王女ベルティーユは役目を心得ている
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「――魔王っ!! 姫を返してもらおうか!」
高らかに宣言してから、勇者クロードは大きな門を剣で切り裂いた。
辺りに土埃が舞う。
魔王からの攻撃に備え眼光鋭くしたクロードは、真っ黒で禍々しい塊を捉えるとその首に刃をかざした。
断末魔すら上がらず、灰になって消えていくのが観測できる。
土埃が収まり視界が良好になったクロードは囚われの姫を探そうとしたが、最初に飛び込んだ景色に瞠目した。
「これで王手です」
ッターン!
姫が、平たい駒を指で置いていた。良い音を立てて。心なしか満足気にむふ、と目を細めている。
「次は魔王様の番、……ってあら、いませんね」
負けを前に逃げ出したのかしら。
金色の髪をふんわりと揺蕩わせ桃色のドレスに身を包んだ姫は、その可愛らしい容姿とは裏腹に冷静に呟いている。
「……あの〜」
「あらあら? 新しい挑戦者ですか? それもまた一興、このしょーぎ姫ベルティーユがお相手しましょう」
「……あ、いや、勇者と言いますか……」
元は平民の勇者は背を縮ませながら話しかける。
「あらそう。魔王を倒したのね、お疲れ様」
魔王に攫われたにしては肝が据わりすぎている王女が手を伸ばした。
「では連れ出してくださる?」
「……はい」
横抱きにし、魔王城を後にする。
魔王が侵攻を始めてから二年。姫が攫われて一年。
勇者としての務めを果たした青年は、なんとも言えない気持ちを抱えながら王城に帰った。
◇◇◇
クロードは貧しい村の青年だった。だが勇者の剣が突き刺さった岩から剣を引き抜いたことで勇者に任命され、魔王を討伐することになった。
鍬しか振るったことのない青年が、剣の力を借りながら魔王を倒すため立ち上がったのだ。
村から王の御前まで連れ去られ、剣を帯刀したクロードは跪き王の話を聞く。
王はオヨヨと泣きながら、姫の肖像画を持っていた。それは半年前に魔王に攫われた姫だった。
「私の最愛の姫、ベルティーユが攫われたんだ! 可哀想に、きっと毎晩涙で枕を濡らしているに違いなーい!」
魔王の侵攻により民も困っている中、呑気な王だなと思いながらクロードは「そうですか」とりあえず頷いた。
「すごーく、美人だろ?」
「そうですね」
「こんな子を嫁にもらえたら、光栄だろ?」
「そうですね」
そうですねbotと化したクロードは、早く行ったほうが良いのでは? という考えが喉元まで出かかるが飲み込む。 確かに姫は美しく可愛い。
ここで勇者の士気を盛り上げるのも王の役目なのだろう、と思って。
――だが、それは全くの見当違いだったということに、半年経って姫と共に王城に帰還してから気づいた。
王は舐めまわすような視線を勇者クロードと姫ベルティーユに向ける。
王の椅子から立ち上がり、謁見の場にいる全ての者に聞こえるように声を張り上げた。
「此度の活躍、見事であった! 勇者の活躍を祝して、以前そなたが『美しく』て『嫁にもらえたら幸せ』と言っておった姫との結婚を許そう!」
あぁ、やられたと思った。王国は魔王からの侵攻で困憊し、貧困に喘いでいる。そんな中、勇者への褒賞に回すものはない。
しかも、クロードは勇者とは言え元は平民なのだ。
王の方が一枚上手だった、と言うのだろう。少しの不敬で勇者を処刑するわけないのだから、あの時なにか言い返しておけば良かったと後悔が押し寄せる。
褒賞金をせしめて贅を極めた生活を送ることがクロードの目標だったのに。
「一代限りの男爵位も授与することとする」
しれっと国に縛り付けるため爵位まで与えられ、本当に逃げられないのだと歯噛みした。
姫がちらりとクロードを見て、美しいカーテシーを披露した。一本芯が通ったように揺らぎがない礼に、周りからほぉとため息が漏れる。
不思議になりヨロヨロ顔を上げれば、ベルティーユはニコリと笑った。
「不束者ですが、よろしくお願いしますね勇者様」
「…………」
頷いたら、本当に締結してしまう。
「勇者様、いえ旦那様。お口がお留守になっていますわよ」
「…………」
姫の笑顔の圧が怖い。
「『はい』と一言言ってくださるだけで良いのですよ、旦那様」
「…………ッ! 〜〜っはい……」
ドレスで隠れた足元で颯爽と靴を踏まれた。踵が刺さり痛い。
諦めて頷けば、瞬間わっと周りが湧いた。
「まぁ、嬉しいですわ旦那様。わたくしのことは、気軽に『ベルティーユ様』とお呼びください」
「はい……ベルティーユ様」
「あら今のはジョークでしてよ。様はいりません。敬語もです」
「あ、うん、ベルティーユ……」
腕にするりと手を絡ませたベルティーユから顔を背けるようにして、魂を飛ばしながら拍手の音を聞き続けた。
◇
それから一ヶ月。
男爵領での生活は始まったが、なんやかんやと理由をつけ姫との婚姻届にはまだサインをしないでいた。
「往生際が悪い方って、なんだか新鮮ですわ」
だからこうして、毎日ベルティーユが婚姻届を携えて屋敷にやって来る。
「また来たのか……」
「えぇごきげんよう」
執事たちに指導を受けながら執務仕事に明け暮れ、肌艶を失ったクロードとは対照的にベルティーユの装いは華やかだった。
眉間に皺が寄る。
散々魔物を葬り魔王を討伐し、終生の働きにも匹敵する実績の自分がこんなに窶れているのに、困窮していると言っておきながらそんなに豪奢なドレスを買えるのかという恨み言を噛み殺した。
ぬっと伸びた細い指が眉間の皺を撫でほぐした。
「あらあら酷いお顔。旦那様の陳腐な頭でなにを考えているかなんてお見通しですわ。けれど良くご覧になって、初めてお会いした時のドレスでしてよ」
「え? そんなまさか」
ベルティーユがドレスの裾を持ち上げる。
「大きな装飾であるリボンを取り外し、代わりに庭で咲いていた花々を飾ったのです。わたくし、才色兼備なので」
ドレスの違いなんて分からず首を傾げていれば、クロードが闘っていた契約書等をひらりと取り上げられる。
暫くして顔を上げたベルティーユにじっと見つめられ、胸がドキと音を立てた。
「……旦那様」
「な、なんだ」
「もしや破滅願望をお持ちで?」
頭が真っ白になる。
「ないに決まってる!」
「ではこの契約書に判を押すのは止めて、この婚姻届に判を押すのが宜しいかと」
涼しい顔で婚姻届を押し付けるベルティーユから逃れれば、彼女が今しがた見ていた書類をクロードの眼前に出した。
「鉱山を掘るのに出資してくれ、絶対金が掘り当てられるはずだから何倍にもして返す。……典型的な詐欺でしてよ。ここには足を運んだことがありますが、金なんて到底掘り当てられないかと」
「なんだと……っ」
「執事は一体なにをしているの」
矢のような叱責に、執事が平然とした顔で前に出た。
「それは私めが作成して書類にございます。旦那様が騙されるのか否か見極めさせていただこうかと思って。あぁ……、爺やの老後の資金の蓄えになってしまうかと危惧しておりましたが、姫様がいらっしゃれば安泰なようですな」
「しれっと老後の資金にしようとしてるのかよ……! 見極めるっていうか本物の詐欺だよ、それ!」
呆然としながらも、最近人間の汚さばかり目にしてるクロードが指摘する。
いやはやと執事が風を切るような速さで書類を回収し持ち場に戻って行った。書類は千切られ屑籠に捨てられた。
「人間って、汚い……」
「えぇえぇ、可哀想な旦那様。人間不信になってしまわれたなんて。でも大丈夫です、わたくしは裏切りませんわ。ささ、この書類に判を……」
「しないからな!」
「……チッ」
「怖!!」
慄くクロードに、舌打ちしたとは思えぬ穏やかな笑みを湛えたベルティーユがお茶会を提案した。
◇
ベルティーユが持参した紅茶とお菓子をクロードはゆっくりゆっくり、鳥がついばむように食べる。マナーなんて毛ほども知らないしこの姫が規格外だということも重々承知だが、雑に食べようと思わないのは彼女の所作が美しいからか。
ティーカップを運ぶ指先すら軽やかで品があり、一挙一動が湖面のように静かだった。
ベルティーユは伏せていた顔を上げる。
「美味しいですか?」
「あ、あぁ……」
「それは良かった」
見つめていたことに気づき恥ずかしくなって視線を逸らす。
沈黙が続く。秋の乾いた風が二人の間を縫うように通っていった。
息苦しくなり、苦し紛れに言葉を出す。
「ベルティーユは、魔王と仲が良さそうだったな」
カチャンッ
彼女がソーサーにカップを置く音が、些か荒々しく響いた。
唖然とするクロードを置いて、彼女は目を眇めた。水色の瞳は凍りついたようだった。
「まぁ、別に旦那様が心配なさるようなことなどなにも起きておりませんのに。嫉妬ですか? 可愛らしいですね」
「ち、違う違う。その、『しょーぎ』とやらをやっていたのだろう? それを聞きたかったんだ」
「そういうことでしたか」
ふっと、ベルティーユの瞳が氷解した。
「旦那様が魔王を倒したせいで、わたくしの四十七勝三十六敗が潰えたアレですね。しょーぎというのは、魔王様が異世界で見聞きした駒遊びのようです。一人でやっておられたのですが、わたくしが学んでからは二人でよくしょーぎを指しておりました」
「俺みたいなのじゃ到底できなさそうな遊びだな……」
クロードが幼い頃に村でやった遊びといえば、もっぱら体を動く遊びだった。
駒を動かす遊び。考えただけで頭がパンクしそうになる。
「……そう言えば、どうして魔王に『様』を付けてるんだ?」
「悪いですか?」
「いや悪くはないけど……」
ベルティーユの白い手がクッキーを摘む。
「仲良くなっていく内に、ですわね。元来呼び捨ては好みではありませんので」
「そうか」
「最初は勿論怖くてしょうがありませんでしたけど、人間とは順応する生き物ですからね。一週間ほどで慣れてきて、段々気の良いおじいちゃんと遊ぶ感じになっていきました。彼もまた、遊び相手が欲しかったようで」
「順応力高いな」
在りし日に思いを馳せるように、彼女が遠くを見る。それからひたと、クロードを捉えた。
「ですので、すぐに男爵夫人にも順応するかと」
クッキーを咀嚼しながら婚姻届を提示される。
「いやそんな自然な感じで渡されてもサインはしないからな」
「…………」
「せめて喋って!?」
「――姫様、そろそろお時間です」
姫付きの侍女が、ベルティーユの側にいつの間にか立っていた。
「あらそう。では旦那様、また明日ですね」
ひらひらと手を振りながら、彼女は優雅に去っていった。
◇◇◇
それからもベルティーユは足繁くクロードの下へ通った。
美しいドレスに身を包んだ彼女は、毎回「このドレスはこうして作り直しました」披露を行った後一緒にお茶をする。
その度に執務仕事を手伝ってくれたり有益な情報をもたらしてくれる。
秋が深まり、庭ではなく広間でお茶会は行われている。
「旦那様。取り引きで大事なのは実際にその場所を訪れることですわよ。まぁ、勇者である貴方を騙そうとする輩は少ないと思いますが、この世に悪意はひしめいているのですから」
「な、なるほど」
「ですので、今度行ってみましょうか。まずは手始めに男爵領を巡ってみましょう」
「よろしく頼む」
頭を下げれば、ベルティーユがうふふと扇子で口元を隠す。
「デートですね。しっかりエスコートしてください」
デート
破壊力のある言葉が突風のように脳裏を駆け抜けていった。
顔が赤くなれば、彼女は鈴を転がすように笑った。
◇
デートですとな。それはめでたいことで。ささ、この服に袖を通してください。良くお似合いですよ。当日は決して姫様を困らせないように。そのための技をこの爺やが伝授いたしましょう――
早朝。
誰よりも今日のデートに心を躍らせた爺やによって飾り付けられたクロードは、既に疲れ切っていた。デートが決まった日から爺やからエスコートの手ほどきを受けていたからだ。
めかしこむのは好きじゃないと駄々をこねたお陰で白シャツ黒ズボンが標準装備だった彼は、爺やがこっそり一着仕立てていた、他の貴族たちと比べても見劣りしない服を着せられていた。
乱雑に一本結びの赤茶の髪は繊細に編まれ、リボンで括られている。
皺一つないシャツは一番上までボタンが留められ、タイが結ばれている。藍色のフロックコートは肩の部分がキツく、少し運動をすれば裂けてしまいそうだと冷や汗が頬を伝った。
戦々恐々とするクロードの隣で、爺やは達成感で気持ちの良い汗をかいている。
「ふぅ、これで姫様の隣に並べるでしょう……」
「ありがとう……」
「では最後に。良い男というのは最後に贈り物をするのでございます」
「あぁ」
受け取ったラッピングが施された紙箱を、ため息をつきながらチェストの上に置いた。
そこでベルティーユの来訪が告げられる。玄関まで行けば、普段より装飾が派手な彼女が立っていた。
お互い無言で見つめ合う。
「まぁ、初めて見る姿ですわね。もしかして張り切ってくださったのですか?」
「あぁ」
爺やが。
「それに目元にも隈が。楽しみ過ぎて眠れなかったのですか?」
「……まぁ、そうだな」
爺やが。
「あらあらまぁまぁ」
普段より数段機嫌の良さそうなベルティーユを爺やに言われたようにエスコートしながら、二人は馬車に乗り込んだ。
「今から行くのはシェル湖ですわ。水が綺麗なところで、観光客も中々にいます。付近に宿を設ければより収入が増えるでしょうね」
「なるほど。勉強になるな」
「うふふ」
ベルティーユはさすが王女というわけか見聞が広く、男爵領の情報にも明るいようだった。
辿り着いた湖の周囲には誰もいなかった。薄い霧が立ち込めている。
湖の周囲を歩く。辺りはしんとしていて、静謐な空気で満ちていた。秋としては肌寒い。
ベルティーユの表情はついとも揺らがないが時折手を擦り合わせる仕草からも、体が冷えたのだろうと窺えた。
着ていたフロックコートを肩にかける。
「急になんですか旦那様?」
「いや、寒いのかと思って」
「そうですか、ではありがたくいただきますね」
ベルティーユの普段の装いは、ネックレスやイヤリングがないものだった。
しかし今日は小さいが品の良いネックレスが首元で煌めいている。
「美しい物を見つめたい気持ちは分からなくもないですが、淑女を凝視するのは失格でしてよ」
「あ、ごめん」
クロードの視線を辿った彼女が上着を握る手に力を込めた。
「……普段は付けておりませんわ。民からの反感を買うでしょうから。今日は特別付けたのですよ?」
「はぁ……」
気の抜けた返事に姫はご立腹らしい。
「鈍いですわねぇ」
「ごめんなさい……?」
「まぁ、良いのですけれど。今度は旦那様の体が冷えてしまうでしょう? 予定を早めてレストランに行きましょうか」
またエスコートしながら馬車に乗りレストランに着いた。
メニューを見つめ唸るクロードにため息を付き、ベルティーユが自分と同じ物を注文する。
運ばれてきたのは白身魚のポアレだった。皮はパリパリに焼かれていて、ニンニクの香りも相まって食欲をそそる。
「いただきます」
「『いただきます』? なんですかそれは?」
手を合わせれば、ベルティーユに眉をひそめられた。
「えーっと、食材とかに感謝を表すこと、的な?」
「なるほど? ――では、いただきます」
白身魚をカトラリーで美しく食べる彼女を見様見真似するが上手く行かず野菜が跳ねた。
「旦那様、そう力まなくても切れます。肩の力を抜いてくださいな」
「こ、こうか?」
「そうそう、上手ですよ」
楽しい食事の時間は三時を告げる鐘の音が聞こえるまで続いた。
◇
最後に孤児院に寄りたい。
その言葉で訪れた孤児院で、ベルティーユは子どもたちに揉みくちゃにされていた。
「お姫さま〜、ご本読んでぇ」
「違うの、お姫さまゴッコするの!」
舌っ足らずな子どもたちに引く手数多なベルティーユはいつもより笑顔が柔らかい。
その内の一人にクロードの服の裾が引かれた。
「お兄ちゃんはだぁれ?」
「え? 俺は、えっと……」
説明の仕方が分からず言い淀めば、さっとベルティーユが助け舟を出した。
「彼は魔王を倒した勇者様であるクロード様ですよ」
「わぁ、凄い!」
「勇者さま!」
女の子が頬に手を当て、きゃぁと歓声を上げた。
「あ、じゃあお姫さまが言ってた、自分を助けに来てくれた勇者さまってお兄ちゃんのこと!?」
「え」
「大好きぃーって言ってた!」
「わたくし、そこまでは言ってないと記憶していますが……っ」
初めて聞く大きな声に飛び上がれば、彼女は扇子で顔を隠しながらもむくれていた。
「大好き……」
ぽ、と頬が赤くなる。
「だからそこまでは言ってません」
ピシャリと否定される。
だが『そこまでは』と言うことは、近いことは言ったのだろう。
ますます頬のほてりの抑えが効かなくなって、心臓の音が耳に達するほどだった。
気まずい雰囲気が流れた。
「ねぇお兄ちゃん、高い高いして」
それをきり裂く無邪気な声。
「あ、あぁ! 勿論だ!」
剣を失っても勇者は勇者。二人くらい悠々と持ち上げれば歓声が上がり、私も私もと子どもたちがわらわら集まった。
ニコニコ笑いながら相手をする。
子どもたちを抱き締めたり抱き着かれたりするクロードを横目に、ベルティーユは目を細めて佇んでいた。
◇
子どもたちが満足し解放される頃には、日はもう沈みかけていた。
あんなに抱っこをせがんだ子どもたちも、院長が夕食の用意を手伝うように声を張れば蜘蛛の子を散らすようにいなくなった。良い子たちだが、クロードは寂しくてホロリと泣いてしまった。
「さ、帰りましょうか」
その声に引かれて立ち上がる。
「そうだね」
馬車で揺られながら、ふと気になったことを尋ねた。
「どうして孤児院に通っているんだ?」
「勿論、旦那様の領地にあるからですわ。これでわたくしの評判はうなぎ上り、というわけです」
「そうか」
頷いてから、とある考えが過ぎる。
「もしかして、湖とかに詳しかったのも?」
「調べておきましたの。わたくしが旦那様を支える領地なのですから。これくらい良き妻の心得としては当たり前ですのよ」
「……ありがとう」
「いえいえ、お礼は書類にサインで構いません」
虎視眈々とサインを狙う彼女に苦笑しながら、強く否定できない自分の気持ちに気づいていた。
――村でのクロードは、なんの変哲もない村人だった。畑を耕しながら空を見上げ、自分の未来はこの青空のようにのっぺりとしていて、毎日同じことを繰り返すのだと漠然と思っていた。
そんな彼の道に、少女が立っている。思いは巡り言葉にならず、星が瞬く空を見上げた。
考えは纏まらない。だが確かに定まったものもある。
ベルティーユを、心の底から愛している。
美しい花々をかき集めた花束を贈ったら、彼女はどれくらい驚いてくれるかと夢想してしまうくらいには。
屋敷に着けば、夜遅いからと一緒にご飯を食べることになった。
研鑽を積み優雅に食べれるようになってきてドヤリと胸を張れば、ベルティーユがクスクスと声を立てる。
「もう、本当に可愛い人」
その笑顔が素敵で、背筋が無意識の内に伸びた。
穏やかな時間が流れる。
食べ終わって人心地ついたところで、ベルティーユはお暇することになった。
彼女を玄関で見送ってからフロックコートを脱いだところで、爺やが慌てた様子で駆け寄ってきた。
「旦那様、これをお忘れですよ!」
「あっ」
ベルティーユに最後渡すはずだった紙箱を爺やが掲げていた。
受け取り、まだ間に合うかもと向かう。
自然と小走りになっていた。
紙箱が熱を持ったように熱い。
紙箱には、光を反射して輝く朝露のような糸と、クロードの瞳と同じ茶が混じった深い黄色のリボンが収まっている。ベルティーユは喜んでくれるかと考えるだけで胸が華やいだ。
言おう。結婚してくれと。
突如浮かんだ考えに、より心はふわふわとしていく。
馬車の前にベルティーユはいた。侍女となにか話し込んでいる。
すぐに声をかけようとした。
だがそんな気持ちは急速に萎んでいった。足が止まる。
ベルティーユの瞳は凍りついていて、侍女は目に涙を浮かべていた。
「あぁ、酷いです。姫様が一体なにをしたと言うのでしょう。国王陛下は酷いですわ、姫様を厄介払いのように勇者に嫁がせようとするなんて」
言葉が、耳をつんざいた気がした。立っていられなくて膝をつく。
世界が真白に凍りついたような衝撃だった。
指先も瞬きも、呼吸すら上手くできない。
「しょうがないわ。なにもなかったとはいえ、魔王様に攫われた時点でわたくしは傷物。穢れているわたくしを古狸ではなく勇者様に嫁がせようとしたのは、まだ温情でしょうね」
「姫様はなにもなかったと、そう言いましたのに……」
「真実なんてどうでも良いものよ。それよりも、勇者への褒賞や外聞の方があの人にとっては大事だったのだから」
冷や水を頭からかけられたみたいに思考が冴え渡っていく。
そうか、と全てを理解した。
自分は最後の最後まで、都合よく使われていただけなのだ。好かれていると勘違いして馬鹿みたいだと、己を嘲笑する。
「あんな平民出身の者と結婚なんて、姫様が可哀想です……」
「っ彼は世界を救った勇者様よ。彼を侮辱する言葉はわたくしが許しません」
「すみません。ですが、私は悔しくって……」
侍女はそこで言葉を切り、またさめざめと泣く。
ベルティーユは遠くを見つめている。
「これが運命だったのよ」
王女としての矜持に満ちた声だった。寒々とした声だった。なにも考えられなくなった。
「勇者様は、婚姻にいつ頷いてくれるかしら」
「姫様……」
「あの人が提示した猶予はあと一年ね、それくらい経てば褒賞金も用意できているだろうと。……それが過ぎたら、わたくしは別の人に嫁ぐのね」
「……はい、隣国の北側に住む伯爵が姫様を言い値で買うと。あのキモくてハゲでおまけに臭く、しかも妻をすでに三人も持っている彼の下に嫁がせて堪るものですか!」
そのためなら勇者にはどんな手を使っても……!
憤る侍女をベルティーユは手で制した。
真っ黒な世界で、彼女の金髪が月の光に照らされている。
「……勇者様がどうしても嫌がるなら、無理強いする気はないの。ふふ、そんな古狸の下に嫁ぐなんて、穢れたわたくしにおあつらえ向きじゃない」
力の抜けきった声が風に攫われる。
二人はそのまま馬車に乗り込み、屋敷から遠ざかっていく。
音がすっかり失くなってからクロードはようやく立ち上がり、おぼつかない足取りで帰った。
両の目からは大粒の涙が溢れ、流れ落ちたそれが悲しい足跡を作っていた。
◇◇◇
それからの一週間。ベルティーユと上手に話せる気がせず彼女が訪れる時間は執務室に籠もっていた。
爺やたちに彼女を入れないよう伝えれば、心配そうな顔はされたが結局は皆頷いてくれた。
「旦那様ー? 恥ずかしがっているのでしたら可愛らしいですが、そろそろ出てきてくださいな」
毎日扉越しに話しかけられるが無言を貫く。
「旦那様……」
「なにも言わないでくれ、爺や」
爺やは大袈裟なため息を一つ。周りの執事たちも揃えたようにため息をつき、大きな塊となったため息がクロードに直撃した。閉塞感に心臓が痛くなる。
夕方頃になればベルティーユは諦めたのか帰っていった。
食事をするために執務室から出たクロードは、廊下の端にバスケットが置かれていることに気づいた。上にかけられた布を捲れば紅茶缶とお菓子、それから手紙が並んでいる。
『旦那様
最近お忙しいようですが、食事などはきちんと取っていますか? 眠れておりますか? 体調を崩さないかだけが心配です。限界を感じたら、すぐにわたくしを頼ってくださいね。
よく眠れるよう心が落ち着く紅茶と、美味しいカップケーキも気が向いたら食べてください。
ベルティーユ』
「…………」
達筆な手紙からは、こちらを慮る言葉が紡がれていた。舞い上がってしまう恋心を必死に抑える。
食事を終え風呂に入った後も、手紙の言葉が反芻し続ける。
自分はなにをしているのだろう、と虚無感に苛まれる。
このままベルティーユを遠ざけてなにがしたい。このままでは、彼女はキモくてハゲていておまけに臭いらしい男の下へ嫁いでしまう。本人にとって最も不本意な結婚となる。
村は自由恋愛しかほぼ存在しない。だからこそ、恋愛の勝者がいれば敗者も存在していた。同じ女性に告白して、一方が泣き崩れる姿を見ることも珍しくなかった。
けれど誰も彼もが、村をあげての結婚式では惜しみのない祝福を送る。自分が幸せにしたかった人が、他の人と結婚するというのに。
当時はそれを、強がりなんて言葉で片付けていたが今なら分かる気がした。
幸せならそれで良いかも、と思えるのだ。隣に自分がいれなくても。
「……ベルティーユ……」
ベッドの上で、クロードは枕に顔をうずめた。
◇
日の出の時間。起きて一番にぬるま湯で顔を洗い、デートの日に着ていたフロックコートに袖を通す。
だが同じだとあれかと思って、庭に出て一輪のアネモネを貰った。
黄色の花弁のアネモネを胸ポケットに挿し、タイを整える。
玄関の前で、クロードはひたすらにベルティーユが訪れるのを待った。
だがその日、ベルティーユは訪れなかった。
次の日もクロードは日の光が昇ると共に起床した。昨晩針で指をつつきながら刺繍を施したタイをしっかりと結び、変わらぬフロックコートを纏う。
たった一度だけは可哀想だと、水を張った硝子のコップに生けていたアネモネの水分を拭き取り、また胸元に挿した。
扉の前で待ち続ける。使用人もそれに倣って、扉の前で待機し始めた。
女主人の帰還を待ち侘びるように。
だが今日も訪れなかった。
三日目。いつも通り用意をして、使用人と共に並び立つ。
日が高くなり、煌々とした光がエントランスに差し込んだ。
来訪を告げるノックが鳴る。
扉が、開く。開けた扉の奥に立っていたベルティーユは目を見開き身動ぎもしない。扉を開けた侍女も同様に固まっていた。
使用人たちは粛々と頭を下げる。
「……これは、一体どういうことなのでしょう。毎日お伺いするのも迷惑かと思い日を開けたのですが……」
困惑しきった声に思わず苦笑する。
爺やに散々教わったエスコートの仕方をなぞり、クロードはベルティーユに手を差し出した。
「君を待っていたんだベルティーユ。俺に少し時間をくれないか?」
「? 構いませんが……」
――連れてきたのは、応接間だった。ソファにベルティーユを座らせ、その前で跪く。
手を取ればまん丸くなった水色の瞳とかち合った。
「混乱しているようだな」
「それはそうですよ。無視したかと思ったら今日はこんなに構われて、随分とワルい人になってしまったようで」
「すまない」
触れた指先から、緊張が伝わってしまいそうだった。深呼吸をしとりなす。
「少しだけ、話を聞いてほしい」
「はい、良いですよ」
「俺は――初めて君を肖像画で見たとき、こんなに美しく可愛い人がいるのかと驚いた!」
「……はいぃ?」
噛み締めながら告げれば胡乱げな目を向けられる。
確かにあの時国王に不信感を募らせていたが、ベルティーユを美しいと思ったのは嘘じゃない。
美しく巻かれた金髪。けぶるようなまつ毛で囲われた澄んだ瞳。体は華奢で、すぐに折れてしまいそうなほど儚かった。
「それから、君がこの領地に押しかけ一緒に話す中でも、美しいと思ったり可愛いと思ったりする瞬間は多々あった」
クロードは朗々と語った。ベルティーユが可哀想なほど顔を真っ赤にしても一切止まらずに、彼女について賛美の言葉を尽くした。
国民を想い、ドレスを新調せず作り直すところ。
けれどデートの時にはネックレスを付けてくる可愛いところ。
詐欺に遭いそうになった自分を助け、色々な知恵を逡巡なく授けてくれるところ。
領地を知ろうとするだけではなく、進んで人と関わろうとするところ。
自分の知らない風習もすんなりと取り入れるところ。
所作がなってないと馬鹿にするのではなく、優しく教えてくれるところ。
公平な目で人を見ているところ。
握る手に力が入る。ついとも逸らさず、彼女の瞳を見据えた。
「俺は君の容姿だけではなく心も、とても美しいと思う。その美しい心は、穢れなんてない」
はっとベルティーユが目を見張った。指先が震えている。
「ベルティーユ、君は穢れることなんてない。今までも、これからも、君のその溢れるほどの優しさは輝き続ける。ベルティーユは、世界で一番美しくて綺麗で可愛い女の子なんだよ」
「……旦那様」
「だから自分を追い詰めなくても良い。誰かを好きになって良いんだ。君が恋した男なら、きっと君の美しさに心を奪われる。妥協する必要はない、俺には国王陛下も強く言えないだろうから、一緒に抗議しに行こう」
尚も言葉を募らせようとするクロードだったが、ベルティーユの表情に口が縫い付けられた。
彼女の淡く色づいた唇は、絶え間なく震えていた。言いたいことが十も百もあるのになにも出てこないように。
代わりに、
「……そう」
全てを含んだ息を吐ききった。
「ねぇ、もう一回言ってください」
「え、あ、どこから? さすがに記憶力が悪いから全部は……」
「違いますわ、わたくしの名前です」
それなら簡単だ。クロードは微笑む。
「ベルティーユ」
「はい。もう一回」
「ベルティーユ」
「はい」
「ベルティーユ」
「はい……っ」
もっと、もっととベルティーユはねだる。
大切なもののように、穢れなきもののように呼んでと。
クロードは応える。空に輝く星を一つずつ数えるように。
何度目かで、ついに彼女の顔に大輪の花が開花した。
「――ありがとう」
ベルティーユの頬に涙が一滴流れた。
それは、どんな宝石や花にも劣らず、どんな賛辞でも言い尽くすことができない、美しい涙だった。
満足し、クロードはするりと手を離す。
体温が解け、熱が冷めていく。
失恋の痛みを訴える心を見ないふりし、ベルティーユのこれからに惜しみのない祝福を送った。
◇◇◇
「――という感じだったと思うんだがどうして未だに来るんだ?」
「酷いですね、旦那様が好きな人と結婚しろとおっしゃるからこうして参りましたのに」
執務を行いながら問いかければ、事も無げに答えられる。
手を止め今ベルティーユが言ったことを咀嚼していれば、理解した途端顔が赤くなった。
「……っ、そ、そそそそれはまるで俺のことが好きみたいな……!」
「そうだと言っておりますのに、やっぱり鈍感ですのね」
わざとらしいため息を爺やが肯定する。
「なんで……」
「そもそも、旦那様は前提からして勘違いなさっているのでは?」
ベルティーユの美しい顔が眼前にいっぱいになった。
「わたくしは最初から、好意を持っていますわ」
すすす、慣れた手つきで婚姻届を差し出された。
クロードは動揺しながらも一旦ベルティーユから体を離し、机の引き出しに手をかける。
そこには渡せなかった紙箱が諦め悪く居座っていた。
この国では、女性が男性に求婚することはまずない。村だと少しはいたが、それでも男性からの方が圧倒的に多かった。
だから伝えるのだ、クロードが。
深く息を吸う。
声すらかけられず、あの日伝えられなかった気持ちを。
クロードは口を開いた。
ベルティーユが耳まで赤く染め上げながら頷くまであと―――
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現在「【連載版】貴方はこの結婚生活の終わらせ方を知っている〜おはようの前にあなたは抜け殻になってしまうけれど〜」という話を連載中です。よろしくお願いします。
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