恋の詩しか書けないと思われていた令嬢、実は王国最高の言霊使いでした~役立たずの詩人令嬢と言われましたが、その一節は禁呪級です~
エスクリーバ王国の「春の詩会」は、貴族たちにとって華やかな社交の場だった。
絹のドレス。香水。銀の杯。楽師の奏でる弦の音。
その中央で、淡い桃色の髪をふわふわに巻いた令嬢が、にこにこと笑っていた。
「シエロ様、本日も可愛らしいドレスですわね」
「まあ、ありがとうございます。アイタナ様の扇も素敵ですね。殴ったら痛そうで」
「……褒め言葉ですの?」
「もちろんですわ!」
シエロ・ルス・アルバレス。
中堅貴族アルバレス家の令嬢。
社交界での評判は、だいたい二つに分かれる。
令嬢たちからは、頼れるお姉様。
若い貴族男性からは、恋の詩しか書けないお花畑令嬢。
シエロと会話しているアイタナ・ベガは、王家にも近い上位貴族の令嬢で、シエロとは詩会で顔を合わせるたびに言葉を交わす仲だった。
何より彼女は、シエロの詩をただの恋文だと思っていない数少ない令嬢のひとりである。
「また恋の詩を披露するのかな」
「アルバレス嬢はそれしかないからな」
「可愛いだけなら、まあ見ていられるが」
ひそひそと笑う声が聞こえても、シエロはにこにこしていた。
隣に立つ黒髪の近衛騎士、イサン・ヴァルデスだけが、眉間に深い皺を刻む。
「シエロ」
「はい、イサン様」
「今日は穏便に」
「まあ。わたくし、いつも穏便ですわ」
「去年、伯爵家の次男を泣かせた」
「あれは泣きたくなるような語彙力だったのが悪いのです」
イサンは黙った。
否定できなかった。
そのとき、会場の奥からレオナルド王子が歩み出た。
金髪碧眼、整った顔立ち。若い令嬢たちから人気がある王子だ。
しかし、アイタナは扇の奥で小さくため息をついた。
「アルバレス嬢」
「はい、殿下」
「せっかくの詩会だ。君にも一首、披露してもらおう」
ざわり、と会場が揺れる。
男たちは期待に笑い、令嬢たちは一斉に表情を消した。
国王の隣に座る宰相が、そっと胃のあたりを押さえる。
「題はそうだな……『身の程知らずの恋』などどうだ?」
「まあ」
シエロは両手を合わせ、ぱちぱちと瞬きをした。
「面白いお題ですわね」
「君にぴったりだろう? 恋だの愛だのばかり書く君なら、得意なはずだ」
取り巻きのティアゴ・サリナスが、これ見よがしに笑った。
「殿下はお優しい。アルバレス嬢にも活躍の場を与えてくださるのですから。戦場では何の役にも立たない詩でも、詩会なら拍手くらいはもらえるでしょう」
シエロを慕う下位貴族令嬢のマルが、ぎゅっと拳を握った。
「ティアゴ様、それは――」
「おや、君もいたのか。下位貴族は下位貴族同士で慰め合うのが好きだね」
会場の空気が、ぴたりと止まった。
アイタナが扇を閉じる。
宰相が天井を仰ぐ。
国王が小声で「やりおった……」と呟く。
イサンはすでに、近くにいた侍女を壁際へ下がらせていた。
シエロの笑顔が、すうっと消えた。
「わたくしだけなら、笑って済ませましたけれど」
甘い声のまま、言葉だけが刃になる。
「他のご令嬢まで蔑むのでしたら、話は別ですわね」
ティアゴは鼻で笑った。
「何をする気だ? 恋の詩で私を感動させるか?」
「いいえ」
シエロは小首をかしげた。
「殴ります」
「は?」
「言葉で」
王子が呆れたように笑う。
「言葉で殴る?そんなことできるはずがない!」
「淑女らしく、韻は踏みますわ」
シエロは一歩進んだ。
桃色の髪が、灯火を受けて淡く光る。
その姿は可憐で、愛らしく、砂糖菓子のようだった。
だからこそ、彼女の声が響いた瞬間、誰も息ができなくなった。
「焦がれるほどに、膝を折りなさい」
シエロは恋を歌うように、やわらかく詠んだ。
「愛を知らぬ舌よ、真実だけを口づけなさい」
どん、と鈍い音がした。
ティアゴの膝が、床に落ちていた。
「な……っ、なんだ、これは!」
「お座りがお上手ですわ、ティアゴ様」
「貴様、私に何を――」
「貴様?」
シエロがにっこり笑った。
「次にその呼び方をしたら、舌を切り裂いて三つ編みにしてしまいますわよ」
「ひっ」
会場の男たちが凍りつく。
令嬢たちは、なぜか目を輝かせた。
「さあ、ティアゴ様。どうしてわたくしを侮辱しましたの?」
「言うものか!」
ティアゴは叫んだ。
しかし次の瞬間、喉を押さえ、顔を真っ赤にした。
「ぐ、あ……っ。家格が、低いと……思った」
「続けて」
「女の詩など、役に立たないと……」
「まだありますわね?」
「殿下の前で笑い者にすれば、私の評価が上がると、思った!」
最後の一言で、会場がざわめいた。
レオナルド王子の顔が引きつる。
「ティアゴ! 何を勝手なことを――」
「殿下も」
シエロの視線が、王子へ向いた。
「お題を出された理由を、聞かせてくださいます?」
王子は肩を揺らした。
「私は……ただ、場を盛り上げようと」
「まあ。嘘は喉に悪いですわよ」
レオナルドの喉元に、淡い光が絡んだ。
彼は苦しげに息を呑み、やがてぽつりと吐き出す。
「君を……軽く見ていた。恋の詩しか書けない、役立たずだと」
「それから?」
「上位貴族ではない君が、令嬢たちに慕われているのが、不思議で……少し、面白くなかった」
「まあ」
シエロはぱっと笑った。
「正直でよろしいですわ。百点満点中、反省込みで十二点くらい差し上げます」
「低い!」
つい王子が叫ぶ。
だが、誰も笑えなかった。
なぜなら、会場の床には古い文字が浮かび上がっていたからだ。
詩の一節が、金色の鎖となって空気を縛っている。
恋の比喩に見せかけた、強制真実開示の術式。
普通の魔術師では、束になっても扱えない禁呪級の言霊だった。
シエロは扇を開き、床に膝をついたティアゴを見下ろした。
「念のため申し上げますけれど、これは攻撃魔法ではありませんわ」
「攻撃ではないだと!?」
「ええ。質問に答えやすくして差し上げる、たいへん親切な詩です」
「親切の形が怖すぎる!」
「怖いのは、知らないものを軽んじることですわ」
その言葉に、何人かの若い貴族が視線を伏せた。
今まで笑っていた者ほど、顔色が悪い。
国王が、重い息を吐いて立ち上がった。
「そこまでだ、シエロ嬢」
「はい、陛下。膝だけで止めましたわ」
「うむ。首でなかったことに感謝する」
王子の顔が青ざめた。
「父上……? これは、どういう……」
「レオナルド。お前はご令嬢を侮った。王族として最も恥ずべきことだ」
国王の声が、会場に響く。
「シエロ・ルス・アルバレス嬢は、王国最高位の言霊使いである。国境の魔物侵攻を一節で止め、王妃暗殺未遂の呪詛を解き、外交文書に仕込まれた精神支配を破った。表向きは詩人令嬢として扱っていたが、その力は王国の最重要機密だ」
男たちの顔色が変わる。
令嬢たちは、やっぱり、という顔をした。
マルが涙ぐみながら呟く。
「シエロ様は、前にも私を助けてくださったんです。嫌がらせの手紙を、恋文みたいな詩に変えて……差出人が自分で謝りに来るようにしてくださって」
「まあ、懐かしいですわね。あれは可愛らしい術でしたわ」
「可愛らしい……?」
イサンが低く呟く。
「三日三晩、謝罪文を書かせる術が?」
シエロは可愛く首をかしげた。
「反省は量ですわ」
アイタナが扇で口元を隠し、肩を震わせた。
令嬢たちの間から、ぱち、ぱち、と拍手が起こる。
やがてそれは会場中に広がった。
一方で、ティアゴは床に膝をついたまま、がくがく震えていた。
「わ、私は……」
「サリナス家には、のちほど沙汰を下す」
国王の一言で、彼は完全に沈黙した。
レオナルド王子も、青い顔で頭を下げる。
「アルバレス嬢。無礼をした」
「謝罪は受け取りますわ」
シエロはにっこり微笑んだ。
「次からは、知らないものを馬鹿にする前に、辞書を引いてくださいませ」
「辞書……」
「分厚い辞書ほどよろしいですわ。角が立派ですもの」
「殴る前提なのか?」
イサンが小声で突っ込む。
「知識は武器ですわ」
「物理的に使うな」
騒動のあと、シエロはイサンに連れられて庭へ出た。
夜風が、熱の残る頬を冷ましていく。
遠くではまだ詩会の音楽が流れていたが、もう誰もシエロを笑う者はいない。
「また、やりすぎたな」
「膝を折らせただけですわ。首は落としていません」
「基準がおかしい」
「イサン様は心配性ですのね」
「あなたが危険すぎるからだ」
シエロはむっと頬を膨らませた。
「まあ。可憐な乙女に向かって危険物だなんて」
「可憐な乙女は、舌を三つ編みにすると脅さない」
「あら、実行していませんわ」
「やればできるのが問題だ」
少しの沈黙。
それから、イサンはふっと表情を和らげた。
「だが、いい詩だった」
「……本当ですの?」
「ああ。怒っていても、あなたの言葉は誰かを守るために向いている」
シエロは、珍しく言葉に詰まった。
桃色の髪を指でいじり、視線をそらす。
「イサン様は、ずるいですわ」
「何が」
「そういうことを言われると、恋の詩を紡ぎたくなります」
イサンの肩がわずかに跳ねた。
「……安全なものにしてくれ」
「もちろんですわ」
シエロは一歩近づき、彼だけに聞こえる声で囁いた。
「あなたの夜が、わたくしの声で少しだけ明るくなりますように」
風が通り抜けた。
花が揺れた。
今度は誰の膝も折れず、誰の喉も焼けなかった。
ただ、黒髪の強面騎士だけが、耳まで真っ赤になった。
「……それは、本当に術ではないのか」
「ただの恋の詩ですわ」
「信用しきれない」
「まあ、失礼ですこと」
シエロは楽しそうに笑った。
王国最強の言霊使いは、今日も恋の詩しか書かない。
ただし、その一節が世界を変えることを、もう誰も笑えなかった。




