Thunderstorm
初手を仕掛けたのはエリスだった。
彼女の周りで魔術の媒介となる万能元素、瘴素が逆巻き、それが彼女の体内へ吸収された瞬間、緋色の砲雷が彼女の左手から発せられた。それは空を切り、金切り声を上げてグレイに迫る。
瞬間的な瘴素の収束と爆発。それを可能にする彼女の変換効率の高さは賞賛に値する。魔術師の変換効率の高さは長い家系によって培われた肉体構造に由来する。有体に言えばサラブレッドだ。血筋を厳選することでより優れた個体を生み出す、というどの魔術師の家系もやっている日常的な行為、エリスもまたその恩恵によって魔術師として稀有な才能を発揮した。
彼女の発する雷は自然由来のものではない。通常、魔術師が雷を起こす時、なんらかの形で電気を増幅する装置、魔術世界で言うところの礼装を必要とする。少量の電気であれば礼装は必要としないが、トールの槌とか、ゼウスの雷霆のような巨大な雷と結びつく類の道具を模した礼装なくては魔術師は巨大な雷を発生させられない。
しかしエリスは何の道具もなしに雷を発生させてみせた。彼女の周りを緋色の雷が逆巻き、放射された砲雷はただの電気エネルギーの塊ではない。紛れもなく純然たる雷だった。
対してグレイは防御姿勢を取る。当然と言えば当然だろう。純然たる破壊力という意味で雷は神話において多くのものを破壊してきたエースオブエースだ。生半可な攻撃で相殺するような愚は犯さない。灰色の壁がグレイの周りに展開され、それに砲雷が直撃した瞬間、白い閃光が起こりエリスの雷が消失した。
気がつけば、グレイの左手には正八面体のオブジェが、左手には装飾のない剣が握られていた。いずれも錬金術において風を象徴するアイテム、すなわち礼装だ。どちらも風の力を安定させ、その機能を最大限に引き出すことに適している。風が象徴するのは「流動」だ。物事を正しい方向であれ、間違った方向であれ、とにかく進めることができる四属性の一つ、ではグレイの体を取り巻いている灰色の風、あれが彼の魔術ということになる。
灰色の風か。なんとも不吉な色ではないか。魔術の色はエリスの雷を防いだ壁と同じ、つまり彼の魔術の基盤にあるものを考えるとあの色になるのか。一体どんな魔術なんだろう。
『ぉおおおお!!!フレイア2年生の放った魔術をサーデラ2年生の防御魔術が防ぎ切ったぞぉ!!!開幕速攻か、と思いきやの冷静な対応、すごい、すごいぞぉ!!——あ、紹介が遅れました。私、本決闘を実況させてもらいます、キオ・ツェールシュカです!そして、解説席には!!!』
『どーも、毎度お馴染み高等部三年のアードォでーす』
『さぁ、アードォ先輩!どう見ますか、今の一瞬の攻防!』
そうですねー、と前置きして糸目の先輩であるアードォ先輩は言葉を探し、解説を挟んだ。
『最初はフレイア2年生の速攻芸が決まるか、と思いましたがやはりサーデラ2年生も対応はしていましたね。彼女の雷撃は生半可な防御魔術は貫通しますから、あの防御魔術には彼の技術の粋が込められていると思いますよ!』
『なるほど、つまり全くわからん、と言うことですね!』
それって解説としてどうなの、とは思うが魔術師にとって自分の魔術のことは隠しておきたいものだ。対応の幅を知られればそれだけ自分が不利になる。だからきっとアードォ先輩もわざとボカしているんだ。ということにしておこう。
よくわからん実況を垂れ流している一方でエリスとグレイの決闘が繰り広げられていた。エリスは雷撃を無数に分裂させ、囲い込むようにグレイを攻める。さながら鳥籠、どれだけ防御が分厚かろうと瞬間出力で言えばエリスが上である以上、魔術による防御は間に合わない。ミシリミシリときしみを上げて壊れていくグレイの防壁、それが壊れた瞬間、灰色の嵐が巻き起こった。
『なんなんだぁ、これはぁ!!!』
実況席のキオの声が響き渡る。割れた防壁の破片が舞い踊り、乱風がグレイを取り囲むように広がった。天まで届く巨大な竜巻、円の周りなどとうの昔に通り過ぎ、拡大を続けるその竜巻は周囲に散乱していたゴミクズや、院生達の持ち物まで巻き込み始めた。驚いた院生達は二人の魔術師から距離を取るため一斉に走り出した。かく言う俺も自分の巻いているマフラーが飛んでいかないようにするので忙しく、とてもパニックになった院生達に目を配ることなどできなかった。
『ほぉ、興味深いですね』
パニックの中、アードォ先輩の声が響く。もっとも観客はそんなことどうでもいい、とばかりに俺とイリアの座っている椅子の横をスタンピードを起こしたヌーの群れのように過ぎ去っていった。その僅かな間に竜巻はどんどん巨大化していき、灰色の息吹を所構わずなびかせた。
『おそらくはフレイア2年生の雷に込められたエネルギーを転換したのでしょうね。その原理自体は見当もつかないが、サーデラ2年生はただ殻にこもっていたわけではない、ということです。このままあの竜巻が半径を広げていけばいずれフレイア2年生は円の外に押し出されるでしょう』
呑気に解説を続けるアードォ先輩の胆力は凄まじいものだったし、自分達もその竜巻に捕まるかもしれないのにも関わらず、実況席を移動させないキオもまた大した玉だ。他の生徒がことごとく背中を向けて逃げたというのに、二人だけはのほほんとして実況を続けていた。
そうこうしている内に盤上が動いた。エリスの雷は弧を描き、グレイの竜巻に矢のごとく撃ち込まれる。それを受け、彼の竜巻はより一層大きさを増していった。風の音がグレイの高笑いに聞こえるほどビュウビュウと鳴り、院生らが捨てたと思しきポップコーンの袋や中身が風に巻かれて宙へと舞う。ピシャン、ピシャンと舞い上がったそれらをエリスの雷の余波が巻き込み、彼女の周りの雷はより一層密度を増していった。
それにしても相手のエネルギーを逆利用する魔術とは思いも寄らなかった。まるで風車だ。ただ一つ気になることがあるとすればそれは。
「どうやってエネルギーを転換したか、でしょ?」
「ほんそれ。単純な発電能力ってわけでもないだろうしな」
魔術として外界に放出された以上、それは一個の純粋なエネルギーの塊だ。属性魔術ほどその傾向は強く、エリスの雷も例外ではない。ただじゃぁ、生成された水からエネルギーを抽出できるか、風からできるか、と問われればそれはケースバイケースとしか言いようがない。
エリスの雷、とどのつまりは電気の塊は一見するとエネルギー変換がし易かろうが、グレイの魔術は風だ。風と電気をどう結びつければ風の威勢の拡大になるのか、見当もつかない。なんらかの神話的背景を利用しているのか、はたまた特殊な術式を使っているのか。確かにアードォ先輩が言う通り、方法は皆目見当がつかないが、すごい技術であることは認める。合気道的とも言える。これがきっとグレイの切り札なのだ
「それに対してエリスはどう動くかな?」
「さぁ?でもあれがエネルギー変換をしてるって言うなら、エリスの魔術じゃ勝ち目はないように思うけど?」
ゆえにこそ切り札。切り札である。あと、気になったのだがあの竜巻はちゃんと制御できているのだろうか。エリスが降参を宣言したとて止める手立てがなければ大惨事だ。まぁ、だから俺ら風紀委員がわざわざ決闘の立会人をしているわけだが。
それにしても、と俺は視線をエリスの後ろ姿に向ける。彼女は絶えず雷撃による攻撃を仕掛けていた。それは悪あがきにしか見えず、はっきり言えば見苦し——ぁ?
突然エリスの周りの瘴素が湧き上がった。これまでとは明らかに異なる魔術の輝き、孔を開いた吸水口のように周りの瘴素がエリスの体内に吸引されていく。彼女の周りの瘴素が可視化されるほど密度が上がり、左右の肩部にまとわりつく瘴素の本流は翼のようにも見えた。
何が起きている、そんな思考を巡らせる余地などない。エリスはおもむろに右手を突き出し、拳銃を握る形に変えた。そして彼女が人差し指を引いた瞬間、溜まっていた瘴素の渦が莫大な電気エネルギーに変換され、雷鳴と共に空間に向かって拡散された。
緋色の雷火が空間を埋め尽くし、周囲の空気が雷鳴でもって張り裂けていく。魔術という領域に収まらない力の本流、大気を切る一条の矢は灰色の竜巻に直撃し、その強度と魔術基盤すら飲み込んで渦を巻き、空に出来上がっていた白雲すら切り裂いた。
「魔術式、か」
ポロリと思っていたことがこぼれた。
魔術式、魔術の奥義にして魔術師の研究の集大成。一子相伝の究極技に対して、他の一般的な術式とは一線を画する神の顕現とも言うべき魔術師の「一族」の最高機密。それを惜しげもなく発動させたことにも驚きだが、真に恐ろしいのはその威力だ。
あれだけ防御不可能と思えたグレイの竜巻を吹き飛ばすばかりか、空にできていた分厚い雲すら叩き切ってしまった。放たれた一撃は神々の戦いに用いられた数多の奇蹟、神器にも匹敵するに違いない。グレイは驚きと屈辱で顔を醜く歪ませ、激昂して灰色の風を放つが、それも仕方のないことだ。数億ボルトの雷霆の一矢は魔術師のチンケなプライドを吹き飛ばすのには十分すぎる。
エリスは気にする素振りを見せず、グレイの風を雷で受け流す。単純な魔術同士のぶつかり合い、さっきまで悲鳴をあげていた観客達もぞくぞくと戻ってきて、グレイの末路がどんなものか、と低俗な話題に花を咲かせた。もっとも、かく言う俺やイリアも退屈な戦いを、言ってしまえば終わりの見えた戦いを姿勢を崩して見ていた。
——だから、だったのかもしれない。いや、おそらくきっとそれが原因だったのだろう。
勝利が確定していたエリスが突然体をのけ反らせ、体勢を崩したところをグレイの風が彼女を円の外に吹き飛ばした時、誰もが「え」とこぼした。