higher than the Earth
「いいか、歴史は記憶科目じゃない。物語科目だ!!」——〈歴史科教師〉斎藤 丈次
時に諸氏、学校は、勉学はお好きか。
短文の意味を読み解くのはお好きか。公式を用いて計算を解くのはお好きか。英文を読んでそれを訳す作業はお好きか。歴史書の年表やら人の名前を憶えるのはお好きか。学習と称してよくわからない液体の調合をするのはお好きか。わけのわからない課題で絵を描くのはお好きか。リコーダーをピーピー吹くのはお好きか。精神統一をして筆を走らせるのはお好きか。持久走はお好きか。裁縫はお好きか。最後に、倫理だの道徳だのはお好きだろうか。
結論から言えば、俺はそのいずれも好きではない。好きではないが、やらねばならぬ。学生とはかくも面倒で、かくも恵まれているのだな、と再確認させられる。
実際問題、社会に出れば誰も何も教えてくれない。正確には知らなければいけないことを教えてくれない。教えて欲しいと言った時だけ教えてくれるのだ。逆を言えば、求めずとも教えてくれるのが学校であり、教育機関だ。
好き嫌いに関わらず、勉学は必要不可欠な存在だ。学び続けるのが人生ならば、いついかなる時も背筋を正して全力で取り組まなくてはならない。齢17程度の若造が何を言っているんだ、という話だが、俺自身はすでに十分に無知の恐ろしさも無学の無力さも理解しているつもりだ。
だからこそ今こうして昼食後の三限目の授業を眠気を我慢して取り組んでいる。
三限目は歴史だ。歴史と言っても魔術史だが、量自体は一般的な歴史の授業と変わらない。ただ宗教的、神学的な話も混ざっているから、難度は段違いだ。
魔術師の歴史とはそれだけ長ったらしく、湾曲している。単純な時代区分なら古い順に神代、古代、中世、近代、現代で分けられるが、それだって学者によって「ここで区切る」「いやここだ」と論争の種になる。一貫して近代の始まりが14世紀ごろからというのは共通しているが、それ以外はあーでもない、こーでもないと論争が続けられている。
なぜ14世紀ごろからというのが一貫しているかと言えば、ちょうどその頃になって、おそらく魔術史においてもっとも有名な人物、ダンテ・アリギエーリが魔術世界に激変をもたらした書「地獄篇」を記したからだろう。一般社会では「神曲」の名で知られる書物だ。
表向きは地獄篇、煉獄篇、そして天国篇の三篇構成とされているが、魔術世界ではただ一冊、「地獄篇」のみが真作として価値があると考えられている。その理由は単純で「地獄篇」がある種の魔導書だからだ。
ちょうどそのあたりが今の歴史の授業のメインテーマだ。曰く、ダンテ・アリギエーリの「地獄篇」により魔術師達は大気中の瘴素に手を伸ばした。曰く、ダンテ・アリギエーリの「地獄篇」により魔術師達はより上位の位階を目指せるようになった、と。
「地獄篇」は魔導書であると同時に魔術師が神の座に近づくことを助ける補助ツールでもある。その最たる効果は大きく分けて三つあり、一つ目は大気中の瘴素を体内に取り込めるようになったこと、二つ目は魔術師達にわかりやすい位階をセットしたこと、三つ目は神話事象の体系化による魔術補助だ。
特筆すべきは三つ目の魔術補助で、よりわかりやすくより親切に指南されたことで、ズブの素人でも一丁前に魔術が使えるようになり、それまでは大きく差が開いていた古い魔術師と新しい魔術師の戦力差はこれによって大きく縮まった。そのためか、今日、西欧系魔術師はほとんどがダンテの魔術体系の影響を受けている。それは古い魔術師の家系だろうと新しい魔術師の家系だろうと変わらない。
さて、そんなダンテの作った「地獄篇」は魔術師の中に新たな枠組みを作った。それが位階だ。第一層を一番下、第九層を最上位とした魔術師の位階は、より高位に近づくにつれてその魂が、とまぁ要するに魔術師として強くなると受け取って貰えばいい。俺自身もどういうシステムなのかはいまいちよくわかっていない。
だが、一つだけ言えることがある。位階を上げるということは、少なからず咎人になるということだと。
そういうわけで、実を言えば魔術世界において強姦とはさほど重大犯罪とは扱われない。無論、寝取られもだ。俺やアリスは寝取られ、寝取られと初めて自慰を覚えた猿のように興奮していたが、そんなに珍しい話でもない。
魔術師がその出自からして呪われている以上、強姦とか寝取られとかは日常茶飯事だ。俺にしろ、アリスにしろ、いやこの島にいるすべての人間は呪われている。もし本当に地獄があるならば、全員大なり小なり地獄行きだろう。
だから俺達が強姦や寝取られを問題視しているのは、倫理にもとるとか、道徳教育の賜物、あるいは未成年の淫行を咎めるなんていう大それた理由からではなく、ひとえに小さな問題が大きな問題に波及しないように対処しているにすぎない。大きな問題とは無論、報復や戦争だ。
報復や戦争などと聞くとまるでヤクザのようだと思う人間もいるかもしれないが、真実魔術師同士の争いとはそういうものだ。血生臭く、どこまで陰惨な地獄のような光景が繰り広げられる。最悪、この浮遊島が沈むかもしれない災厄が押し寄せるかも、と想像すればその阻止のために動くことはなんらおかしくはないのだ。
「——茨木、おい茨木 千乱!何を1人で頷いている?」
なんだろうか、と顔を上げてみると、それはそれは菩薩のような慈悲深い笑みを浮かべる歴史の担任である斎藤が俺のことを覗き込んでいた。スキンヘッドマンなだけに余計に笑顔が怖く見える。あとは眉間に青筋が浮き上がってるからだろうか。
魔術師らしからぬ育ち切った上腕二頭筋、引き締まり服越しからもわかるほど隆起した胸筋とウェスト、大腿部は俺の頭ほどもあり、さながら東洋のドウェイン・ジョンソン感すらある斎藤が微笑むだけで、そんじょそこらの院生は萎縮し、笑顔で返す他なくなる。相手を安心させるため、子供達がたやさない笑顔を向けられ、それを上回る迫力で斎藤が凄むものだから、大抵の院生はその時点で自然と泣いてしまう。
「斎藤先生、これは先生のご意見が素晴らしかったから頷いていたのであります!」
「ほぉ、じゃぁ俺はなんて言っていたか、言えるよなぁ?」
「もちろんであります!先生は近代魔術についてお話ししておりました!」
「ふんふんじゃぁ、俺が誰について触れたか、わかるよな!?」
「ダンテ・アリギエーリであります!」
「ぶぅうううううううぶぅううううう!!!正解はジョバンニ・ディ・ドメニコ・マッツォーリ・ダ・ストゥラーダでしたぁ!!!!やっぱり聞いてねぇじゃねぇか!」教室の後ろに立ってろ、カス!」
しくじった。誰だよ、それ。渋々教室の後ろ側へと歩いていく俺をクスクスと笑う声が聞こえたが、俺は大人なので気にはしない。
廊下に立たせないだけまだ温情だろう。あるいは三角帽子を被らせたりだろうか。とにかく必要以上にあげつらうようなことをしないだけ、まだ斎藤は脳みそまで筋肉に支配はされていないのだろう。
別に悪いやつではないのだ。ただ歴史の教師全般に共通していることではあるのだろうが、自分の興味のある時代はめちゃくちゃに深掘りするくせに、興味のない時代は教科書に書かれている以上のことは話さないというのが、斎藤にも当てはまっていて、彼の場合はこの近代史が一番面白いところだから、ものすごいマニアックな人名が出てくるんだろう。
先に挙げたジョバンニ何某はボッカッチョの家庭教師であり、彼の魔術の師だそうだが、そんなのを出されてもな感はある。ヘレン・ケラーの家庭教師はサリバン先生です、くらいどうでもいい。
だがここで一番最初に戻ってみよう、諸氏。
このようにちゃんと叱ってくれたり、勉強を受けさせてくれるのは教育機関ならではだ。社会に出たらこんな高待遇は望めない。望まずとも勉強できるという至福もなければ、充足もない。おせっかいなまでの過保護具合はなんて気楽なのだろうかと思わないか?
勉学とはそういうものだ。自分で好きなことをやるのは面白いが、知りたいことしか知れないだけでは手の届く範囲などたかが知れている。知りたくもないこと、知らなくてもいいことまですべて知れるなら、学校は素晴らしい教育機関だろう。
今だってほら。俺を教育現場から排除せずに教室の後ろに立たせるという形で、参画させている。俺のような不真面目な生徒にさえも救いの手を差し伸べるのだから、本当におせっかい焼きにもほどがある。見上げた精神だ。
結局、俺は歴史の時間はずっと立たされっぱなしで晴れて解放された時はもう足が棒になるんじゃないかってくらいくたくたになった。唯一癪に障ったのは斎藤の野郎が特に何も言わずにてきぱきと片付けをして出ていってしまったことだ。無視しやがってあの野郎。
いっそ、こんなことなら今日の授業をバックれて例の間男調査でもすればよかった。余計な時間を費やしてしまった。そう思っていた矢先、不意に誰かが俺を見ているような気配を感じた。
そりゃ、教室の後ろに立たされているのから視線を感じるだろうが、そういう嘲りとか奇異の目ではない。例えるなら、そう明らかな敵意が入り混じった視線だった。
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