第58話 ブレーキランプは何回?
『桜を見に行きませんか?』
四月に入り、どこかふわふわした気分が抜けきれないでいたら義隆からそんなメッセージが届いた。実は三月の末ごろから貴文の送迎は秘書の田中だけが来るようになっていた。だから貴文は義隆の気分転換が終了したのだと思っていたのだ。だからそろそろ、送迎の終了を告げられると思っていたのに……
「桜ってもねぇ、どこに行くのかしらね?」
なんだかんだ言いつつも、姉は貴文のコーディネートを考える手伝いをしてくれる。まぁ、インナーがハイネックと決まっているので大したアドバイスではないのだけれど。
「上着を忘れないでください。ってことだから、山の方かもね」
「それか東北方面よねぇ」
桜前線のマップを見ながら考察をするが、今の時期だと貴文の住んでいる地域より5度は気温が低かった。
「まあ、二泊三日だから、下着は多めに持って行った方がいいよね?」
「は?二泊?」
「うん。二泊だよ。金曜の夜に迎えに来てくれるんだ」
さらっと答える貴文に、姉の顔が引きっつった。
「父さん、母さん大変よっ。二泊だって、二泊も外泊するんだって貴文ってば」
そう言いながら姉は部屋のドアを開けて階下に叫ぶように言った。そうすると、なぜか両親が揃ってドタドタト階段を上がってきたのだ。
「貴文、お前……お前、父さんはお前をそんな子に育てた覚えはないぞ」
「お母さんもよ。そんな、外泊なんて、あちらはまだ学生さんじゃない」
両親の言っていることがいまいち理解できない貴文は、ただただ瞬きを繰り返す。
「何言ってんのよ、二人とも。高校卒業したのよ。18歳成人じゃない」
姉がケラケラと笑いながら言うと、母親は「でも。まだ」なんて困ったような顔をした。
「あのさ、なんの心配をしているのか知らないけど。俺はベータで義隆くんはアルファだから、万が一にも何も起こらないから」
貴文がきっぱりそう言うと、両親は顔を見合わせた。
「だ、だがな。一之瀬様にもし、もしも、だ」
「ねえよ。ねえから。ベータの俺がどうやってアルファを襲えるんだよ。そりゃ10以上年下だけど、義隆くんの方が背だって高いし力だってあるだから、それに、秘書の田中さんがいるのに何をどうできるんだよ」
貴文が一気にまくしたてれば、両親はようやくほっとした顔をして部屋を出ていった。
「まったく、父さんも母さんも、心配してることが逆なのよね」
閉められた扉を見つめ姉は吐き捨てるように言った。
「何が?」
貴文は持っていくパンツの枚数を確認しながら聞いた。
「あのねぇ、貴文。私前にも言ったわよね?アルファはすべての性別を抱けるって」
貴文の手がぴたりと止まった。
「俺はベータだけど男だよ。無理無理」
貴文はそう答えて荷造りを終わらせたのだった。
金曜日、秘書の田中が運転する車で帰宅した貴文は、夕焼けに染まった空を眺めながら着替えていた。30分後に迎えに来ると言われたので、割とあわただしい。旅行鞄を玄関において、春物のコートをてにして忘れ物がないか確認していると、姉が大慌てで家の中に入ってきた。
「大変、貴文。すごいのが来た」
「すごいの?」
「お迎え、あんたのお迎え、すごいのが来た」
すごいのしか言わない姉に貴文は首を傾げた。そもそも、義隆が乗っている車は凄いと思うのだが。
「貴文、表にすごい車が停まったぞ。間違いなく一之瀬様だ」
リビングから父親がやってきた。狭い玄関に大人が三人もいては身動きなど取りようもない。
「じゃあ、俺出ないと」
貴文が靴を履いて外に出ようとした時、インターホンが鳴った。姉がそのまま玄関を開けると、そこには義隆が立っていた。
「義隆くん。いま出ようとしてたんだ。ごめんね」
貴文がコートを旅行鞄を持とうとすると、義隆がすかさず持ち上げた。
「俺が持ちますから」
そのままなぜか父親と姉までついてきた。
「ちょ、初心者マーク……」
姉が目ざとく気が付いて口にすれば、義隆が嬉しそうに答えた。
「はい。免許を取りました」
義隆があっさり答えるから、父親はきょろきょろと視線をさまよわせる。義隆が乗ってきた車は国産高級車のSUVで、新車で買えば一千万は軽く超える値段が付いているのだ。
「すごいね。俺なんかもうペーパーだよ。一応マニュアルの免許なんだけど」
「そうなんですか?でもこの車オートマだから運転簡単ですよ」
そう言いながら義隆は貴文の旅行鞄をトランクに入れた。そうして貴文を助手席に座らせて扉を閉めると、父親と姉に向かって頭を下げた。
「では、貴文さんをお預かりしますね」
「は、はい。不出来な息子ですが、よろしくお願いします」
突然のことに驚いて父親の声は若干裏返っていた。
にこやかにほほ笑み運転席に乗り込んだ義隆は、静かに車を発進させた。それを見送る杉山父娘。
「ねえ、あんたたちなにしてんの?」
背後からクラクションんを鳴らしてきたのはスーパーで買い物を終えて帰宅した母親だった。
「貴文の見送り?」
姉の言葉を聞いて、母親は一人悔しがったのであった。




