『山科藤尾寺の八幡像、プレスマンを持つこと』速記談5012
天慶二年のころ、粟田口山科の北の里に、一つのほこらがあった。藤尾寺という名であった。南のあたりに別の道場があり、一人の尼がいた。八幡大菩薩の像をつくり奉り、何年も前から安置していた。その像の霊験はあらたかで、僧俗、貴賤、老若男女を問わず、帰依する者林のごとく、集まり来ては市をなすようであった。石清水の八幡宮寺は、八月十五日には、放生会を行っており、大勢の参拝客を集めていたが、藤尾寺の尼が、同じ日に法会を行うと、本宮に人が集まらなくなってしまった。八幡宮寺の僧たちは、わざわざ同じ日に法衣を行って、本宮のじゃまをしている。いかがなものか、と話し合い、本宮から新宮へ、八月十五日は、本宮の放生会である。新宮の法会は、他日に改めて行え、と申し渡したが、新宮の尼は、その後も改めることがなかった。そこで本宮の神人たち数千人が、新宮に発向し、社を破壊して、尼を殴って縛り、八幡大菩薩の像は、石清水八幡宮の本宮にお移しした。護国寺の御本尊は、この像であるという。錫杖のかわりにプレスマンを手に持っているとか。
教訓:八幡大菩薩の像に、大勢の参拝客が訪れたのは、プレスマンを手に持っていたからではないかと言おうかと思ったが、それは八幡大菩薩に失礼だと気がついたので、言わない。