Wrist List
「ばっかーだなー、我が弟子!ラブ&ピースでいこうぜー!!!」——〈師匠〉ハース・カーシャ
その後、慎二はサラに連行されてしまった。なんでもここ最近会えなかった分を払ってもらうのだそうだ。どういう意味かは考えないのでおこう。
さてそうなると困ったことになった。有体に言えば暇になってしまった。
院内のカフェテリア、食堂と言い換えてもいいこの場所に一人、放課後の静かな時間に取り残されるのはちょっとばかし寂しさを感じる。周りを見回してみると、昼食時は院生で埋まっているこの巨大な部屋もしかしてガランガランで、騒がしい二人が抜けてしまった後には閑古鳥の鳴き声も聞こえない静けさしか残らない空間と化していた。
まばらに院生の姿は見えるが、それも勉強に精を出しているという感じで何かを食べに来たという風には見えない。放課後の食堂が図書館以上に静かだから、と言ってしまえばそれまでだが、まぁなんというか学生しているなと思う。いっそ俺も勉強するか、とノートを鞄から取り出した矢先、この場に似つかわしくない晴れやかな声の主が「あれー」と俺に声をかけてきた。
「ハース。珍しいな、お前がここに来るなんて」
魔術師の中でも珍しいクリームホワイトの長髪に赤目、アルビノかと疑うほどに肌が白く、その言動と壊滅的な料理センスさえなければおそらく淑女と言われていただろう彼女ははにかみながら俺の正面に座った。つまりさっきまでサラが座っていた席だ。
「どこにあたしがいたって、それはあたしの自由でしょ?」
それはそうだ。ただしドヤ顔で語るべきことではない。この飯まず馬鹿舌娘は一体なにを自慢してこれほど胸を張っているのだろうか。まぁ胸がそこそこ大きいからその分役得ではある。なにより精神がおおらかだからか、彼女は美人だ。いや、美人だから寛大なのか。わからんな。
なんにせよ、俺に停滞魔術を教えてくれた魔術の師匠とも言うべきハース・カーシャは超ドヤ顔で俺に向き合い、ねーねーと話しかけてきた。
「いやー勉強したかったんだけど、図書室はいっぱいでさー」
「まぁ、だろうな。俺は風紀委員だから科目が半分免除されてるけど、一般生徒は期末試験が迫ってるもんな」
遠海魔術学院が特殊な学校といえど、院を名乗っている以上は中間、期末試験というものが存在している。テストの内容は実技と筆記に分かれていて、風紀委員である俺は実技試験を免除されている。実技、筆記のどちらでも赤点一つで落第、留年というかなりシビアな内容になっていて、特に普段から勉学が振るわない奴らは勉強に打ち込んでいるというわけだ。
ハースもその一人だ。勉強が苦手というわけではないのだが、とかく彼女は自分の魔術とその周辺魔術以外への造形がない。はっきり言ってカスだ。なんと高等部二年生であるというのに、一般的な結界魔術も使えない。例えるなら高校二年生で九九ができないようなものだ。
結界魔術が使えないということは結界魔術に関する知識が不足していることを意味している。停滞魔術を教えてもらう見返りに結界魔術に関する概論を教えたが、それでもギリギリ赤点セーフというくらいハースはポンコツだ。
「んー。ねぇ千乱ちゃん。あたしに足りないものってなんだろう」
「基礎技術。アフリカにコンクリートの道敷くようなもんだからなー、ハースに基礎以外の魔術を教えるのって」
「だーれが大陸のイエローカード共だ、この野郎。大体、結界魔術に限らずわっかりにくいんだって、あたしみたいに体感で魔術使っている身としてはさ」
大学受験で英語免除を使った帰国子女みたいなことを言いやがる。要はフィーリング、などと言って基礎的な部分を理解しようとしない馬鹿の言い草だろう、それは。
魔術と聞くとゲーム脳の連中は魔力がー、魔法陣が、と言うが実体は科学とそう大差はない。究極、魔術師の仕事は魔術の公式が書かれた用紙に瘴素を注入するだけで済む。体感的に魔術が使える人間は日常行動にその動作が染み込んでいるに過ぎない。
結界魔術にしてもそうだ。難しい魔術ではない。それこそ五芒星を描いたり、円形の魔法陣を描いたりと簡単なものなら、魔術が使えない人間でも魔術師の補助があれば使える魔術だ。だから教科書を見ながら魔法陣を書けば基本的には発動する。
「強度だとか、効果だとかはまず結界魔術が使えるようになってから憶えりゃいいんだよ。ほら、ここに用紙あるから、それに適当な魔法陣書いてみろよ。あ、これコンパスね」
「うえー、なんで説教モード?あたし、息抜きで話しかけたつもりなのに」
「勉強の話をするハースが悪い。それともハースは次の試験で落第したいの?確か基礎科目にあったよな、結界魔術の実技」
うぐ、とハースは嫌な顔をする。よほど痛いところを突かれたのだろう。脇腹を刺されたかのような表情になり、彼女は悶絶していた。普段は高飛車な女性がしおらしくしている姿というのは可愛いもので、ギャップ萌え万歳と言いたくなる。
話し相手がぐぅと言ったまま全く話さなくなったので、コーヒーのお代わりがてら周りでも見て回るか、と席を立った時、ふとコーヒーポットに反射した食堂を見てみると、見知った顔が一人で左から右へスライド移動していた。より正確には俺が一方的に知っている顔だ。
バッと振り向くと痛々しいくらいの赤髪の女が2階へ登っていこうとしていた。高等部2年生のリリネット・ウィザンで間違いない。例の間男事件の重要参考人だ。
これまで何度か接触を試みたが、こちらを見るとすぐに逃げてしまうため、ここまで至近距離に迫ることはできなかった。これは好機だ。好機と呼ばずしてなんと呼ぶ。
気がつけば走り出し、俺は2階への階段を駆け上っていた。向こうも向こうで俺の接近に気がついたのか、すぐに全力ダッシュで逃げ出した。
リリネット・ウィザンの生家であるウィザン家は九条燕先輩の生家同様に代々、守護者と呼ばれる魔術師専門のボディーガードを排出してきた家だ。その甲斐もあってかリリネット・ウィザン自身も高い身体能力を有している。2階へ俺が登ったかと思えば、彼女はテラス席から飛び降り、一階の机の上に着地し食堂の出口めがけてもう疾走を始めていた。
猿か豹かと突っ込みたくなるようなダイブに、チーター並の脚力とは全く恐れいる。しかし身体強化の魔術と併用すれば不可能ではない。周りがざわつき出し、悶絶していたハースも遠目に顔をあげていた。
なにくそ、と俺も飛び降り、受け身を取らずに着地と同時に走り出した。そして食堂から出ようとしたリリネットに対して、無理やりガラス扉を閉めて、その逃走経路を遮断した。唐突に閉まった扉にリリネットは面くらい、バンと体を勢いよくガラス扉へぶつけ跳ね返されて床に崩れ落ちた。それでもすぐに体勢を立て直して別の出口へ走り出していた。
当然俺はその後を追うわけだが、その俺めがけて魔術弾が飛んだ。西洋において「ショット」と呼ばれる基本的な魔術攻撃手段で、「一族」ごとにその性質は大きく異なる。ただの打撃程度の威力しかない魔術弾もあれば、呪いを付与したりする魔術弾もある。
相手が守護者を排出する「一族」の魔術師だと仮定すれば、決して食らうべきではない。いや、それ以前に院内で魔術を使ったことが驚きだった。
通常、院内での魔術の使用は認められていない。御法度だ。院生の逮捕特権を持つ風紀委員でさえみだりに乱用すれば停学処分や最悪、退学処分になる。いわんや一般生徒ならばその使用は著しく罰せられる。
「馬鹿野郎が」
相手が魔術を使って抵抗してきた以上、こちらも魔術を使って応戦せざるを得ない。サイコキネシスに似た物体移動の魔術とは比にならない純粋な魔術攻撃、相手と同じように俺も魔術弾を放った。
ヒュンと飛んだ藍色の魔術弾がリリネットから逸れて、向かい側の壁にぶつかる。直後、その壁全体が凍りつき、広がった。命中すれば一瞬で凍りつく、とわかればリリネットも振り向き、応戦し始める。背を見せていればいつか当たるかもしれないという可能性が彼女に振り向かせ、俺と相対させた。
「ちぃ。このストーカー野郎!!」
「黙れ、犯罪者。俺に会ったのが運の尽きさ。さんざんぱら逃げ回ってくれやがって。今日こそはまともにおしゃべりしようぜ?」
「いやよ!!」
連撃、リリネットの掌から赤白い刃が現れ、彼女はそれを振り回す。魔術師の中でも「守護者」に任命されるものがよく使う魔術剣という基礎魔術だ。切れ味は術者の腕に依存し、その刃渡りもまた術者の腕次第、しかしどこからでも出せるという能力は誰が術者だろうと変わらない。魔術剣は最低でもサバイバルナイフ程度の切れ味を有していることを踏まえれば避けるが吉か。
俺に不意打ちに近い斬撃を避けられて、リリネットの動きが少しだけ変わる。さながらウルミのように空を征く魔術剣をしならせ、より広範囲にわたって攻撃を展開し始めた。
当然と言えば当然だが、俺が良ければ魔術剣は空を切り、俺の背後にある食堂の机や椅子へとその刃を向ける。スパ、スパとまるで大根か人参かのように切り刻まれていく様を横目で確認しながら、氷の礫を滝のように降らせ、彼女から距離を取った。
「守護者」の家系である以上、リリネットもまた魔術剣や魔術弾のような基礎魔術ではなく、「一族」独自の魔術を使ってくるはずだ。最悪は魔術式による反撃だろうが、それを使ってくるほど相手も親切ではないだろう。魔術師の奥義たる魔術式、むしろエリスのようにおおっぴらに使う人間の方が稀有だ。
だから今警戒すべきはリリネットの魔術だ。一発で終わりなんていうぶっ飛んだものが飛んでくる可能性もある。間合いの確保は大事だ。
「厄介ねぇ!」
「魔術剣だけで俺に勝てると?この調子じゃ傷だって付けられねぇぞ」
3メートル、いや3メートル半も伸ばされた赤白色の刃をかわすと、それは中程で折れ曲がり、地面に傷を付けた。つぎ込む瘴素の量でも増やしたのか、自由度、威力共に桁が違う。
けれどそれまでだ。魔術剣はその長さと切れ味を自在に変えられるが、決して自由自在というわけではない。いわば巻き取り式の定規のようなもので伸ばし過ぎれば途中で折れ曲がるし、力をかければ容易く折れる。強度もたかが知れている。
俺に煽られ、リリネットは狂ったように斬撃を打ってくる。まるで獣、その程度のおつむで「守護者」を名乗るのか?
「当たらないなぁ。いい加減疲れてきたんだけど」
「だったら、当たれば?一瞬で天国に連れてってあげる」
「笑えない冗談やめろって。俺ら魔術師だぞ。魔術師は基本死んだらあの世行きだぞ、神曲にもそう書いてある」
「魔術師シモンよ、て?笑えない冗談ね」
緋色の光がリリネットの掌から迸る。魔術剣ではない。彼女の生家の伝承魔術、魔術式からこぼれ落ちた魔術は同種のそれを凌駕する。俺が魔術式のバックアップありで停滞魔術を使うのと、バックアップなしで停滞魔術を使うのでは威力も範囲も違うように、リリネットの魔術もまた効果は変わってくる。
「Couper!」
「切断魔術か」
刹那、空間が歪む。とっさに後ろへ向かって後退したのが功を奏した。一歩遅れていれば間違いなく、胴体の上半身と下半身が泣き別れになっていたことだろう。
空間が歪んで、それが四方八方へと広がっていく。それは範囲は極小だが、触れれば絶殺の事象だ。ただ切るのではなく、切ったという結果をおしつける魔術、それが切断魔術だ。
古い時代、まだ包丁やのこぎりといった鉄製の道具が貴重だった時代に考案されたこの魔術はどんなものでも切ることを目的としていた。そのため、この魔術は物体ではなく、空間に作用する。有り体に言えば本人が意図した場所に切断した、という事象を発生させることで、物体の強度を問わず絶対に切断することができる。
言い換えれば、物体に作用する術ではないため、避けることは容易い。要は切断したという結果が現れる場所さえわかっていればそこから離れるだけで回避できるということだ。
これがリリネットの扱う魔術、なるほど面倒だ。回避は容易だが、罠として使われれば厄介なことこの上ない。
「けどその魔術、発動が遅すぎないか?詠唱句込みにしても時差がありすぎる。俺程度なら回避は容易だぞ?」
「言ってろ、下等魔術師」




