異世界
「――ん……? ここはどこだ?」
僕はベッドの上で寝ているようだ。この布団の材質はなんだ? 柔らかくて、とても肌触りがいいぞ。それに、いい匂いがする。
どうやらここはロトルさんが言っていた、知り合いの家らしい。中から見た様子だと、作りはログハウスのような感じだ。外には森が見えるな。この部屋は寝室のようだ。
「おや、起きたようだね」
ドアの方から声がした。金髪の綺麗な女性だ。見た目は二十前半ぐらいだ。耳が長いから、人間ではないな。胸は……残念だ。
この人が雷光の魔術師? そうだとしたら挨拶しないと。
そう思って起き上がろうとするが、体がふらついて上手く立てなかった。
「無理に立たなくていい、君は三日間も寝たままだったんだから」
「はい。……あの、あなたは……」
「ん? 聞いてないのかい? 私の名前はアリアリス=メロヴィング。親しいものはアリアと呼ぶ。好きに呼んで構わない。世間では、雷光の魔術師と呼ばれる者だ」
「僕は扇山俊といいます。俊が名前です。アリアさんと呼ばせてもらいます。――それで、僕は三日も寝てたんですか」
「私はシュンと呼ばせてもらうよ。――ああ、寝ていたよ。光とともに寝ている君が現れて、そのあとにあの方から信託があった。「君のことを頼みます」って言われた」
「あの方……とは、ロトルデンスさんのことですか?」
「そうだ」
ロトルさんは僕のことをちゃんと伝えてくれたようだ。
「それと、ある程度の事情も聞いたよ。詳しくは知らないが、君の前世についてとなぜ転移してきたのか、なぜ私のところなのか、ぐらいだな」
「そうですか。――それで僕は、……ここに置いてもらえるんですか?」
「いいよ。――でも条件がある」
「条件……ですか」
何だろう? 僕にできることってあるかな。体は小っちゃくなったし、何もできないと思うんだけど……。
「条件として、異世界の知識と私の食事を作ることだ」
「……知識と料理ですか。知識を教えるのも料理も得意ですからいいですけど……そんなものでいいんですか?」
「そんなものではないぞ。君のいた世界とこの世界の知識を比べると、こちらの知識のほうが数段劣っているというからな。それに無駄か無駄じゃないかは私が決めることだ。食事に関しては……もう同じものを食べたくないんだ」
アリアさんは虚ろな目になってしまった。
……アリアさん、料理できないんだね。
ぐぅー、きゅるるるるー。
…………。安心したら、お腹なっちゃったよー。恥ずかしい! 顔赤くなってないよね! で、でも三日も寝てたんだし仕方ないよね。
「ハハハ、では食事にしよう。まだ、起きられそうではないから、今日は私が作ろう。……? どうした?」
「…………食べられますよね?」
「食べられるに決まってるじゃないか。…………たぶん」
と、言ってアリアさんは部屋から出て行った。
たぶんってなに!? たぶんって!? ちょっとアリアさん! カムバーーーク!
――十分後。
香ばしい、いい匂いがする。これは期待できそうだ。
「シュン、できたぞ」
大皿を持った、アリアさんが帰ってきた。
……その手にあるのはなんですか。頭大の大きさの骨付き肉が焼いてあるだけじゃん! いや、不味そうに見えるわけではないよ。多少焦げているけどいい匂いがするよ。でもね、僕はそれを料理とは認めません! せめて切ろうよ!
「さあ、お食べ」
ドーンっと僕の前に置かれた。
「えっと、どうやって?」
「このままガブッと、いっちゃって」
えっ、ガブッといっちゃうの? フォークかナイフはないの? もしかして手掴みですか。そのままなんですか。
仕方がない、ガブッといくか!
ガブリっ、もぐもぐ……ごっくん。
肉質は柔らかかったのだろう、焼き過ぎて肉汁も少ない。食べられないことはないけど……味がしない。肉の味しかしない。せめて塩、塩が欲しい。やっぱりこれは、僕の知ってる料理じゃない……。
「どうだシュン。美味しいか!」
アリアさんは笑顔で感想を聞いてくる。
ああ、これは美味しいって言ってほしいんだろうなぁ……。
でも、僕は心を鬼にする。妥協はない。
料理に手抜きは許さない! 僕は料理の味方、料理の敵は僕の敵! これぞ、敵の敵は味方!
「……僕が作りましょう」
「そ、それどういう意味! ちょっとこっち向いて」
アリアさんがなんか言ってるけど、今度から僕が作ろう。そのために、早く治さなきゃ。
まずは、この世界の食材から知らないといけないかな。異世界の知識には入ってなかったみたいだし。次に調味料だね。塩! 胡椒! 砂糖! 「シュン?」……でも異世界の香辛料って高いんだっけ。物価も知らないといけないな。魔法も「シュンさーん」知らないといけないし、やることがたくさんあるね。
ん? アリアさんが呼んでる?
「おーい、シュンさん、聞いてますか」
「はっ、……すいません。聞いてませんでした」
「やっと帰ってきたか。まあ、料理のことは任せる。それで、これからについてなんだが、シュン、君はどうしたい? 私に魔法を習うのもここで暮らすのも何をしてもいい。君の好きにしてくれ」
アリアさんは僕の意見を尊重してくれるようだ。
僕がどうしたいか……。
「僕は、僕がしたいのは――」
メディさん達は「好きなように生きていい」と言ってた……。
死ぬ前に自由に生きるって決めた。
そのためには……力がいる。知識がいる。
「――魔法を習いたい……です。僕に魔法を教えてください。お願いします、アリアさん。僕は自由に生きるって決めたんです。そのためには力が必要です。知識もないと困ります。僕に、教えてください」
僕は想いをアリアさんに伝えた。
綺麗な碧色の瞳で、じっと僕を見ている。目を逸らしてはだめだ。
僕もその瞳を見返す。
「……よし、いいだろう。君に魔法を教えてあげよう。まずは、体調を元に戻そうか」
「はい! よろしくお願いします」
やったぁぁー! 頑張るぞー!
これからは忙しくなりそうだ。
「それじゃあ、シュンはこの部屋を使ってくれ。この家には部屋がたくさんあるから、気にしなくていいぞ」
「この部屋ですか。……わかりました。誰かほかに住んでいるのですか?」
「いや、私と君だけだ」
「アリアさんと、僕だけ……」
「そうだ」
えぇぇぇぇぇぇぇっ!
ふ、二人だけ!? それはまずいんじゃないかな! 男と女が二人! 一つ屋根の下で! しかも、森の中!
「何をそんなに慌てているんだい?」
アリアさんがにやにやしながら聞いてくる。
くっ、わかっていながら聞くなんて意地が悪い。
「そ、それは、何か起こったあとでは遅くなると言いますか…………」
「ハハハ、大丈夫。君は今、五歳児なんだよ。心配しなくても、まだ大丈夫だ」
「あっ、そうでした」
僕の体は五歳児だったんだっけ。すっかり忘れていたよ。
「起きたら起きたまでだ、気にするな。それに、私は君の何十倍も生きているから、知識は豊富だ」
「……何十倍?」
「言ってなかったか。私は森人だ。これでも、二百五十年は生きている。この長い耳が特徴だな。この世界では珍しくないな。君のいた世界にはいなかったのか?」
「やっぱり、エルフだったんですね。僕のいた世界にはいませんでした。いるのは、人だけですね」
「そうか、やっぱり世界が違えば、種族も違うのか。まあ、その話も君の体調が治ったらじっくり聞こう。今は療養してくれ」
「はい、わかりました」
こうして、僕の異世界初日が始まった。
「シュン、もう食べないのかい? 食べないんだったら、もう下げるけど」
「…………食べます」
たとえ、美味しくなくとも食べ物を粗末にしちゃいけません。
僕は料理の味方だから……。