デスドリンカー、モディウス
神殿の中に入り、祭壇の間を見た時になってやっと、俺は自分が場違いな所に来てしまった事を悟った。
「まいったな……そういう事かよ……」
ボーグルという魔獣に守られた天然の要塞。その中に建てられた古代遺跡。
山の中に穴を穿ち、天然の洞窟を利用して作るという大がかりな建築法。
その最深部にある地下のピラミッド。
俺はこの砦に、オーク達と奴隷商人が住み着き、再利用しているのだと思っていた。
いや、大抵の遺跡や盗賊砦はそういうものだ。
砦とは分断された所にあり、オーク達の宿舎を通り過ぎて更に地下へと降り、そして断崖絶壁という更なる自然の要害の向こうに鎮座する神殿。
これはもう全く別の建物と言っても良かった。
「どうやら来たようだな、機甲涅槃界の刺客よ」
デスドリンカーと呼ばれる悪霊。死の領域ドールラの住人。闇の六神、ダークシックスに仕える魔物。
飽食、怒り、破壊、裏切り、争乱、混沌。それら六つの力を持つ神は、一人一人ならば剣王より弱いかもしれないが、彼らは己を知り常に闇の領域において協力する。
「お前が、モディウスか」
漆黒のローブはたるみきっていて、その中に肉体が無い事を物語っていた。
ローブの頭巾の中には赤光が灯り、邪悪なる意志の存在を表している。
肉体が無いにもかかわらず、袖口からは黒い木の枝の様な骨が突き出していて、その先には尖った爪が伸びていた。
「私の化身を斬った魔法使いか。スペルソードにしては中途半端。エルドリッチナイトにしては魔法に頼りすぎる。その剣のおかげで生き延びたな」
「全くその通り、返す言葉もないよ」
この古代遺跡が遙か昔から祀るのは、闇の六神だろう。そしてこの悪霊がこの神殿の番人。
祭壇の上には奇妙な彫刻が施された棺桶のような物が乗っているが、あれがモディウスの本体なのかもしれない。
「機甲涅槃界のその剣、我ら飽食の民を匂いをかぎつけて、ここにきたか」
そう問われると、全くそんな事などなく、たまたまここに来てしまったのだが。
「そうかもしれないな。俺達はヴィスカスを追っている。ゆえにここに来た」
闇の六神とヴィスカスに何か繋がりがあるかもしれないと考え、そうハッタリを言ってみると、相手は面白いように乗ってくれた。
「あの雌竜か……ああ、そうかそういう事か、機甲涅槃界の刺客ではなく、貴様、剣王の私恨だな?」
(剣王の私的な恨み?)
まだ話は見えないが、剣王とヴィスカスに何らかの繋がりがあるのは、この一言でわかった。
「関係無い。闇の領域に属する者は我が天敵であり、我が獲物。それだけの事だ」
リヒトが俺を支えながら、モディウスを睨む。
悪霊は大上段に構えながら、余裕の声で俺達を嘲けていた。
「しかしどうする? お前なら私を斬れるかもしれないが、その主は既に疲弊して今にも倒れそうだぞ?」
「いいや、お前を斬る必要なんか無いね」
俺はそう言うと、間髪居れず、祭壇の上にある棺桶に向けて火の玉を放った。
火の玉は棺桶に直撃すると、瞬く間に全体を炎で包む。
「き、貴様! なんて事を!!」
狼狽したモディウスが棺桶の所へと戻っていく。
いかに悪霊でも、本体を燃やされてはそれまでだろう。
しかし妙な事に、モディウスは焼け死ぬどころか、その悪霊のローブをパタパタとはためかせて、火を消そうとていた。
「キュネイ、火炎瓶とか酸とか投げて!」
「はい!」
実際には何が投げられたのかはわからないが、キュネイは数本の投擲瓶を投げつけ、棺桶は紫色の煙で覆われていく。
「何をする! これはこの神殿に捧げられし生贄だぞ! お前達はそれを目覚めさせるつもりか!」
「……生贄?」
目の前で死の領域から来た悪霊は、自分の身を挺して棺桶を魔法の炎や酸とか毒とかから守っていた。それはなんだか滑稽な姿だった。
悪霊が言うには、その中には生贄が入っているらしい。
「う、ううっ……生贄が……意識を……何と余計な事をしてくれたものだ」
棺桶の表面の彫刻に光が走り、そして、ガコン、ガコンという音と共に、箱がくだけていく。
箱そのものがパズルのように組み合わされていて、開くという事は壊れるという事らしかった。
そして、その箱の中から一人の女性が身を起こした。おそらく生贄だろう。
「……ここは、どこですか……?」
見た事も無い髪の色をした女性だった。来ている白いローブも、それ自体が光を帯びている様に見える。
彼女がゆっくりと祭壇から降りると、その身体から放たれる光の量が増し、神殿の中を明るく照らし出していく。
それは優しくて温かい、神の恩恵の光だった。
「うう……私には無理だ……なんて事をしてくれた……いつか貴様達には、この礼をしてくれるぞ」
となんだか負け犬っぽい言葉を残して、モディウスは闇の中へと逃げ込み、そのまま姿を消してしまった。
そして目の前に残ったのは、身体から光を放つ、水色の髪をした不思議な女の子だった。
「……また女か」
ぼそっとリュージがそう言うと、その女の子はリュージの所へと駆け寄ってきた。
「あなたが助けて下さったのですね! 私はセリーナス、ルミエルです。神様にお仕えする為、この神殿に捧げられておりました」
「ルミエル?」
聞いた事の無い名称に俺が首を傾げると、リヒトが説明してくれた。
「ルミエルは昼のみの世界、アイリアの住人だ。クォリとは正反対の存在だな」
「この度は本当に色々とお世話になりまして、お礼の申しようもございません」
「あ、いや、あの、俺は特になにもしてないんだけど」
としどもどろになりながら、リュージがセリーナスに受け答えしていた。
「見た限り、あなたは光の拳を宿すモンクの方ですね。あちらの方はお仲間の方々ですか? 凛然とした機甲涅槃界の方とひ弱な魔法使いと可愛らしいローグさんですね」
「……ひ弱な魔法使いって言われた……」
光の拳を宿すモンク、リュージ!
凛然とした剣王の使い、天国の剣、リヒト!
神の手を持つメカニックローグ、キュネイ!
そしてヘタレの魔法使い一名。
「いや、もうなんでもいいわ。俺、ここでちょっと休んでいく」
虚脱感は未だに抜けず、俺はリヒトの支えをやんわりと退けると、その場に仰向けに倒れた。
すると、豪奢な神々の彫刻が天井に施されているのが見えた。
元々この神殿に関して、俺は一度も邪悪な気配とか陰鬱な雰囲気を感じた事が無かった。
単なる時代の経った古代遺跡にしか見えず、邪教の本拠地の様な禍々しさは無かった。
大抵、そういう所は、爪とか牙をモチーフにした柱だったり、或いは屍や白骨が壁や柱に掲げられているものだった。
だが、ここの彫刻は、何千の人々が、天頂の太陽にむかって拝む姿が掘られていて、こうして見ると太陽神を崇拝していたのではないかとも思えた。
実際の所、この光の髪の毛を持つ少女、セリーナスはルミエルという永遠に夜の訪れない昼の世界の住人であり、太陽神崇拝という俺の想像はそう間違ってはいないだろう。
(闇の中の闇、その闇の中で手に入れたのは光か)