何年ほどかかる?」
「すいません、全部話してもすぐに終わると思います」
俺が慌てて謝罪すると、タルキス船長はプッと吹きだして笑った。
「お前の言いようは面白いな? 久しぶりに笑った」
「おいリュージ! 俺、今、何か面白い事、言った?」
「いや、わかんねぇ、笑いのツボがちょっと違う所にあるんだろう」
「笑いの壺とはなんだ? そんな壺があるのか?」
「ああ、いえ。人によって、おかしいと思う所が様々である、という意味です」
「ふぅむ。よくわからんが、とにかく、いきさつを話してみよ」




