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双華のディヴィーナ《地獄篇》  作者: 賀田 希道
Violence Fill the Hearth.
7/72

Wondering Knight

 「がおー」ー〈風紀委員〉鹿島 些々

 翌朝、早々に朝食を済ませ、俺は寮を出た。まだ夜の帷が上がるか、上がらないかの空が白み始めた頃合い、東の空が紫色に染まり始めた頃、街灯のない山道を魔術の灯りだけを頼りに降りて行き、行きよりも早くに俺は院の裏門に到着した。


 裏門を開け、トタトタと階段を上り、風紀委員室の前に立つ。引き戸を開けると、ひんやりとした空気が俺の頬を撫で、視線を左に逸らすと大きなテレビの前でカチカチとゲームコントローラーのボタンを押す音を立てている一人の少女が背筋を丸めてテレビ画面を食い入るように見ていた。


 「何やってんだ、鹿島」


 少女は振り返る。ぼんやりとした鋼色の(まなこ)を俺に向ける空色の髪の少女はかぶっていた毛布を取り、俺を一瞥すると、再びテレビ画面に視線を戻した。今は朝の五時、ひょっとして徹夜でゲームをしていたのか、この学校で?まったく見上げはてた不登校児振り、いや不帰宅児振りだ。一体何日の間、寮に帰っていないのだろうか。


 魔術を使えば匂いもどうにかできる。肌に棲みつく垢や虫もどうにかできる。髪の艶も手入れもどうにかできる。かと言って、そうかと言って、同じ格好でずっと校舎の一室に住み着いているのはいささか不衛生さを感じさせやしないか、いや感じ入るほどに感じさせる。要するに風呂入れ、着替えろ、洗濯しろ、という話だ。


 洗濯、そう洗濯だ。洗濯はいい。あらゆる不浄を洗い流し、心を清らかにしてくれる。魔術師はどいつもこいつも不衛生なやつが多いから、俺のような純正日本人の、礼は和を以て貴しと為すタイプの人間としては例えばシュガー・フリークのエリザベス女王とか、ベルサイユのフケと垢まみれのフランス貴族とかのような気品や優美さで体臭と不健全さを誤魔化そうとする連中を起源に持つ魔術師の感性は理解しがたい。


 例えば俺が泊まっている「文月荘」では俺が入るまではシャワールームが使えなかった。理由は単純で水道管が壊れ、湯沸かし用の機械も長年メンテナンスされていなかったせいで、中身が古くなっていたからだ。風呂とまでは言わずともせめて温かいシャワーくらいは浴びたかったから、頑張って本とかを使って仕組みを勉強し、どうにか直したのがちょうど一年前の今頃だったはずだ。そういうわけで、俺としては彼女を、鹿島 些々(ささ)を見た瞬間、彼女をどうするべきか心の中で決めていた。


 ゲーム画面を見続ける彼女の両腕を掴み、勢いよくその手を持ち上げる。俺よりも30センチ近く小柄な彼女の体はさながら撃たれた小動物のようにぐでんと宙ぶらりんになり、彼女の手からゲームコントローラーがこぼれ落ちる。あー、と小さな悲鳴を彼女はあげる。


 パジャマ姿どころかワイシャツとパンツ以外何も着ていない鹿島を持ち上げたまま、階段を降り、運動系の部活が使うシャワールームに行くと俺は彼女をその中に放り込み、蛇口を捻って冷水を浴びせた。さしもの愚鈍な彼女も突然の冷水にはビビるようで、寝ぼけ眼をかっぱりと開き、ブルブルと上腕に手を添えて震え出した。どうだ、思い知ったか。次は熱湯だ、と冷水を止め、俺は熱湯を彼女に浴びせた。


 「あぁじぃーーーーーー」


 喉が壊れているのか、それとも悲鳴をあげるのも面倒くさいのか、ダンゴムシのように縮まった彼女を正座させ、シャワールームに据え置きになっているシャンプーを泡だて、わしゃわしゃと彼女の水色の髪に俺は手を突っ込んだ。俺に頭をもみくちゃにされ、あー、と彼女は感情のこもっていない声でうなるが、お構いなしだ。


 泡を洗い流し、次は体だ。流石に前は自分でやってもらうとして、後ろくらいはやってやらねばならん。ボディーソープを泡だて、ゴシゴシとボディタオルで背中を擦ると気持ちよさそうに彼女は猫のような艶やかな声で喘いだ。なんだかいけないことをしている気持ちにさせられる。いっそ泡まみれの風呂にでも突っ込んだ方が早かったのではないか、と思ってしまう。まぁいい。


 さながらウルトラマンにでてくる「ウー」のような、あるいはひつじのショーンみたいな白一色、泡まみれになった彼女から泡を洗い流し、バスタオルで体を拭く傍ら、脱がしておいた制服に代わって別の女子用の制服をハンガーから取り、髪と体が乾き切った彼女の頭にそれをかぶせた。流石にパンツを履かせたり、ブラジャーを付けたり、ワイシャツを着せたり、スカートを履かせたりするほど俺もお人よしではない。


 着替え終わった鹿島が脱衣所から出てくると、さっきまでの不潔極まりない彼女はどこへやら、寝ぼけ眼は相変わらずだが、はるかにキラキラとした清潔感ただよう物臭娘の出来上がりだ。うーと眠そうに彼女はトボトボと俺の前まで歩いてくるとそのまま前のめりに倒れそうになった。


 完全に爆睡モードに入った鹿島を背負い、再び階段を登り、風紀委員室に戻るとさっきまでは彼女以外いなかった部屋の中に山のように大柄な男と、その男と談笑している海色の髪を靡かせる女がいた。一人はアリス、もう一人はツェニータ先輩だ。ちなみにファーストネームはツーカという。


 俺が鹿島を背負って部屋に入った時、二人はほぼ同時に俺に視線を向けたが、すぐにまた向き直り、談笑を始めた。時刻は朝の五時半過ぎ、ようやく東の空から太陽が顔を出し、水平線上に昇ってくる頃合いだ。もっとも、風紀委員会の部屋は西側にあるから、窓からどれだけ体を乗り出そうと、日の出などおがめないのだが。


 ゲーム用とは別のテレビが置かれている安楽スペースにあるソファに鹿島を降ろし、自分の机に座ると、アリスが近づいてきて、俺の向かい側の席に座った。いつの間にかツェニータ先輩は姿を消し、室内には俺とアリス、そして寝ている鹿島の三人だけになった。


 そう、三人だけ。男女比1:2。非常に気まずい空間だ。特にやることもなく、朝番だから、という理由で朝早くから教室二つをぶち抜いた大きな部屋に男女が一人と二人という状況など、男からすれば女性専用車両に乗ってしまったくらい気まずい。刺さる敵意に満ちた視線、居心地の悪さ、気まずさ、男を路傍の石ではなく、下半身を丸出しにした西戎か北伐か、はたまた東夷、南蛮かのように見てくる彼女らの視線はとても感じ入るものがあり、同時にひどく心細い気持ちになった。


 例え対面に座っている人間が見知った仲だったとしても、話題もなければ話す意思もないのでは、ただのカカシだ。なんならカラスがふらりと止まり木代わりに立ち寄って、目を突くでもないから余計に惨めだ。


 「ねぇ、千乱君ちょっといい?」

 「ん?なに?」


 「昨日の決闘の報告書ってもう書いた?」

 「あー、まだ書いてない。書くかー」


 突然話しかけられ、なんだ、と身構えた矢先、やらなくてはいけないことを思い出させられ、おずおずと戸棚から報告書用の用紙を取り出した。ガキガキと万年筆でその余白を埋めてると、同じように余白を埋めていたアリスがまた俺に話しかけてきた。


 「千乱君はどう見てるの、今回の件」

 「それって決闘のこと?」


 確認のために聞き返すと、彼女はもちろんと返した。


 どう見ていると問われると反応に困る。なにせ、現状では誰が何の目的で決闘に横槍を入れてきたのかがまるでわからない。誰がという点はもちのろんのこと、エリスを負けさせ、グレイを勝たせることが目的だったのか、彼女の暗殺が目的だったのか、それとも他に何か目的があったのかまで一切合切が謎だ。


 エリスを負けさせたかった、というのなら話は単純だ。彼女にではなく、グレイに賭けていた院生が容疑者候補に上がるし、ブックメーカーの院生を絞れば、誰が誰に賭けていたかを把握することはできる。あとは人海戦術で一人一人、しらみつぶしにシメていけばいい。それで見つからなければ、二つ目の怨恨の線を辿るまでだ。


 怨恨というのはかくも面倒なもので、ほぼ一方的な逆恨みであるケースも多い。本人の自覚なく、誰かを傷つけるなんてことは人間社会では日常茶飯事で、こちらは捜査が難航する。エリスの周りの人間に聞き取りする必要が出てくるし、なんならよしんば実行犯を見つけても、それが雇われただけで黒幕は別にいるという可能性も残されている。


 最後、賭け事の勝ち負けや怨恨でもなく、別の目的があってエリスに攻撃した、というケース。これが一番めんどうくさい。実行犯の特定が難航するだろうし、余計な厄介ごとが芋蔓式で出てくる気がする。経験論になってしまうが、理由が特殊であればあるほど、その裏にある目的は厄介なケースが多い。


 ひとしきり俺の所感を語ったところで、アリスは同意見だ、と返した。当然と言えば当然の反応だ。この遠海魔術学院の風紀委員であるということはこういった事件に巻き込まれやすいということだ。最悪を想定するように頭の構造が矯正されているのだ。


 「暗殺ならそれはそれで手っ取り早いんだよねぇ。黒幕が院生であれ教師であれ何であれ、とりあえず捕まえて絞ればいいわけだから」


 「それはそうだけど。問題はどうやって実行犯を捕まえるかさ。だって手がかりってこれとこれだけだぜ?」


 恐らくは昨日の決闘後に慎二が急いで用意したのだろう。彼の机の上には例の何かの弾痕が写っている写真と、少量の魔術反応を計測したと思しきデータ表が残されていた。マメで真面目な慎二らしいといえばらしい。


 前者の写真はともかくとして、魔術反応についてのデータ表は大いに役にたつ。そこには弾痕から計測した反応から算出した襲撃した魔術師の属性とか、効果の幅、あとは数値なんかが記述されている。ご丁寧にグレイとエリスのものもあるが、まぁそっちは読む必要はないだろう。


 「属性は地、水か」

 「へー。複属性?珍しいじゃん」


 魔術師を語る上でこの属性というものはかかせない。魔術の根幹を成していると言ってもいいからだ。


 この属性は「四属性壱概念の五元法則」によって成り立っている。四属性とは地、水、風、火のことを指し、壱概念とは空、または虚とよばれる四属性に当てはまらないものすべてを指す。RPGで言うところの武器の属性のようなものだと思ってくれて構わない。


 基本的に四属性は循環していて、地は水を、水は風を、風は火を、火は地の属性を強める効果があり、対極に位置している属性同士は相殺し合う。つまり、地と風、水と火は互いに互いの効果を打ち消し合う関係にあるということだ。


 通常は四属性壱概念のどれかが魔術師の基本属性になり、地属性の魔術師、風属性の魔術師という風に分類されるが、低い確率で複数の属性を持っている魔術師が出てくる。例えば、今俺の手元にあるデータの魔術を使った魔術師のように地属性と水属性を併せ持っているパターンなどだ。魔術師の中には全ての属性、つまり地、水、風、火、そして空のすべてを持っている人間もいるらしいが、生憎と俺はそんな奴にはお目にかかったことがない。


 さて。閑話休題。


 問題は数少ない複属性の魔術師がエリスに何のようだ、という話だ。暗殺、妨害、あるいは怨恨。兎にも角にも不必要な要素が多すぎる。犯人像を絞り切るためにはまだ情報が足りない。


 幸い、魔術師の属性はわかった。遠海魔術学院の院生ならば入学時に自身の魔術属性を登録する義務が生じる。風紀委員会なら申請さえすれば院生の魔術属性について知ることができる。複属性の魔術師などそう多いものではないから、人数自体は少ないはずだ。


 あとは慎二に詳しい話を聞くなどだろうか。決闘の際にエリスを狙った攻撃を見ていたのは慎二だけだ。ひょっとしたらもっと多くの院生が目撃していたかもしれないが、グレイのアホみたいな大嵐の魔術のせいで一部の物好きな観衆以外は遠くに退いていたせいで期待できない。


 「千乱君さー、ずいぶんと入れ込んでるよね、エリスちゃんに」

 「だからしらみつぶしに……。え?なに?」


 急に話しかけてきたアリスに面食らって、変な声が出た。目を丸くする俺の反応を見て、アリスはクスクスと笑う。


 「いやー恋だなーって思ってさ。あたしは嬉しいよ。ママな千乱君がまさか騎士様に恋をしてんなんてさー」

 「恋じゃないよ」


 そう、恋じゃない。恋とか愛とか、そんな大層なものじゃぁないし、高尚なものでもない。俺が彼女に抱いている感情はきっともっと醜い類のものだ。相手が魔術師であるとしても軽蔑されるような、例えばもうとっくに壊れているものを直して、また壊すような、あるいは死体の首を切って、ハダカデバネズミの頭をくっつけた状態で蘇生させるような、そんな類の醜悪な感情だ。


 アリスとの付き合いは一年半近くと長い。多少のことはきっと許してくれる。でも、こればかりはこの感情ばかりはきっと彼女も許してくれない。彼女も俺を軽蔑する。だから、言わない。目を閉じて、耳を塞いで、何もかもを忘れて、俺は彼女の声も仕草もシャットアウトした。


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