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双華のディヴィーナ《地獄篇》  作者: 賀田 希道
Violence Fill the Hearth.
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Elise Defence Team

 「酒、酒はどこ?」ー〈風紀委員〉アリスティス・サックフェルト

 放課後、オムレツとかソーセージとかでぱんぱんになった腹をさすりながら、自分の教室から出た俺をアリスが待ち構えていた。遅い、と言いたげに眉間に皺を寄せ俺を睨む彼女に詫びを入れるように合唱する。


 「ホームルーム長くなかった?」

 「うちの担任が喧嘩してたらしい。……副教頭と」


 あほくさ、とアリスへ口をへの字に曲げ、呆れたように両眉を下げた。ただ一介の教員が副教頭という教員の中でもかなり地位に就いている人間と喧嘩するというのは一般的な学校ではかなりセンセーショナルな出来事だと思うのだが、遠海だとどうもその辺りの感覚が狂いがちだ。


 まぁいい。一応、俺のクラスの担任は五体満足で帰ってきたし、やたら顔やら腕やらが腫れていたり、火傷の跡があったりしたが、そういった惨事は日常茶飯事だ。いっそホームルームになど参加せず、外に出ていればよかったと後悔しても今更だ。後悔先に立たず、人生万事最奥が馬、取らぬ狸の皮算用だ。


 アリスに文句を言われながら、隣の教室を覗いてみると律儀にエリスが自分の席に座っていた。多分、自分の席に座っているのだと思う。縦七列、横六列の席の右から数えて横三列目、前から数えて三列目の教室の中心位置に彼女は姿勢を正して座っていた。姿勢そのものはまさしく正確無比、きっと面接の際に試験管の前でどのように座りますか、と聞かれれば迷うことなくこれです、と三面図を提出していいくらいには姿勢が良かった。


 教室に入ってきた俺達に気がつくと、彼女は席から立ち上がりすたすたと俺達の前に歩いてきた。改めて見てみるとエリスの背丈はアリスとそう変わらない。どちらも俺の顎近くの身長で、髪の色も紺色と海色と似ている。ただアリスが翠の淡いを残した瞳であるのにたいして、エリスは碧眼だ。黒に近い髪ではやはり青がよく似合う。


 エリスの髪色は紺色だ。黒ではなく、紺色だ。青みがかった黒、という表現、あるいはより深い藍色といった方が近いかもしれない。西洋でも珍しい、というか多分彼女以外に紺色の髪色の人間なんていないんじゃないか、と思うくらいには美しい深海の蒼を思い起こさせる色合いで、それは近くで見ていると余計に引き込まれそうなきらいがあった。


 彼女の長い紺色の髪の中、コントラストによって映えるのはそのサファイアのごとき碧眼だ。彼女の髪が深海のごときならば、その瞳は水面を切り取ったのごとき輝きを秘めていた。つまり、何が言いたいのかと言えば、エリスの髪は美しく、何より瞳は何者にも真似できない青淵を秘めていた。


 「何を見ている。気持ち悪いぞ」

 「いえ、なにも。本当に」


 ジロリと睨まれ、無粋な瞳を彼女から逸らす。気を取り直して彼女の前に手を差し出した。


 「()()()()()()、茨木 千乱です」

 「はじめまして?昨日会ったではないか。まぁいい。エリス・エアルトフ・フレイアだ」


 差し出した俺の手をエリスが握る。手のひら越しに伝わる温もりが俺の荒れた肌に伝わってくる。この上ない、綿毛のような感触、多分一生揉んでいても飽きないような、そんな柔肌の暖かさに俺はえも言えない心の平穏を感じていた。


 そう、言うなれば快感。あるいは法悦。プチプチと包装用のプラスチックシートを潰す時のような没入感、それでいて天日干しにした掛け布団に包まれるような安心感が同時に俺の脳内を支配していた。ぶっちゃけ、ずっとこの右手を握っていたかったし、なんならエリスの手首から切り取ってコレクションしたい衝動に駆られたが、ギリギリの理性が俺を押しとどめた。


 「さてと。今日はなんか予定とかってある、あるんですか?あるなら付き合わせていただきますよ」

 「別に敬語で喋る必要はないぞ、千乱。私が貴様をそう呼ぶように私のことも呼び捨てでかまわん」


 あらそう?なら遠慮なく。


 「じゃぁ改めて。何か予定があるなら付き合うけど?」

 「ないな。基本的に私は院の授業が終わればすぐに帰寮するようにしている。付き合いが深い人間が多いわけでもないからな」


 そのセリフは言っていて悲しくならないのかな、という無粋な言葉を飲み込んで、あらそう、と応える。エリスが直帰するというのなら監視もしやすいという話だ。寄り道をしたいならそれはそれで彼女の私生活の一端を知ることができて、俺としてはこの上ないご褒美だったのだが、ボーナスステージに行くにはまだエリスポイントが足りないらしい。


 「では行くぞ」

 「はーい」「うーす」


 エリスの後を俺とアリスが歩いていく。エリスに付き従う形で歩いている俺達を周りは奇異の目で見てくる。仮にも風紀委員の腕章を付けている人間が院内の有名人であるエリスに付き従っている姿は伝聞としてはあまりよくない。見栄えも悪い。なんか、犯罪者を護送しているみたいだ。


 きっと俺以外にも彼女らもエリスとアリスも同じような気分だったに違いない。校門を出る頃、会話のない気まずさに耐えかねたのか、アリスが前触れもなく俺に話しかけてきた。


 「そういえばさ、千乱君。ミサンガって持ってきた?」


 問われて、俺は左手首を持ち上げる。俺の手首に巻かれているミサンガは青を基調としたものだ。それがちゃんと手首に巻いてあることに喜ばしかったのか、アリスははにかみ自分も右手首のミサンガを見せた。


 「ペアルック、というやつか?」


 俺達のやり取りが気になったのか、エリスが振り返り、俺とアリスの手首を見つめた。彼女の突飛な問いにすぐにアリスは違う違う、と首を横に振り、手のひらを空で泳がせる。


 そう、アリスの言うとおりこれはペアルックなどではない。


 俺が付けているこれは単なる装飾品ではなく、魔術師が身を守るために用いる身代わりの護符だ。一回に限って、大抵の攻撃からは護ってくる代物だ。使い切りという弱点こそあれ、奇襲を回避できるという点では優秀な一品ということもあって、風紀委員会では広く普及している。


 「ああ、そうか。アリスティスの生家はそういった物品を作っているのだったな」

 「お、さすが同郷。そーそー。うちの家で作ってる奴だよー。欲しかったら売るよ?」


 「すまんな。我が家は貧乏なんだ」


 そんなことを昨日も言っていたな。なんで貧乏なんだ、と聞くのは無粋なんだろうが、思わずポロリと俺の口から、「なんで」という問いがこぼれた。嬉しくない質問をされたせいか、エリスの表情は少しだけ曇り、俺の脇腹をアリスがこづいた。


 「いや、いい。そう大した話ではない。なに、魔術師の家ではよくあることだ。よくある金銭問題だな」


 彼女はそれだけ告げて、それ以上話題を膨らませようとはしなかった。ただ、彼女の言いたいことはなんとなくだが理解できた。


 エリスの生家はフレイア家。欧州でも長い歴史を持つ魔術師の家系だ。古くは貴族としてドイツ東方を、ドレスデン近郊を治めていた貴族だった。それが金銭問題で没落するということは詰まるところ、二度にわたる大戦の影響ということになる。一度目は民主化によって、二つ目は社会化によって、フレイア家は魔術師の「一族」の力を随分と削がれたのだろう。


 「魔術師ってほんと、どんどん衰退していくよな」

 「まぁ、そうね。科学の進歩が目覚ましいからね」


 ポソリとこぼした俺の独り言にアリスが応える。彼女も何か思うことがあるようで、斜陽を見つめながら目を細めた。


 「古い価値観をアップデートできないからな、一般的な魔術師は。例えるのなら、千乱。貴様の生国の廃刀令に伴う武士の反乱のようなものだな」


 「よく知ってんね、そんなこと。日本史ではビッグイベントでも世界史で見ればマイナーイベントでしょ」


 「阿呆。自分のいる国の歴史を知らないでいる馬鹿がどこにいる。流しではあるが、一通りは把握しているつもりだ。一応、歴代総理大臣の名前くらいは言えるぞ?」


 なんか、その辺の自称日本大好き系外国人よりも日本に詳しい気がしてきたな。あいつら「ニホンスキー」とか言っておきながら、箸の持ち方は知らないし、靴を脱がないで平気で屋内に入ってくるし、ただの木の板になんで拝んでんの、と言ってくるもんだからタチが悪い。お前らだって石の薄っぺらい板に祈りを捧げてるだろ、ボケがと言い返したくなる。


 「まぁアレだ。私個人としては日本のなんと言ったか。そう、正倉院だ。正倉院に入ってみたいな。きっと魔術的な品々が多数眠っているに違いない」


 前言撤回。刺されてしまえ。日本に詳しいってよりかは財宝に詳しいの間違いだな。罰当たりって話じゃない。確かに正倉院は馬鹿の私物がつまった場所だが、それでも故人の遺品を切り売りしていいわけじゃあない。その辺の感性はやっぱり西洋人なんだな。


 やっぱり西洋人というのはクソだ。中国や南アメリカから多数の金銀財宝を収奪し、挙げ句の果てにはこれ見よがしに美術館に飾ったりもする。黒人動物園なんて世も末な企画を立案し、文明人であると自称する。まったく厚顔無恥とは彼らのためにある言葉に違いない。


 「冗談だ。私もコソ泥になりたいわけではないからな」


 からからとエリスは取り繕うように笑う。本当だろうか、と疑いの目を向けるが、彼女は完全に無視して前を向いていた。仮に冗談としても本当にやめてほしい。正倉院に殴り込みをかけようぜ、など渋谷のダンスパーティーで性器と性器ががっちゃんこしているような頭ぱっぱらぴーな連中くらいしか考えないだろう。いや、その手の連中はそもそも正倉院が何かもわからないか。


 つまり、消去法で正倉院に殴り込みをかけようとする人間はいない、ということになる。応仁の乱ではないのだから、日本を揺るがすような強盗事件をされても困るというものだ。


 「そういえば、エリス。エリスはなんでグレイに粘着されてるんだ?今日もグレイから決闘を申し込まれたみたいだけど」


 話を変えようと別口から切り込んでみる。このまま泥棒トークに興じていても益がなさそうだったから。


 俺の質問を受け、エリスはふむ、と考え込む素振りをみせた。しばらく彼女は腕を組んだまま首を左右にひねるが、ついぞ答えを思い出せなかったようで「さあな」と返した。


 「さぁなって。じゃー、エリスちゃんはあれなん?よくわかんない奴の因縁を買ってるわけ?」

 「そうとも言える。なんだかよくわからんが、とりあえず決闘をしてやれば向こうの気も晴れるかな、と思って付き合ってはいたが、そろそろ飽きてきてな。昨日の決闘で最後、という約束だったのだが、どうやら向こうは反故にするつもりらしい」


 状況は違うが、金を無心するヒモ男みたいだ。今回で最後にするから、は日本人が信用できない日本語トップ10に入るに違いない。ちなみに他に何がノミネートされているとかと言うと「損はさせませんから」とか「責任は私にある」だ。


 そんな砕けた会話をしていると、もうエリスやイリアが下宿している寮が見えてきた。白泉ハウスはその名の通り、白い大きめの寮で、イギリスの郊外にありそうな邸宅のごとき上品さを感じさせる。建物の周りを趣深い焼きレンガの壁とその上に敷かれた鉄柵、鉄柵にまとわりついた草花のつたからは俺の知らない花々が咲き乱れ、壁の向こう側にはガラス菜園らしき影が見えた。


 「そりゃ文月荘よりも人気だよな」

 「高級感ただよっているなぁ」


 俺とアリスがそれぞれ、思い思いの感想をこぼしている中、エリスは門前にツカツカと歩いて行った。開きっぱなしの鉄門の前でくるりと九十度振り向き、彼女は俺達に「ここまででいい」と言って中へ入ろうとした。


 刹那、何かが彼女めがけて向かいの森林から飛んできた。


 考えるよりも早く、体が動き、俺は右手でエリスの体を抱き込み、左手を射出物に向けていた。魔術を使っている余裕などなく、直に魔術攻撃を受けた。途端に左手の護符が切れ、痛みをわずかに残して魔術が無効化された。


 森林の奥を見据え、その内側にいる襲撃者の息遣いに耳をすます。


 「誰だ。出てこい」

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