第59話 助手席の役割とは
「前から思ってたんだけど」
見慣れた街並みの景色を眺めながら貴文が口を開いた。
「なんですか?」
まだ初心者マークの義隆は、前を向いたまま答える。
「義隆くんちの車はいい匂いがするよね。うちの車の安い芳香剤とは大違いだよ」
そう言って貴文は車内の匂いを嗅ぐしぐさをした。
(おいしそうとか言ったら、腹空かせてるみたいで気を使わせちゃうよな。でも、なんて表現したらいいのかわかんないんだよな実際)
家族が運転する車以外で助手席に座ったのは実は初めてで、貴文は何となくきょろきょろと辺りを見回してしまった。センターには大きな画面があって、それがカーナビなのだとはみてすぐに分かった。それからデジタルの温度表示が目に入ったが、どうにも貴文の知っているカーエアコンの表示とは違っていた。
「あ、熱かったですか?」
信号で止まった途端に義隆がきいてきた。
「え?熱くはないよ?なんの温度か気になちゃって」
多分五人乗りなのだが、前後四シートが表示されていて、一つ一つの温度が表示されていたからだ。ちなみに後ろの二席は0度の表示になっている。
「あ、そうですよね。説明しないと」
義隆はゆっくりとコンビニの駐車場に車を停めた。
「これ、座席の温度なんです。背面と座面がこの温度に設定されているので、熱かったら下げてください。それと、モニターがここにあるのでテレビを見るならチャンネルの切り替えはここになります。何か音楽を聴かれるなら音声認識で動作します」
義隆の説明を聞くには聞いたが、もはや車というよりちょっとしたリビングだった。
「うん、わかった。ありがとう。その、せっかくコンビニに停まったんだから、何か飲み物買っていこう?」
「は、はい」
降りるときも義隆がドアを開けてくれて貴文は緊張してしまった。
(こんな高級車、うっかりドアパンしたら修理費いくらかかるんだろう)
貴文がそんなことを考えているとは知らない義隆は、ドリンクを選びながら飛んでも発言をしてくれた。
「あの車、父からのお下がりなんです。どうせぶつけるんだから中古で十分だって言われてしまって」
それを聞いた瞬間、コンビニの店内温度がぐっと下がった気がするのは気のせいだと思いたい。
「でもまだぶつけてないんでしょ?」
貴文がおどけて言えば、義隆は笑いながら頷いた。
車のドリンクホルダーはずいぶんとシンプルな作りをしていたが、そこは機能性を追求した形らしく、背の高いペットボトルもホットドリンクもすんなり出し入れができた。
予想したとおり、車は北に向かっていて、時折表示される車外の気温は一桁になっていた。やはり春先とはいえ夜は冷え込む。だがしかし、シートが暖かくて、貴文はついうとうとしてしまった。
「ん……」
頭が自分の意志とは関係のない方向に動いた衝撃で意識が覚醒した。一瞬、見慣れない景色が視界に入ってきたので、貴文は慌てて目を見開いた。だが、体は動かない。
「え?え?え?寝過ごした?」
きょろきょろと頭を動かし周りを確認した時、端正な横顔が目に入った。
「起きたんですね。もう少しで着きますから」
義隆に言われ貴文は状況を理解した。寝てしまったらしい。言い訳をしてもいいのなら、ふかふかで暖かなシートにすっぽり包まれたせいである。
「ご、ごめん。義隆くん初心者なのに……」
「大丈夫です。逆に運転に集中できました」
「なんだよそれ」
窓の外の景色は行楽地らしく、すでにシャッターが下りた土産物屋が沢山見えた。
「つきました」
くるまがとまったのは立派な門構えの旅館だった。義隆は何のためらいもなく入り口の真正面に車を付けたのだ。助手席の貴文からは、明るい旅館のロビーが丸見えだった。呆然としている貴文の視界に上品な着物を着た女性がどんどん近づいてくる。
「貴文さん。降りてください」
ドアが開けられ義隆が貴文をエスコートした。トランクの荷物は番頭さんらしき男の人が取り出して、義隆は着物の女性と挨拶を交わしていた。
「お部屋にご案内いたします」
ようやく貴文の耳に聞こえたのはそれで、義隆に腕を引かれてふわふわした絨毯の上を歩いた。ずいぶんと廊下が長く、何回角を曲がったのか貴文にはわからなくなったころ、ようやく部屋にたどり着いた。
「げ、玄関がある」
貴文が見たものは、純和風の玄関だった。表札がないだけで、玉砂利や飛び石があるお金持ちの玄関だった。
「貴文さん、足元に気を付けてくださいね」
靴を脱いで中に入ればそこは立派な和室だった。大きなテーブルに分厚い座布団。金箔の入った障子に一枚絵の襖。
「お荷物はこちらに置かせたいただきます」
そんな声がしたが、貴文は返事をする余裕はなかった。
「お食事のお支度はすぐになさいますか?」
「先にお風呂に入りたいので」
「では、30分後から支度に入らせていただきます」
「お願いします」
貴文の背後で義隆がスケジュールを決めていく。
「貴文さん、内風呂があるんです」
そう言って案内されたのは、半分露店の立派な檜のお風呂だった。
「もしかして温泉?」
「はい。ゆっくり入りましょう」
そのまま流れで一緒に入ってしまったことを貴文は猛烈に後悔したのであった。




