生贄の祭壇
「とにかく楽に行こう。俺は楽をしたいんだ」
リヒトは何も言わず、俺の側に座って、頭をもたれかけさせていた。
「いいんじゃないですか、それで」
キュネイが身体のあちこちのポケットに細かな道具を入れ、ぱちり、ぱちり、と留め具を鳴らして蓋を閉じていた。
「よーし、ロアックは明日も頑張る」
ロアックはそう言うと、装備を外さずにそのまま仰向けになって寝てしまった。
(果てしなく続く荒野か……)
飢え、乾き、疲れ果て、照りつける日差しから身を隠す場所も無い。
地平線はどこまでも続き、目標になる物も無い。
地面の上には、自分の影が真っ黒に焦げ付いていた。
他に見る物も無く、自分の影を見下ろしながら歩いていると、その頭部にあたる部分に白い目が開いて、俺の顔を見返してきた。
無機質で、何の感情も持たない視線だった。
どこから来てどこへ行くのかも分からない。
ただ歩き続けるだけ。誰のために、何の為に、そんな事は関係無い。
足があり、歩く体力があるから、前に進むだけだった。
「……」
短い様な、長い様な夢だった。
目を開けると、壁を背にして寝ていた俺の両側に、リヒトとキュネイが並んで寝ていた。
(なんだろうなぁ……)
遠見の長が言った言葉も、その夢も、俺には全く何も恐怖を覚えさせなかった。
苦痛でもなかった。寂しくもなかった。辛くもなかった。
俺の心の中に常にあったのは、この程度なら、どうって事は無いという気持ちだった。
スリル、ロマン、一攫千金! 君こそが伝説の英雄になる男だ!
スラニルの戦士ギルドの張り紙は、いつもそんな感じの景気の良い事ばかり書いてあった。
それを横目で見ながら、魔法使いの俺には関係無いと思っていた。
そんな俺が今から邪教徒達を倒し、彼らの崇拝する闇の神にも喧嘩を売りに行こうとしている。
あまりにも馬鹿げた話だった。
祖国を守る為? 本当にそうだろうか?
(俺はどうして、こんな所に来ちまったんだろうなぁ……)
なんて思いながら、まだ暗い室内をぼうっと見ていると、皆が目を醒まし始めた。
「あ……シェイ。おはよ」
隣で寝ていたリヒトが目を冷まし、寝ぼけ眼で挨拶をした。
続いて隣のキュネイが目をあけ、頬に軽くキスをしてくる。
「おはようございます、シェイ」
「あ!? それ何? それ挨拶?」
リヒトが何を勘違いしたのか、キュネイの真似をして俺の頬にキスしてきた。
「うーす……ふぁぁ……朝から仲が良いねぇ……」
「んむ、あと5分……」
「シェイ様、リュージ様、おはようございます」
皆が俺を見て挨拶する。俺も皆に挨拶する。
緊張感のない朝。日常の様な風景。
そして右と左の頬に残るキスの感覚。
もっと単純に考えて良かったのかもしれない。
俺はただ、リヒトという可愛い女の子と一緒に旅が出来るのが、楽しいのかもしれなかった。
リュージだけでも駄目、キュネイだけでも駄目だった。
俺がここまで歩いて来れたのは、リヒトが一緒に居るからだった。
果てしない荒野を歩く俺の後ろには、リヒトがついてきているのだろう。
だから、他には何も要らないのかもしれない。
「よーし、生贄の儀式を邪魔しにいくか」
俺が膝を叩いて立ち上がると、皆が旅の準備を整えて立ち上がった。
補給物資の数はもう殆ど無い。この小屋に戻ってくることはないだろう。
俺は家を出る時に、この家の元の主だったあの男に、感謝の気持ちをこめて頭を下げた。
「小屋に頭を下げるなんて、不思議な事をするんですね」
キュネイは俺がした事が理解出来ず、なんだか不思議な人、という感じで笑っていた。
リュージは勿論、俺の気持ちを理解していたが、彼は代わりに水の精から譲り受けたお守りに向かって、礼を言っただろう。
再び、俺達はサングマの島に足を踏み入れ、そしてモディウスの神殿の更に奥の、生贄を捧げる神殿へと向かった。
その生贄の神殿に行く事自体は、大きな道が続いていて迷う事は無かった。
しかし、当然その道にはダークシックスの信者達が歩いていて、どうどうと道を歩くわけにはいかない。
だから俺達は道を少しはずれた森の中を歩くしか無かった。
森の中から信者達を見る限り、その殆どは戦いに不慣れな人達だった。
僧兵や魔法使い、邪教徒の僧侶の数は少ない様に見える。
警備を仕事とする者達は、道の脇に並び、不審者が居ないかどうかを見張っていた。
もちろん、その不審者とは俺達の事だった。
彼らの監視の目を逃れる為に、透明化の呪文と加速、束縛無効の呪文でバッフィングし、速やかに森の中を駆け抜けていく。
道は上り坂になっていて、島の中央部へと続いていた。
信者達が列を成して中央の神殿へと歩いて行く様は、善の神様を信仰する者達が、神殿を参拝する姿となんら変わりはなかった。
中央部に行くに従って信者達の数は増え、道を歩く人達は混雑で先に進めなくなっていた。
彼らの頭の上、崖になっている所を駆け抜けて、生贄の神殿を見た時、俺は思わずうめき声を上げた。
「こりゃ、広いな……」
城が一つまるまる入りそうな程、広い空き地のど真ん中に六段重ねのピラミッドが作られていた。
ピラミッドの上には四つの祭壇があり、おそらくその祭壇の上に生贄が捧げられるのだろう。
日が昇っている今は、そのピラミッドの周りを何百人もの信者達がぐるぐると歩きながら邪神に向けて祈りを捧げていた。
ピラミッドの上では火が炊かれていて、僧侶ではなく、シャーマンらしき人間が踊りながら祈りを捧げていた。
ダークシックスはその名の示す通り、六人の邪神達を全て信仰する宗教だが、それぞれの神は魔法使いだったりシャーマンだったり、僧侶だったりと信仰方法が異なる為、このようなごちゃ混ぜの儀式になっていた。
「……なぁ、リュージ。ちょっと相談がある」
「何だ?」
「俺は楽をして勝ちたいんだが、その為に弱い者を犠牲にする手段を思いついているんだ」
「ふむ……気が進まないんだな?」
「ああ……俺達があそこに飛び込んで、シャーマンと僧侶をやっつければ、それで事は済むんだが、そうなるとあの信者達も襲いかかってくる」
「結局は、弱い者に犠牲が出る訳だ」
「ああ、でも、そうならない方法もあるんだ」
「ふむ」
「宗教の信者は……とくにシャーマニズムは……マスターとなるシャーマンが倒れると恐慌状態に陥る事があるんだ」
「同士討ちを始めるのか」
「ゴブリン達にはよくある。あいつらは闇の神を崇拝している。シャーマンは神の代わり。それが死ねばどうしていいかわからなくなる」
「コボルドは違うのか?」
「コボルドが祀っているのは先祖の神竜だ。シャーマンは氏族のリーダーでしかない」
「混乱が起こったらそれに乗じて残りの僧侶と魔法使いを倒せば、俺達が倒さなければならない相手の数は減る。つまり、楽だ」
「……シェイ。楽な方で良い。お前の良心が咎めるのなら俺のせいにしろ。俺も楽な方が良いんだ」
そう言ってリュージは俺の方をぽん、と叩いてくれた。
途端に心の荷が下りて、気持ちが軽くなった。
「キュネイ、あの踊り狂っているシャーマンを狙ってくれ。別に一撃で倒さなくても良いが、何発かで倒してくれ」
「うん。そんなに難しい事じゃないよ、二、三発で大丈夫」
キュネイはそう言うと、クロスボウを構えて地面に寝そべった。
そのまま、弓の先だけが出るようにゆっくりと前進し、狙いをしっかりとつけられる所まで行くと、すぐにトリガーを引いた。
ドシュッ、という低い音と共に、クロスボウボルトが宙を飛び、そしてシャーマンの背中に命中した。
キュネイは弦を巻き戻す道具を使って、すぐに二発目の弾をこめ。そして再び狙いをつける。
一撃でシャーマンは床の上に蹲っていたが、そこにめがけて二発目を撃ち込んでいた。
その二発目が背中に命中すると、シャーマンは絶命し、ごろり、と横に転んだ。
卓越した射撃技術だった。