第八話
その日、キュレスティアの生徒の間でちょっとした騒ぎが起きていた。
原因はその日の朝に掲示板に張り出された学園長からのお知らせだ。
要約すると『本日より3か月間、カドリア国のブレイショルダン学院より交換留学生を受け入れる事になりました。今後もよき関係を築いていけるよう、皆さんに協力をお願いいたします』とのことである。
カドリアは砂漠の国との戦争中であることもあり、嫌悪を感じる者も少なからずいた。
しかし、『花の女王』と呼ばれる統治者がいる国について興味を持つ者の方が多かった。
昼の休み時間、ルイは急いでいた。
ノートと参考書を抱え、シャルを探す。
中庭、図書塔、実習棟と探してみたがいなかった。
シャルは実技の無い日は昼食をとらないので食堂を探さなかったのだが、それが裏目に出ているのだが知る由もない。
「どこにいるんだこんちくしょおおおおおおおおおおおおおおお」
ドン!と足を踏み鳴らす。
「おやおや、元気なお嬢さんだね」
驚いて振り向くと、淡い青の髪の青年がにこやかに立っていた。
「僕と契約して子供を産んでよ」
エドガーは本当に困っていた。
エトラは応接セットのソファーにゆったり座り、にっこりと微笑んだまま表情を崩さない。
今日は実習もないのに制服を着用してくるように、と呼び出しをされて説教を食らった時についでのように言われていたのだが、内容までは聞いていなかった。
昨日「明日までお楽しみでしてよ」とか言っていたのを、無理にでも聞き出して逃げるべきだったと本当に後悔した。
……まぁ逃げたとしても、捕まって無理やり引き受けさせられることになるのであるが。
「よろしくて、エドガー。これは我が国の外交にも関係してくるのです。失敗は許されなくってよ」
この笑みの怖さを知っているのは、エドガーとシャルの他にいるとすれば、ほんのごく一部しかいないだろう。
他の人間……生き物には、とても優しく頼りになる人に見えるに違いない。
「俺よりも優秀な魔法士はたくさんいます。そちらを手配されてはいかがでしょうか」
あくまでも魔法士として答える。
エドガーは一級魔法士ではあるが、知識や能力は一部分に特化しているため優秀とは言い難い。
そんな彼を名指しで指名する理由はあると分かっているし、ある程度目星もついているのだが素直に引き受けるのは癪だった。
「エドガー、わたくしは貴方だから任せているのです」
エトラは足を組み、笑みを消して言った。
「今回の事は本当に絶対に失敗できないことなの。信頼できる人間にしか任せられないわ。わたくしがこのキュレスティアで現在一番信頼しているのはエドガー、貴方なのです」
……そんなコト言って、ただたんにこき使いやすいだけだろ……
エドガーは心の中でため息をついた。
その時ノックの音が響く。
エトラは笑みを戻して「どうぞ」と声をかけると、扉が開きスーツをきた初老の男性が一礼をして入ってきた。
「学園長、いらっしゃいました」
エトラはそれを聞き頷いて「お通しして」と返す。
男性は「承知しました」と一礼して、また扉の向こうに消えていった。
エトラはエドガーに向き直り言った。
「貴方だけが頼りなのです」
「拒否権は……」
それを聞いてエトラは、深くため息をついてやれやれといった感じで首を横に振る。
「今まで貴方は何年私の弟として過ごしてきたのです?それぐらいわかるでしょう」
……断れないってことかよ……
エドガーは心の中でうなだれた。
「よろしく頼みましたよ」
極上の笑みでそう言った。
その時再びノックの音が響く。
エトラは立ち上がり、扉の方を向く。
「どうぞ、お入りになって」
扉が開き、他校の制服をきた少女と先ほどの男性が入ってきた。
「お初にお目にかかります。サラ・ラベンディス・カドリアと申します。どうぞよろしくお願いいたします」
白銀の腿まである長い髪をさらさらと揺らしながら、サラはおっとりとした口調と動作で礼をした。
「ようこそいらっしゃいました。こちらこそよろしくお願いしますわ」
エトラもにっこりと微笑んで礼をする。
エドガーだけがその場に固まっていた。
……ちょっとまて
「ちょ、エト姉。ラベンディスって」
信じられないといったようなエドガーの表情をみて、エトラはとても楽しそうにニヤリと笑った。
「貴方の想像のとおりでしてよ。この方はカドリア国第二王女のサラ様です」
エドガーはふらふらと倒れそうになるのを頑張って踏ん張って耐える。
……そりゃ失敗したら外交問題どころじゃなくなるわ……
任された事の重大さに頭が痛くなってきた。
人であればいつもしないようなことも、「気が向いた」という理由だけで動くという事もある。
まさに今のシャルがそうだった。
食堂の隅っこでぐつぐつと音をたてて煮える一人用の鍋を前にして、いただきますと手を合わせて皿に盛られた豚肉のスライスを一枚手のひらサイズのトングで掴み、沸騰するカツオや昆布でとられたスープにしゃぶしゃぶした。
色が変わったのを確かめて深めの小皿に取り、大根おろしを乗せゆず果汁の入ったポン酢を少し垂らす。
それを見てうんうんと頷き、大根おろしを巻くようにして一口で食べた。
そしてまたうんうん頷く。
そういうことを何度か繰り返していたころ、ドンとテーブルを叩かれる。
「や……やっと見つけたんだからね!」
ぜーぜーと息を切らして、参考書やらノートやらを机に落とすように置き、どさっと乱暴に座る。
シャルはそれに目もくれず、何もなかったかのようにしゃぶしゃぶして食べる。
「ちょっと聞いてよ!明日魔法陣の基礎テストもっかいするとか先生言い出して、私今までシャルにいっぱい教えてもらってはいるけど自信ないんだよね!今回のテストの点悪かったら諦めて帰ってこいとかグレイス校の先生言うしさ!んでちょっと教えてもらおうって探してたのに居ないしさ!なんで今日に限って昼食べてんのよ!」
息継ぎとか大丈夫か、と言われそうなほど早口でまくし立てる。
「……なんとなく」
シャルはそれだけ答えてなおも食べ続ける。
煮えた野菜を取り、ゴマダレを垂らして食べる。
そしてまた、うんうん、と頷く。
その時
「見つけたああああああああああああああ」
と大きな声を出して今度は女子生徒の制服を着たエドガーが、他校の制服を着た白銀の髪の女子生徒をの腕を引っ張ってずんずん歩いてくる。
そしてテーブルをドン!と叩く。
「ちょっと手を貸してくれないか」
「断る」
シャルは豆腐を取り刻みネギを乗せポン酢を少しかけて食べ、またうんうんと頷く。
「……何食ってんの」
エドガーは呆れたように言った。
「豚しゃぶ鍋」
「……ほんと何でもあるのな、この食堂」
シャルはふと顔をあげ、白銀の髪の少女に気が付いた。
目が合ってにっこり笑って頭を下げられてしまったので、つられて頭を下げる。
「……だれそれ」
その言葉にエドガーはよし!とガッツポーズを決める。
……なんか墓穴踏んだくさいな。
「エト姉に朝も呼び出されてさ。交換留学生知ってる?」
……なんだっけそれ。
シャルが首をかしげたところに、ルイは知ってる知ってる!と相打ちをうつ。
「カドリアから来たんだよね」
知ってる人が良かった!とばかりにうんうんと大げさに頷く。
「そうそうそれそれ!それこの人!」
「サラ・ラベンディスと申します」
にっこりと笑って礼をする、ルイもつられてぺこりと頭を下げた。
「ルイ・ミドルイアです。こっちの食べてばっかりなのはシャル」
シャルは食べながらぺこりと頭を下げた。
「んでエト姉が、シャルたちがフェスの出し物してるから手伝ってみたら?せっかくサラがこちらに来ているときに見ているだけっていうのもなんだし。って言ってた」
「……ほう」
シャルのメガネがキランと光る。
具の無くなった鍋にごはんを入れて少し炊いたあと、溶き卵を回しいれて蓋をとじる。
「……どぞよろしく」
「よろしくお願いしますね」
サラがふんわり微笑んだとき、微かに甘い花の匂いがした気がした。