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信頼

 監査制度導入から数日。


 橋前市場では、新しい掲示板の前へ人が集まるようになっていた。


『区画予算』

『会計記録』

『市場整備費』


「……本当に全部貼り出してる」

「ここまで公開するのか?」


 人々は驚きながら木板を見上げている。


 以前の橋前市場なら、金の流れなんて誰も知らなかった。


 だが今は


 “街が何に金を使っているか”が見えるようになり始めていた。


 玲司は第二橋の欄干へ寄りかかりながら、その様子を静かに見下ろしていた。


(……でも、これだけじゃ足りないんだよな)


 透明化しただけでは、信頼は完成しない。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


「玲司」


 ボルドが難しい顔で橋へ上がってくる。


「最近、変な空気ある」


「何です?」


「“公開してるのに信用できない”って声」


 玲司は少しだけ目を閉じた。


(……やっぱりそこ行くか)


 情報公開と信頼は別だ。


 人は、“見える”だけでは安心しない。


 公平だと感じなければ、疑い続ける。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


「……でも、全部見せてるんでしょ?」


 エルザが掲示板を見る。


「かなり見せてます」


「なのに駄目なの?」


「透明性と信頼って別なので」


 玲司は静かに答えた。


 行政不信はどこまで行っても消えない。


 どれだけ説明しても、“自分は大事にされてない”と感じれば、人は信用しない。


「制度って、“正しい”だけじゃ回らないので」


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 その日の昼。


 橋前管理所では、公開議事録が積み上がっていた。


「市場区画予算」

「井戸増設費」

「夜警配置計画」


 カルムが疲れ切った顔で机へ突っ伏している。


「最近、“なんで宿区画ばっか優先されてる”って抗議来た」


「市場側ですか?」


「工房側」


 玲司は静かに木板を見る。


 公平とは難しい。


 全員へ均等に配っても、人は“不公平”を感じる。


 なぜなら。


 人は、“自分の損”に敏感だからだ。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


「……つまり、“正しく配分した”だけじゃ駄目なのか」


 カルムが低く呟く。


「ですね」


 玲司は頷いた。


 都市行政では“説明責任”が重要視された。


 なぜこの配分なのか。

 なぜ今これを優先するのか。


 納得感が必要になる。


「最近の橋前、“制度そのもの”より“感情”が問題になり始めてる」


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


「……お前、最近かなり人間臭い悩み方するようになったな」


 ボルドが少し笑う。


 玲司は少しだけ黙った。


 今までは、都市計画を“構造”として見ていた。


 人口。

 道路。

 税収。


 だが今は違う。


 都市とは、感情で動く人間の集合体だ。


「都市って、多分“納得”で維持されるので」


 その声は静かだった。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


「玲司殿」


 ラウスが静かに掲示板を見る。


「……興味深いですね」


「何がです?」


「橋前市場、“透明化”から“信頼形成”へ移行し始めている」


 玲司は少しだけ目を細めた。


 長く続く都市ほど、制度だけでなく、“この街なら大丈夫”という感覚を持っていた。


「最近、周辺領地でも“橋前は説明を求める街”と言われています」


 ラウスは苦笑する。


「普通、平民は理由なんて聞けませんから」


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 その時だった。


「管理長!」


 若い職員が駆け込んでくる。


「工房区画側、“予算説明会やれ”って要求してます!」


 ボルドが吹き出した。


「もう完全に政治都市じゃねぇか!」


 玲司は小さく息を吐いた。


(……でも必要だな)


 都市運営とは、“決める”だけではない。


 理解してもらう必要がある。


 納得してもらう必要がある。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 夕方。


 橋前広場では、人々が掲示板を囲みながら議論していた。


「この区画、最近予算多くね?」

「いや宿不足かなり深刻だぞ」


 揉めている。


 だが以前とは少し違う。


 今の議論は、“街を壊すため”ではない。


 “街をどう維持するか”について話している。


 玲司は少し離れた位置から、その光景を静かに見ていた。


 信頼なんて曖昧な言葉だと思っていた。


 都市とは、“他人同士が、明日もこの街で暮らせると思える状態”そのものなのかもしれない。


 その感覚を、玲司は少しずつ理解し始めていた。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


「でもあなた、最近本当に“村長”じゃなくなったわね」


 隣のエルザが静かに言う。


 玲司は少し考えた後、小さく笑った。


「……多分、“信頼維持装置”に近いですね」


 エルザが呆れたように笑う。


「その言い方、本当に夢がないのよ」


 夜の橋前市場では、“この街を誰が信じられるのか”という静かな問いだけが、灯りの下で広がり続けていた。

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