天国の剣
ホールの中に居た数十人の魔法使い達は、その姿に圧倒されながらも、己がかけた魔法によって平静を保っていた。
身長5メートルを越す巨躯がもし暴れ出したりしたら、このホールは一瞬にして倒壊し、生き残る物は誰も居ないだろう。
神様はこの世界をフェイルーンとは呼ばず、ペインアース(苦しみの大地)と呼ぶ。フェイルーン(妖精の住処)とはこの世界にいる者が勝手に付けた呼称だった。
「私はこの地、この国のマギスター、ロディットと申す者。機甲涅槃界の剣の王のご助力を賜りたく、乞い願った次第にございます」
「なるほど、余に戦えと。ならばその獲物は?」
「ウルゴー大帝国の軍勢にございます。この国の侵略を試みる彼らの大軍勢が、王の獲物にございます」
「獲物の姿は見えぬ」
剣王のその言葉に、ホール全員の魔法使い達の心臓が鷲掴みにされた。
剣王が何を言っているのか理解出来た。
剣王は獲物を求めている。つまり、剣王を呼び出すのは、敵が来ている時でなければいけなかった。
「剣の王よ、どうか我々に力をお貸し下さい。ウルゴーの脅威から我々をお守り下さい」
我らのマスターウイザードは床に額を押しつけて、そう願った。
魔法を唱えていない他の者達もならって、剣王の前に平伏する。
「ウルゴーの脅威が迫っているというのなら、何故自分達でそれを排除しない」
「勿論、我々は全力でウルゴーの脅威に立ち向かうつもりでございます」
「その時に余が先陣に立てば、ウルゴーも怯むだろうという事か」
その剣王の言葉に対して、どう答えるべきだったか。
いや、答えなど最初から求められていかなったかもしれない。
「うつけが!!」
剣王が持っていた剣の柄を床にたたきつけると、それだけで床はひび割れて倒壊し、柱にも亀裂が入った。
天井を支える強度が失われ、たった一瞬でこのホールにいる全員が生き埋めになりそうになる。
「床と柱を支えよう! 亀裂を固定して仮の修復を!」
立ち上がって周りの仲間にそう告げると、すぐに柱に向かって魔法の鎖を絡めつかせ、倒壊を防ぐ。
他の者はリコンストラクトという建造物を補修する魔法をかけて、建物の倒壊を食い止めていた。
「勝ちたくば戦え。それが唯一の手段」
剣王が見返りを求めない理由は既に分かった。
この機甲騎士が求める物は純粋な破壊と戦闘であり、助力や協力する類の存在ではなかった。
それはまるで召喚された獣の様でもあった。
交渉は決裂した。
剣王の助力は得られず、そしてウルゴーに宣戦布告した今、この国は滅びるしかなかった。
ウルゴーは異世界に助力を求めた国を許さない。もはや降伏という道もなかった。
「剣王よ。では、この老いぼれがお相手をいたしましょう」
「ほう? 我を呼び出し、そして我に戦いを挑むか。面白い」
ロディット卿は、最初からその覚悟をしていたのだろう。
魔法使いの儀式用のローブを脱いだその下には、強力な魔力の宿る戦闘用のローブと、いくつもの防御用の宝玉が身につけられ、そして神の杖と呼ばれる雷の杖を構えていた。
その杖が剣王に向けられると、爆音と共に太い雷が迸り、異界の神を直撃していた。
建物の倒壊を支えていた魔法使い達は、その爆音で気絶し、もはや柱を支える者はいなくなっていた。
「ホールが倒壊するぞ、外に逃げろ!!」
無茶苦茶な話だった。ロディット卿はいったいどういうつもりだったのだろうか。
ダメなら自分が戦う、その時に他の魔法使いはどうしろというのか。
共に戦えと言うのか、もう選択はそれしか無いのだが。
「俺達も戦うぞ、剣王に攻撃を集中しろ!」
しかしそれもまた、判断としてはどうなのか。
それで倒せる程度の相手に、どうして自分達は助力を乞うたのか。
(正気じゃない……こんなのは、ただの無駄死にだ)
俺は怯えたからそう考えたのだろうか、それとも冷静な判断の結果だっただろうか。
剣王が身構えると、その体中から突き出していた禍々しい形の刃が空へと跳んだ。
そして、それぞれの刃が空で分裂すると、刃の雨となって俺達の頭上に降り注いできた。
レイン・オブ・ブレードと呼ばれる、剣王の技の一つだった。
鎧も盾も持っていない魔法使い達の身体は、魔法の剣によって容易く切り裂かれ、細切れとなった肉片と血を宙へと撒き散らしながら倒れていった。
こんなのは戦いではない、ただの虐殺だった。
当たり前だろう、目の前に居るのは戦の神だった。
二発、三発とロディット卿は渾身の力で剣王に魔法を撃ち込み、そして自らの身体は物理攻撃を無効化する防御壁で守っていた。
だが、その防御壁はマギスターでも十数秒しか続かない、短時間の防御壁だった。
その短い時間に、ありったけの魔力を叩き込む事。それが唯一の戦法だった。
物理防御の壁が消えた時、剣王は容赦なく、ロディット卿に突進し、そしてその巨大な剣で、この国最高の魔法使いの身体を一閃していた。
最初に剣王が柄で床を砕いてから、数分の出来事だった。
ホールは倒壊し、国の人々は何事かと路地に姿を現し、そして剣王の姿を見て悲鳴を上げ、何が起こったのかも分からない間に、剣の雨に切り裂かれて死んでいた。
魔法使いは全滅していた。俺と、他に数名、生き残っているかもしれないが、剣王に戦おうなんて気持ちにはなれなかった。
「マギスターよ、お前の心意気しかと見た。この剣王に対し、たとえ非力であると自覚してもなお、全力で戦いを挑んできたその強き心に敬意を払おう」
そこまでロディット卿は考えていたのだろうか?
既に彼の身体は剣王の一撃によってこの世から消え去っていて、最期の言葉を聞く事も適わなかった。
「怯え、竦み、それでいて冷静さを失わず、余を見据える魔法使いよ……そこのお前だ」
「えっ……」
剣王が俺の方に剣先を向け、指し示してきた。
「この国の魔法使いは全て殺した。お前が最期の魔法使いだ」
剣王はズン、ズン、という鈍く重い足音を響かせながら、俺の前へと歩み寄ってくる。
その威圧感に対し、俺の心の中の冷静な部分が告げた。この剣王は礼儀を重んじる、と。
片膝をつき、頭を垂れた俺の前に剣王が立った。
そして腰に付けていた一振りの白い剣の留め金を外すと、俺の目の前に突き立てた。
「それは余が鍛えた剣。コンストラクト・リヒト。天国の剣という名を付けた」
「天国の……剣……」
「その剣をお前に与えよう。その剣を使い赤竜ヴィスカスを討伐せよ。これは天命である」
「御意に……」
「首尾良くヴィスカスを討伐出来れば、お前の主であるマギスターの願いも叶う。この国は救われる事だろう」
「ただし、その剣はお前にしか使わせぬ。お前以外の者は剣をろくに振る事も出来ぬ。余が傑作の一振り、天国の剣、見事使いこなしてみせよ。若き魔法使いよ」
剣王は知っていた。俺が剣など扱えないただの魔法使いだという事を。
仲間全員が殺されたその場にて、怯えて竦みながらも、狂気には囚われずギリギリで冷静さを保っていただけの、弱い存在だという事を。
あえて俺を選んだ。だからこそ、助力を聞き入れた。その可能性が限りなくゼロだから。
剣王にとっては遊びなのだろう。言い換えればこうだ。まず不可能だとは思うが、もし奇跡がおきたなら、お前はこの国の救世主になれるだろう。
それが生き延びた俺への、剣王が与えた試練だった。