Hearth of Heart
風紀委員会の取り調べとは一言で言えばゲシュタポ式か、KGB式だ。古き良き日本の刑事ドラマのような一問一答方式ならばどれだけ良かったか。参考人としてならばともかく、被疑者として確保されたからには悲惨な末路が待っている。つまり何が言いたいかと言えば、拷問万歳、犯罪者に人権はねぇ、だ。
本校舎十階に設けられた特別収容室は滅多に院生は近寄らない。そも、九階から上は魔術学院理事会の持ち物であるがため、院生が足を踏み入れる場所ではない。九階から上にある院内の施設と言えば生徒会室や報道委員会室など各委員会の持ち教室だから、用事がない人間はあまり近づかない。
ちなみに風紀委員室は本校舎の三階にある。数年前は風紀委員室は特別収容室がある十階にあったが、より院生の行動に目を光らせるためとして今の三階に映ったのだ。おかげで風紀委員室と特別収容室を往復するのが大変になった、という笑い話だが、そもそも参考人聴取なら食堂とか校庭とかでもできるので、利用する機会なんてほとんどないから、実害はあまりない。
特別収容室を利用するのはもっぱら、重大な規則違反を犯した院生の処分が完了するまでの間、監視しておくためだ。この時重要なのはあくまでも収容室にぶち込まれるのは寮への謹慎などでは逃亡する可能性が高い院生という点だ。今回に限ってはリリネットなんかがそれにあたる。これまで何度も逃げてくれたのだ。下手に自室謹慎なんて言い渡せば逃げるに決まっている。
収容室と聞けば牢屋のような空間を想像する人間もいるだろう。だがいざ中身を見てみればきっと拍子抜けする。例えるならデイリーマンションを彷彿とさせる内装で、冷蔵庫を開けてみれば酒類、ジュース類の類もある。食品ももちろん入っている。
ベッドなんて高級ホテルにありそうなダブルサイズだし、清潔感も申し分ない。キッチンは電熱コンロ、流し台、調理台を完備しているし、風呂も風呂場付きでシャワーだって水以外にお湯も出る。洗濯機もあるし、各種洗剤、シャンプー、リンスー、化粧品だって揃えてある。テレビ、エアコンも付いている。
収容室は全部で二十部屋あり、実に一階層の半分を占めている。規則違反を起こした問題生とはいえ、一応は名のある「一族」の出身だったりするとこれくらいの面積は欲しいし、内装の充実が求められるのだ。
「だけど、残念無念。取調室は取調室なのでーす」
刑事ドラマでありがちな簡素な机を挟んで並べられた安いパイプ椅子、部屋の隅に置かれた聴取記録を取るための席がある豪華な収容室とは打って変わって安っぽい取調室だ。しかし悲しきかな、マジックミラーはなく、また格子戸もない。
芳香剤なんて当然存在しないし、カツ丼が入っていそうな中華飯店の出前入れもない。おまけに机ひとつ挟んで対峙する俺とリリネットの聴取を記録するのは関係者でもなんでもないハースだ。
本来なら風紀委員の誰かが記録係を務めるのだが、あいにくと風紀委員も暇ではない。俺達が間男調査をしているように他の委員も個別の事案を扱っているはずだ。一見すると委員会室でだべっているように見える連中もきっと忙しいのだろうし、こちらの手助けをする余裕はないだろう。
だから苦肉の策としてハースを起用した。他意はない。
「さーてと。じゃぁ色々話してもらおっか。捕まえるのに苦労しちゃったからね、バンバン話してくれると助かるよ」
こちらがウッキウキで質問をするが、リリネットは答えない。いわゆる黙秘というやつだ。ただ虚しくハースがペンで紙に聴取を記録する音が室内に響く。
「ふん。何も言わないか。じゃぁ仕方ない」
リリネットの手錠に指を伸ばす。そして人差し指でその表面をなぞると、彼女の目が大きく見開かれ、それまで固まっていた表情を大きく歪ませた。
「どうだ?心臓を直に撫でられた感触は?」
荒く息を吐く彼女は怖い目で俺を睨む。しかしまだ何も言わない。仕方ない、と今度は手錠を小突くとぐぅ、と大きく体を丸め、心臓のあたりを抑えた。
「心臓を叩いたんだ。どうだ?まだ話さないか?」
どれだけ拷問に対する訓練をしようと未知の痛み、未知の快感というのは存在する。例えばリリネットが付けている手錠がそれだ。あれは九条燕先輩とアリスが一緒になって工務部に依頼した一品だ。簡単に言えば付けた人間の心臓と手錠をリンクさせ、撫でたり、こづいたりすればダイレクトその感触が手錠を通して心臓に伝わるという悪趣味な代物だ。
心臓を触られた人間などそうそういない。ましてダイレクトに殴られたり、痛めつけられたりなどは皆無に等しい。だから例えばこんなこともきっと味わったことがない。
軽く凍結魔術を手錠にかけてやると、リリネットはさらに苦悶の表情を浮かべた。心臓が直に凍っていく感触はそうそう味わうことができない極めて珍しい、貴重な体験だ。俺も一度やったことがあるが、あれは中々に不快だ。焼けるような痛みで心臓がすっぽりとブラックホールに包み込まれていったかと思えば、次の瞬間には心臓の至るところから刺すような痛みが押し寄せる。それはズキズキと侵食し、絶えず濁流となって押し寄せてくるかと思えば、ぱたりとその痛みがやむ。いっそ心臓が凍傷で崩れ落ちるんじゃないか、と感じ始め痛みが引いていくほどに恐怖を募らせていくのだ。
「あんたぁ!!」
「ああ、手足がまだ覚束ないだろうにまた寒いのは嫌いか。じゃぁこうゆうのは?」
カンと軽く手錠に切れ込みを入れてやる。俺が爪を手錠に差し込むと、今度は輪をかけて大きな声でリリネットは叫び出した。当然だ。今、されていることが何かわかれば誰だって絶叫する。たとえ、痛みがこれっぽっちも感じられずとも、これまで、心臓に対して痛みだったり、気持ち悪さだったり、暑さ、冷たさを味わってきた身からすれば何が起こっているかは明々白々だ。
「ほら、ほら、ほら」
あいにくと手錠を通してではどこが切れているのかはわからない。動脈、静脈、はたまた毛細血管のどれかか、なんにせよ、リリネットからすれば気が気ではないはずだ。これが企業スパイとか国家スパイとかなら、死ぬのなんて怖くないむしろ本望かもしれないが、「守護者」の家系とはいえ主でもなんでもない間男のために死ぬなど彼女からすれば自身の魔術師生命の否定のように感じられるだろう。
その恐怖は絶大だ。子供が親に面と向かって「産むんじゃなかった」と言われるようなもので、大きく心を傷つけるし、陰を落とす。魔術師はなおさらその影響が大きい。
「一族」にとって成果が出せない子供は不必要だ。「一族」の悲願を達成できないまま、無駄金使いまくる子供など産廃でしかない。「守護者」の家系ならば主人を守れず、どことも知れぬ場所で死ぬのは屈辱的だろう。主人すら定められず、半端者のままくたばるのはなお屈辱的だろう。
まして、殺すつもりがない、と高を括っていただろうリリネットにとって唐突に下された死の宣告というのは衝撃的なはずだ。こうして手錠に傷を入れるだけで動悸を起こし、呼吸が荒くなる。
自分の死が目の前にある。その時、人はどうするか。救いがあるならそれにすがりたいと思うのではなかろうか。俺が垂らしてやるのは蜘蛛の糸だ。ちょっと離れたところから軽蔑した目でハースが睨んでいる気がするが、気にしない気にしない。
「どうだ?ここで死ぬか?」
それとも間男について話すか。
相手の矜持を逆撫でするような尋問法だ。ただ体を痛めつけるよりもなお悪い。痛めつけられた方がまだ言いわけが立つから、矜持は折れないがこれは半ば自発的な暴露だ。それも自分の魔術師生命惜しさに秘め事を吐露するなんてさぞかし屈辱的なことだろう。
それゆえに嘘はなく、また信用できる。生来の嘘つき、生粋の天邪鬼、前世からの狼小僧である魔術師の言葉は普段なら信用できないが、自身のプライドや信念に裏打ちされた言葉は信用できる。
一体いくばくの葛藤があったのか、しばらく俺を睨んだ後、リリネットはゆっくりと抵抗感を感じさせながら口を開いた。その間も手錠の表面をこすり、相手に心理的効果を与え続ける。
唇の上に重しでも乗っているかのような緩慢な動きでリリネットは一言ずつ、言いづらそうに声に出していく。しかし決して明瞭とは言えない発言のせいで何を言っているのかがわからない。
存外、間男に対して変な義理立てをしているのか、それともよほど気持ちのいい体験をしたのか。下世話な話題になるが、艶やかな感覚がプライドや信念を押し留めているという可能性も考えられなくない。
「んー。脳みそを弄った記憶はないんだけどな」
「バカになったわけではない!あんたに言うのが嫌なだけだ!」
「意固地になるなよ。それともここで死ぬ?」
「ふざけないで!こんな取り調べ、無効よ、無効!だいたい、本当に殺すことなんて」
ああ、しまった。
焦れてバカをやらかしてしまった。ここはじっくりとプレッシャーをかけて相手が暴露するのを待つ場面なのに、ついつい思ったことがポロリと口から出てしまった。
おかげで正気を、いや理性を取り戻してしまった。俺の脅しに対して感情論で対抗し、常識的な回答へと逃げられてしまった。こうなると俺の手錠を使った脅しも脅しじゃなくなる。
前提条件として殺されないと確信してしまった人間は自分の頭蓋に銃口を突きつけられても首を縦に振らない。言い変えれば、それ以外の箇所にいくら穴が空いても首を縦に振らない。無敵の人の出来上がりだ。
リリネットを支配していた死の恐怖、それは唐突に訪れたからこそ意味があるのだ。こちらの余裕が相手を切迫させ、俺にとって有利な状況を作り出した、言うなれば九回裏ノーヒットノーランツーアウトまで持ち込んだところで、試合の流れを覆すような起死回生の本塁打を打たれたようなものだ。一体何をどうやればそんな凡ミスをするのか、皆目見当がつかない。
「あのさ、傍から失礼して悪いんだけど、そこまでそんなヤリチン野郎に忖度する理由あるの?所詮は遊び相手みたいなものでしょ?」
「それは……」
言いごもるリリネットをハースはそのとび色の瞳で覗き込む。頭を抱えて四苦八苦していた俺に助け舟を出してくれるとはさすが師匠だ。
「ねぇ、なんで?なんの義理立てがあるの?」
「こわいこわいこわい!!!」
「ねぇ、どうして?どうしてなの?」
互いの唇が触れそうな距離でハースとリリネットは見つめ合う。いや、ハースが一方的にリリネットを見つめ続けた。そればかりか、視線逸らそうとすれば、頬を掴んで無理やり視線を合わせた。次第にリリネットの目はうつろになり、溢れ出た大量の涎が、耳目の廃液が垂れて顎と頬を伝ってこぼれ落ちた。
百合百合しさなどカケラもない。暴力がないだけでやっていることはヤクザの尋問だ。互いの息遣いが聞こえ、口臭が鼻腔を直撃する距離から放たれる冷たく、低い声はえも言われない気持ち悪さを感じさせ、頭の中で羽虫が飛び回っているかのように錯覚させる。
それをまさしく捕食行為だった。強くて剛健、真正面から戦えば勝てないはずのリリネットの喉奥にハースが流れ込んでいく。
強姦と呼んでも遜色がない情欲のるつぼ。垂らされたヨダレを蜜と誤認して舌先を伸ばし、とび色の太陽に慈悲を乞う。それを可能としているのがハースの十八番、すなわち思考停滞と呼ばれる停滞魔術の奥義だ。
何も考えられない、何も思い浮かばない、何も感じられない。さながら麻薬に耽溺していく中毒者のようにハースがリリネットに触れた瞬間に発動したそれは容赦無く彼女から思考力と発想力を奪い、ただ見つめらて惚けるだけの傀儡と化した。
「さぁ、言って。あんたは誰とヤったの?」
思考停滞は俺にもできないカーシャ家に伝わる秘奥の術だと言う。ただの洗脳や暗示以上に効果的で、場合によっては思考ループ、記憶の不定着すら可能な代物だとハースは言っていた。これができて初めてカーシャ家の魔術師としては一流なのだ、と。
その恐ろしさは見ればわかる。ハースに触れられれば瞬時にこの思考停滞に陥ると考えればゾッとする。通常、魔術師は洗脳や暗示にはある程度の耐性を有している。よほどの格上でもなければ操られることはまずない。この耐性を俗に魔術耐性と呼ぶが、カーシャ家の停滞魔術はその耐性を貫通する。
「あたしが姦淫したのは」
思考の無限ループに陥り、リリネットは名前を口にした。彼女の口からこぼれた名前は予想外だったが、同時に予想していた名前の人間だった。
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