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双華のディヴィーナ《地獄篇》  作者: 賀田 希道
Cuckold and Pure Love
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Beet a Step

 「あぁ?貴様、それは素面で言っているのか?」


 その日、つまり4月27日の夕刻もといほぼほぼ夜のこと、自室の隣にあるエリスの部屋を訪ねると、彼女は制服姿ではなく、部屋着姿で俺を出迎えた。いつものかっちりとした出立ではなく、よりラフなTシャツとジーパン姿の彼女は新鮮で瑞々しさがあった。


 いつも出会う彼女が暴雨によって削られ磨かれた黒曜石のごとき鋭さ、美しさを持つ天然の輝石だとすれば、今の彼女は揺蕩う小川の水面に落ちて出来上がった桜の川である。いずれも美しく、風流を感じるものであるが、その対比は難しい。


 心なしか芳香も異なる気がする。いつもとは香水が違うのか。彼女の部屋から漂うエリス臭は温かみがあると同時に古めかしさを感じさせる匂いだ。田舎の祖父母の家に帰省した時に感じる古い日本屋敷の匂いとでも形容すればいいのか、無性に郷愁を心に抱かせるいい匂いだ。


 よし、この芳香を数値化して、エリス臭のお香として売り出そう。きっと儲かるはずだ。なにせ十二騎士の序列5位にして、遠海魔術学院がほこる才媛の芳香となれば、嗅ぎたい変態紳士諸君もいるに違いない。素晴らしきかな、変態市場。これで明日の香料市場は茨木香料工業(仮)が席巻することだろう。


 などと変態的な妄想を膨らませるのは俺がきっと重度のエリスフリークだからだ。しかしあくまで妄想、誓って妄想、けだし妄想だろう。行為に及んでいないから犯罪ではない。ハラスメントにも当たらない。


 気を取り直してエリスに部屋に入ってもいいか、と聞くと、彼女は構わんぞと言った。寮の公共スペースでは誰が聞き耳を立てているかわからないから、なるべく人気のない場所で話したいという俺の意図を汲んでくれた結果だ。


 彼女の後を追って室内に入ってみると、つい先日移動したばかりだけにあまり物は置かれていなかった。部屋に備え付けのベッドと学習机を除けばほとんど何も置かれているものはないと言ってもいい。殺風景の三文字が頭の中をよぎる程度には何もなく、女性っけのない部屋だった。


 ふと視線を学習机に向けてみれば俺が尋ねてくる直前まで、勉強をしていたのか、ノートと参考書が広げられていた。多くの自習室を使っていた院生同様にエリスもまた期末試験の勉強に精を出しているのは見ていて微笑ましい。青春の息吹だ。


 彼女にベッドの上に座っているように言われ、言われた通りに座ると使い古されたマットレスは弾力クッションとは似て非なるほど沈み、しかし座り心地の良さなどは欠片もなくただただずっしりと沈んだ。ぬかるみにそのまま腰をおろした気分だ。


 「すまんな、茶くらいしか出せんで」

 「いや、突然尋ねたのは俺なんだから、エリスが気にすることじゃないだろ」


 差し出されたマグカップの縁を指でがっちりと掴み、もう片方の手を底に置いて180度回転させて、持ち手に指をくぐらせた。エリスからもらった記念すべき一杯だ。うっかりこぼしてしまっては勿体なさなすぎる。


 試しに啜ってみると、可もなく不可もなく、ありきたりな紅茶の味わいに思わず唇の筋肉が緩んだ。彼女の出身地はドイツのはずだが、それでも飲むのはコーヒーではなく紅茶なんだな。


 「近年では紅茶の需要も高まっているんだ。それにアレだ。紅茶ならどんな風に淹れようと味が濃くなることこそあれ、不味くなることはなかろう」


 つまりコーヒーを煎れると不味くなるんだな。さして美味いとも不味いとも言わず、ズズとエリスは紅茶を啜り、自身は勉強机に腰をもたれかけた。


 「それで話とはなんだ?貴様が私のもとを訪れるとはよほどのことだろう」


 話が早くて助かる。手短に、内容をかいつまんで俺はエリスに今現在、俺達風紀委員会が直面している問題について話し、その解決案をエリスに明かした。初めこそ、さして興味なさげに聞いていた彼女だったが、俺が解決案を口にした時、視線をマグカップから上げて俺を睨め付けた。


 素面かと問われれば、無論素面である。アルコール類は一切飲んでいない。そも、数日前のどんちゃん騒ぎのせいで我が寮の酒舗は空だ。しばらくは酒が飲めない、とのんだくれの寮母が陵墓でも築かん勢いで落ち込んでいたのだから、間違いない。


 俺が素面で、酔漢の類でないと知り、エリスは頭痛でも覚えたのか、眉間に皺を寄せ、鼻の付け根をつまんだ。彼女の表情は一層険しくなり、何を逡巡しているのか、微細に目尻の周りの筋肉が引き締まったり、緩んだりを繰り返した。


 「よしんば、そうよしんばだ。よしんば貴様の案に乗っかり、私の友人を目撃者にできたとしよう。それは私の前にまず彼女に了解を取るべきことではないか?」


 「ああ。だからそっちは明日にでも話をするさ。今日のところはまずエリスに話しておこうと思ってな。嫌だろ、あとから話を聞かされるのは」


 「ああ、嫌いだ。だが、それ以上にそんな偽りの代役を立てるような考えは倍嫌いだ。貴様は考えはしなかったのか、自分の悩みを打ち明けた相手に利用される者の心の痛みを」


 「存外、ミス・リュイエンを襲ったのは劉かもしれないぞ?どっちも金髪、どっちもヤリチンなら、可能性は十二分にある」


 俺の示した解決案とはつまるところ、目撃者の捏造だ。同時期に襲われたという女子院生がいて、彼女を襲った相手と劉の身体的特徴が一致するから、だったら目撃者としてでっちあげて劉をふんじばってしまおうという魂胆だ。


 古の日本警察の刑事、紅林 麻雄もかくありき、ゴッドハンド藤村とみまごうばかりの捏造、隠滅、証拠改竄のオンパレードと言える。俺が劉が犯人だと思ったから、あいつにとって不利になる証拠や証言を集めることで成り立つひどい図式だ。


 エリスもそのことは重々承知し、理解しているのか、終始俺を睨みつけ、苛立ちを隠せない様子だった。そのことに安堵している自分がいるのは何故だろうか。


 「考え得たことはないな。いや、それは語弊か」

 「語弊、だと?どういう意味で?」


 「魔術師ってのはこういう風に考えるもんだとばかり思ってたからな。エリスは違うんだな」


 他意はくさるほどあるし、含みだってある。他人の名誉や沽券以上に自分の利益を優先するのが魔術師だ。それはただ彼らが生来、残虐だからとかではなく、心に余裕がないからだ。


 ああすれば、こうすれば、と試行錯誤を繰り返さなくては達せられない魔術師の絶対目標、神の座への到達をすることが魔術師に課せられた至上命題であるとするならば、粉骨砕身、奮励努力するのは必然的である。その手段がどのようなものかはさておいて、魔術師の家系に生まれれば心はすり減るし、大抵が人間らしさを失う。それは他人の尊厳はもとより、名誉、栄誉、称誉のすべてを無視して、踏み躙ってもいいと思うようにさせる。


 醜悪と罵りたければ罵るがいい。余裕のない人間は他人のことなんて気にしないなんてのは歴史が証明している。悲しい話だが、それが魔術師の非人間性の原因だ。


 だが、エリスはどうだ?


 どうして彼女は他人を気遣える。上っ面のかわいそうとか、ひどいとかいう言葉ではなく、真摯に彼女は俺の解決案に憤り、不快感を露わにした。サラを使うことに慎二が難色を示した時ともまた違う、理不尽に対する純粋な怒りの感情は生来の魔術師が持っているものではなかった。それは他人を気遣える余裕のある人間が見せる非人間的な感情だ。


 「確かに貴様の考え方は正しい。正統派の魔術師であれば私のように不快感を覚えることなどないだろう。そうか、の一言で済ませる話だ。しかし、私は我慢ならん。千乱、私は貴様の案には乗れない」


 一歩踏み込んで垣間見た彼女の素顔は魔術師らしからぬものだった。深い怒り、紅蓮の雷を幻視するほどに腸が煮えくり返る彼女は蒼穹を切り取った蒼眼で俺を見つめた。


 「だとしても、やるさ。エリスの意見は所詮、エリスの意見だ。多分、ミス・リュイエンも同意する。バーターを求められるだろうけど」


 「ああ、だろうな。リュカはあれでいて強かな女だ。貴様の案に同意し、風紀委員会から対価を掠め取るぐらいのことはするだろう。生家の勢力拡大の好機とすら考えるだろうな。——だから私の怒りは私だけのものだ。友人の悩みを利用されたことに対する怒り、愚かにも貴様を信じてしまった私への怒り、そしてそんな怒りを感じてもなお貴様を嫌いにはなれない私の愚かしさへの怒りだ」


 この会話に意味はないことは誰にだって明らかだ。エリスにも言ったように、彼女に了解を取る必要はない。直接リュカ何某にお伺いを立てれば済む話だ。彼女からそのことを話さなければ、エリスが知ることは、多分、永遠にないほど無意味な話し合いだ。


 それでもやはり、彼女には言っておくべきだと思った。それが筋というものであり、彼女へのせめてもの詫びであると思ったからだ。


 「それで、千乱。話は変わるが、貴様の言っていることは事実なのか?『十二騎士』序列6位の劉廉羽(リューリャンユウ)が例の事件の犯人なのは間違いないのか?」


 それでとはかくも便利な言葉だ。話題の転換には外せない重要な言葉だ。これ一つで感情の整理が追っつかないままに話題が変えられる。


 ちょっとだけ面食らって、俺が意外そうな表情を浮かべるとエリスは呆れた様子で口をへの字に曲げた。


 「貴様、私のことを粘着質のヤンデレ女か何かと勘違いしていないか?貴様らの歴史で言うところの、崇源院や六条の御息所ではないのだぞ?」


 「そんなこと思ってねーよ。ていうか、よくそんなマイナーどころ知ってるな。あと六条の御息所は実在した人物じゃないぞ?」


 「そうなのか?それは失礼した。例えが適切ではなかったな。しかし念押しするようで悪いが、私は貴様が考えるほど粘着質ではない」


 「みたいだな。これがアリスとかメイスなら小一時間はぐちぐち文句を言っただろうからな」


 メイスとは誰だ、と言いたげな目をエリスは俺に向けるが、そっぽを向いて何も答えなかった。話の腰を折ることになるし、何よりメイスなんていう害虫をエリスに知ってほしくはなかった。だから半ば強引に劉についての話題を切り出した。


 エリスはふむ、と頷き、空のマグカップに目を落とした。室内の蛍光灯のおかげで多少影が落ちていてもよく見える。物憂げな様子の彼女はマグカップを机の上に置くと、ため息を吐いた。


 「立て続けに『十二騎士』が消えるというのはあまり外聞がよくないな」

 「ああ、だから夏休みの期間中に発表されるんだと思う」


 「なるほど、魔術師らしいな」

 「ああ、魔術師らしい。魔術師らしくて笑える話だ」


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