日常の瓦解
ウェイ✕ヲタ
Rebellion Beginning 1. 日常の瓦解(Turn Wei)
天生暗黒者
日常が過ぎていた。教室の匂い、クラスメイトの声、風の音、すべてがそれまで通りに過ぎていた。
家に帰れば母親の出迎え、自分の部屋で勉強やゲームをした。温かい料理、家族との談話、当たり前だと思っていた。
今だから言う。当たり前だと思うな。あのときの俺は、既に「敵」の中にいた。生まれたときから、アイツに仕組まれていたんだ。
佐藤勇は大ヲタ国、東京管理行政区、多摩地方に住む高校生だ。成績は真ん中で、親と暮らしている一般的には普通の学生だ。日々授業を受け、休み時間は友達と談笑し、下校後は駅前の商業施設やカラオケに行くなどして遊ぶ。そんな平穏な日常に幸せを感じていた。
西暦2022年9月1日、夏休み明け、それは起きた。
市街地中心部の駅前、
「じゃあ明日学校でなー」
「うえー、土日はまだかよ」
いつものように友達と楽しい時を過ごし、解散した。
家路につく。変わらぬ夕方、帰宅の高揚感を感じさせる車列が伸びている。
ふと、サイレンを鳴らし渋滞の脇を縫いながら走る、保安局浄化課と書かれた装甲車が見えた。保安局とは、指導部直属の治安維持組織で、主に思想犯の取り締まりをおこなっている。
「保安局…でも浄化課ってなんだろう…？」
見たこともない名前に、微かな疑問が走る。
「まあいいか...」
独り言を呟きながら歩く。
空は見事な夕焼けに包まれ、カラスは帰巣の鳴き声を上げている。
佐藤家、なんの変哲もない一軒家の前につく。
ドアホンを鳴らす。しかし応答はない。
（いつもこの時間、お母さんは家にいるのにな…）
再び走る微かな疑問のなか、鍵を使い家に入る。冷気を含む静寂に包まれるも、いずれ帰ってくるだろうと思いながら、ゲームや宿題をして過ごす。
午後九時、未だ父母は帰宅せず、連絡もない。強まる疑問のなか、ふと郵便受けの確認を忘れていたことに気づき、覗く。
「浄化執行書？」
公文書のように見えるそれを読む。そこには両親の佐藤猛男、貴子の名前とともに、古く読みづらい文章が書かれている。
「――当該ノ両名ヲ不適性ト判断シ浄化ヲ執行ス」
――――勇の背中に、幽霊に舐められたという比喩では足りないほどの悪寒が走る。とにかく情報を得ようとスマホに手を伸ばしたとき、速報を伝える通知が表示された。
「大ヲタ国指導部、保安局浄化課設置を発表。本日最初の執行」
勇は硬直寸前の指を動かし、詳細を見る。
「浄化の執行は苦痛を伴わない死刑」
画面が焼き付かんばかりに凝視する。
「総司令官、浄化の理由と目的は述べず」
無に帰す思考、感覚を失う手足が意識を遠のかせる。
そこから先の記憶は曖昧だ。気づけば眠りについていた。
その夜勇は夢を見た。あまりにも長く鮮明な夢だ。自宅からそう遠くない場所に本部を構える反政府組織に入り、戦闘訓練を積んで反政府活動に加わるという夢だ。とても強く、魅力的な戦友たちとともに、世界を股に掛けて戦った。多くの犠牲を出しながらもついにヲタ政府を追い詰め、暗黒の野望を阻止した。しかしそこで夢は終わった。
「何だよ、これ…！」
勇は強烈な倦怠感とともに目を覚ました。家族を失った後に、数十年分とも言える長さの夢を見たのだから当然だ。
とにかく両親のことを問いただそうと役所へ向かった。昨日より町中がざわついている。理由のない処刑が行われたのだから当然だ。
東京管理行政区、多摩小管区第十三出張所。勇の居住地域の管理施設に入った。数年ぶりにここを訪れる勇であったが、その内部は変わらず、強圧的なまでの無機質さと、機能性を兼ね備えていた。
勇は受付へと向かう。
「この文書はなんですか！？」
鬼気迫る形相で、勇は持参した執行書を職員に見せる。
「記載の通り、浄化を執行しました」
不愛想なヲタ党員とみられる職員は、業務的にそう言った。この国の公務員はヲタ党員でないと採用されないと決められている。
「僕の両親はどうなったのですか！？」
涙ながらに絶叫する。
「確認は可能です」
そう答えた職員は、手早くタブレット端末を操作し、勇に見せた。
「死亡届。佐藤猛男、貴子、2022年9月1日死亡。死因、薬殺刑」
思わず音読する。絶望に心が染められていく。
「浄化ってなんだよ！人道逸脱もいいところだ！」
別の窓口から怒号が聞こえた。執行を受けた人は多いらしく、いつの間にか出張所は黒山の人だかりとなっていた。
――――感覚が鈍麻し、強烈な寒気のみが残る。はしかにかかったときにも、こんな寒気は感じなかった。
どうすればいい。
考えるほど寒気は強まる。
そう考えているうちにも、多数の保安局の装甲車が出張所前の道路を通り抜けていった。
街中に響く怒号と泣き声を聞きながら、勇は帰途へ着いていた。
「許さねえ...！許せねええええええええええ！！！！」
道端にうずくまり、発狂にも等しい声を上げる。昨日までなら白い目で見られただろう。しかし似た声は街中から聞こえており、不幸にも看過された。
どれだけの時間、泣いていただろうか。時刻は昼過ぎを指していた。勇の脳内には、明け方に見た鮮明な夢が浮かんでいた。夢をアテにするなど、普通の精神状態ではあり得ない。しかし勇にとって頼れるものはそれしか無かったのだ。
約一時間後。
「情報を手に入れ、同志を募る。力を得て、反乱を起こす...」
やや韻文めいた独り言を吐きながら、勇は様々なSNSを駆使し、被害状況を集めていた。同じ思いを持つ人と連絡を取り、反乱の同志とするためだ。
しかしそんな過激な情報を流す者はおらず、勇は強い憤りを隠せなかった。
「どうしてみんな勇気がないんだ！」
自然と声が出る。そのとき脳裏にある手段が浮かんだ。
「深層ウェブ...！」
匿名回線なら、同志を募っている団体があるかもしれない。淡い願いを込め、インターネットの深層へと入っていく。
不慣れな環境のなか、しかし熟練者から見れば驚きの短時間で、勇は同志になりえる集団を見つけた。
「Wei Resistance？」
そこには、自分たちは大ヲタ国による陰謀を阻止、真の平和を実現する統一国家の樹立を目指している。そう書かれていた。サイトには集団の活動拠点とされる施設の所在が記されていた。夢の通り、自宅の近くを指していた。
大ヲタ国は独裁国家だ。家族の生命を国家によって奪われたとしても、訴訟などの合法的な手段で国家の責任を問うことはできない。国民の生活水準が非常に高いため支持は得られているが、かつての日本国の民主的な体制を懐かしむ層は存在する。
勇に選択肢は無かった。この組織が実在するかは分からない。ヲタ政府による罠かもしれない。しかし絶望と鮮明な夢が生み出す強烈な使命感を満たすには、反政府活動しかなかった。
