未来への選択
二日ほど時間が経つと、いくらか心にも余裕が出てきた。
近づけばいいのか側に居ない方が良いのかを迷い続けているリヒトを見て、側に来てもいいと言うと、彼女は駆け寄ってきて俺に抱きついてきた。
「シェイの中の力が殆ど無い……シェイは死んでしまうのか?」
「大丈夫だ。俺は死にはしないよ。ただちょっと時間が要るだけだよ」
「私にはどうしていいかわからない。わからない事が不安で、悔しい」
人間に近い感情を持って作られたリヒトにも、この気持ちは理解出来ないだろう。
自分でもわからないのだから、他人にわかられても困る。
こういう時には、リュージがしている様に『本人がその気になるまでは放っておくしかないさ』と放っておいてくれるのが楽だった。
でも、リヒトみたいに、まるで子供のように懐かれるのも悪くないと初めて知った。
スラニルに戻ってからの無駄な数日間は、俺にとって必要なムダだった。
今まで考えてはいたが、一歩踏み出せず、別の道は無いかと探して逃げていたある考えに、一つの答えを出せそうだった。
椅子に座っている俺の膝に、リヒトが抱きつき、俺の膝の上に頬を乗せていた。
その頭を撫でると、リヒトは俺の身体を強く抱きしめてきた。
そうされる事で、俺の中にある何かが力を取り戻してきた。
おそらくそれは、自分が何者なのかという信念だった。
ずっと揺らいで……揺らぎ続けていて、なんだかふにゃふにゃだった物。
はっきりと定まらない自分の姿。進むべき方向。
この少女は……俺の人生を変えに来たのかもしれない。
この子に会う事で、俺の人世は変わった。
窓から部屋の中に差し込む光が、床上を照らしていた。
床の上には、父さんと母さんが何度も歩き、すり減った跡が残っていた。
ここは、父さんと母さんの家。俺の家じゃない。
(今は……リヒトの導きに……従おう)
「シェイ、元気が出てきた?」
「ああ、リヒトのおかげだ」
「シェイは、リヒトの頭を撫でてくれたな。これでキュネイと同じだ」
リヒトはどこかまだ子供の所があった。
キュネイに負けたくない、自分が一番でありたい、というのは、猫の様でもあった。
その彼女をもっと有効に使う為に、捨てなければならない物があった。
(俺は……魔法使いをやめよう)
「気分は落ち着いたか?」
「はい、なんとか」
「ボーグルの森の闇が晴れ、明るい森になった。その奥には光の神を祀る神殿があり、今では天頂からその神殿に光が届いているそうだ」
「そうですか」
「君の働きだね? あの闇には何があった?」
「闇の中には、奴隷商人と、闇の六神の使いが居ました。彼らは光の神殿を封じていましたが、それを解放した事で、逃げていきました」
「藪を突いたら、ダークシックスが出てきたか」
「ゴート卿はご存じだったんですか?」
「あの遺跡が、伝説の五竜時代の遺跡だという事は知っていた」
「あの遺跡が? そうだったのか……」
「その様子だと、良い情報は得られなかったか」
「いえ、そうでもありません。ダークシックスの使いがヴィスカスの事を知っている様な話しぶりをしていました」
「というと?」
「あの雌竜か、それで剣王が動いたのか、と。要約するとそういう感じです」
「ほう……剣王とヴィスカスには繋がりがあり、その事をダークシックスは知っている。ふーむ、伝説は伝説から実在する存在へと引き出せたか」
「はい。そして自分は大きな壁に直面しました」
それは言わずもがな、今の自分達には実力不足という現実だった。
ゴート卿もその事は察していて、深いため息をついていた。
「……闇の神々を相手にするなど、ウルゴーより厄介だ。これはまいったな」
「ダークシックスの教団の本拠地がサングマにある事はわかりました。そこに奴隷達が生贄として送られているという事も」
「よりによってサングマか。破滅の島と呼ばれている所だぞ」
「はい。今の自分では全く歯が立ちません。ですから、しばしの間、修行する時間を頂きたいのです」
「うむ。そうするしかないが……時がいつまで待ってくれるかどうかだな……その修行は、いつまでかかる予定だ?」
「わかりません。自分も初めての事なので」
「初めての事? 修行が? よく話の流れが見えないのだが」
ゴート卿は、俺が魔法使いの修行をしにいくものだと思っていた。
だから、どれぐらいの時間をかけて、アークメイジを目指すのか、それともマギスターまで修行するのか、というつもりで問うていた。
しかし、俺の考えは全く違っていた。
「エル・カシの国に、強い魔法使いがいると聞きます。そこで一から修行をさせて下さい」
「エル・カシの国はスラニル国王の后の故郷。我々とも同盟を組んでいるから、問題は無いだろう。すぐに手筈を整える事は出来る」
「その上で聞かせてくれ。シェイ。何をする気だ?」
「俺は、アークメイジを辞めて、エルドリッチナイトになります」
俺がそう言うと、ゴート卿は目を丸くして、一瞬固まった。
「あの大剣を使うためか? そこまでしなければならないのか? スペルソードでは使いこなせないのか?」
「それではダークシックスには届かないのです」
「……ああ、そうか……相手が相手だから、魔法を半ば捨ててでも剣技を取るのか」
ゴート卿は目を閉じ、しばし考えた後、言った。
「私には選択する権利すらもっていない。私に出来る事は、君が決めた道を進めるように協力する事ぐらいだ。すぐに国王様に話をして、書簡を書いて貰う。それを持ってエル・カシへ向かいたまえ」
数日の後、書簡を受け取った俺は、リュージ達と共にスラニルを出た。
エル・カシはスラニルよりも大きく華やかな国だが、奴隷制度を未だにしく国で、貧富の差が激しい国でもあった。
周りからは、もし一度でも平穏が失われたら、奴隷達が蜂起しかねないと危ぶまれているぐらいだった。
サゴシを経てエル・カシに向かう道で、奴隷達が連れられていくのを見た。
サゴシも奴隷売買に関係しているという話を思い出した。
エル・カシやサゴシに売られ、働かされる奴隷は、まだいいのかもれない。
その一部は呪術をかけられた上、サングマに生贄として連れて行かれる。
何にせよ、見ていて気分の良い物ではなかったので、俺達は彼らを抜き去って、足早にエル・カシへと入った。
エル・カシの王宮にて、スラニル国王からの書簡を見せると、俺達は賓客として快くもてなされた。
国王への謁見やお目通りこそ無かったが、小さな宴と個室が用意され、最低限の礼節を受ける事が出来た。
しかし、この国には明らかに闇がそこかしこにちらついていた。
狭い通路に身を横たえる浮浪者。ぼろきれを着て裸同然の格好で走る子供達。
道を歩く貴金属に溢れた金持ちと、彼らの荷物を運ぶ奴隷達。
どうして彼らは我慢しているのか、その理由は、この国では奴隷でも成功すれば成り上がれるからでもあった。
だから身一つの者達は戦士ギルドや魔法ギルドに入り、鍛錬し、成り上がろうとする。
貧富の程度の差はあれど、それなりには貧しさを克服できるのがこのエル・カシという国だった。
俺がこの国の魔法ギルドに来たのも、それが理由だった。