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双華のディヴィーナ《地獄篇》  作者: 賀田 希道
Violence Fill the Hearth.
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After Incident

 後日、と言ってもグレイの一件の翌日、つまり4月19日のことだ。よっす、と放課後の風紀委員の業務に従事している俺のもとをアリスが訪れた。よっすじゃなくてお前も仕事しろよ、と俺が返すと今やるのー、と思春期子女と同じ返事を投げてきた。


 机の下にカバンを置き、俺の正面の席に座った彼女はキヒヒと笑うと、カバンの中から取り出した一枚の紙切れを俺に手渡した。受け取って目を通してみるとそれはエリスの監視任務の終了を知らせる通知だった。イリアがアリスに渡していたということか。


 受け取った通知に既読を示すサインを書いてわたすと、毎度ー、とアリスははにかんでクリアファイルにそれを入れた。まったくいい同僚を持った者だ。人の愛の巣を破壊するだなんて残酷なキューピッドもいたもんだと泣きたくなる。


 「別にもう会えないわけじゃないんだから。会いにいけばいいじゃん。ほら、友達から初めてみたら?」

 「いや、会えないことを嘆いているわけじゃぁねーのよ。ただこれからまたいつもの日常に戻っていくのかーと思うとね」


 人間というのはおかしな生き物で、一時(いっとき)平穏を味わうとそれが味気ない無味無臭のこんにゃくかハンペンのように感じるようになり、刺激やスリル、緊迫感を求めるようになる。エリスの監視任務という面白おかしい出来事が起こりそうな珍事が終了するなんて人生の悦が一つ消えたようだ。


 さて、そんなわけで俺の悦がなくなったところで仕事に戻ろう。昨日の今日という言葉がこれほど似合う状況もなく、グレイの一件に関する報告書をはじめ、廃棄棟での一件やエリスが研究棟に開けた風穴の件など、報告したり弁償しなくてはいけない件が多すぎる。


 幸い、俺が報告しなくてはいけないのはグレイの一件と廃棄棟での戦闘報告だけで風穴の弁償云々は俺ではなく別の人間にのしかかってくる。悲しきかな、俺は今からそのことを該当する人物に、つまりエリスに告げなければならないのだ。


 「大変ね」

 「いいさ、別に。俺はこういうのは慣れているからな」


 「リストラされる社員に解雇通知出しに行く中間管理職みたいなこと言うじゃん」

 「かもね。今回の場合は解雇通知じゃなくて請求書を出しにいくだけなんだけどね」


 ぴらぴらとエリスに渡す紙をはためかせながら室外に出て、エリスの教室を訪ねようとすると意外なことに彼女は風紀委員室の前に立って待っていた。俺に気がつくとエリスは組んでいた腕を解き、かつかつと近づいてきた。


 どうしてここに、と俺が聞く余裕もなく河岸を変えようとばかりにエリスは首を回して、人気のない外階段の踊り場に俺を連れて来させた。そのまま危なげなく鉄柵によりかかるとその蒼い瞳は静かに俺を見据えていた。


 「何の用?まー、俺もエリスに用があったからよかったけど」

 「ほぉ。ならまずはそれを聞こうか。貴様の私に対する用とは一体」


 「はいこれ、請求書」

 「は。請求書?」


 そーですよ、請求書です。頭のてっぺんから爪の先まで紛うことなき請求書です。なんなら朗読してみせようか。


 俺に手渡された請求書を見て、エリスがわなわなと両手を震えさせる。ピュークを我慢しているような、カエルっぽいレアな表情を浮かべ、俺と請求書を交互に見つめる彼女は信じられない、といった様子だった。


 お目々をパチパチ、お口をパクパク、お鼻をキュウキュウと開け、開き、しぼめるエリスの表情はギフ画像にでもして携帯の待受にしたいくらいには面白かったが、そのままじゃ話も進まないので、パンと耳元で手を叩くと正気を取り戻したエリスは改めて請求書をまじまじと見つめ唸り声をあげた。


 「高すぎやしないか?」

 「大変、リーズナブルなお値段になっております。街とかの破壊だったら工務部が勝手にやるから金はかかんないんだけど、研究棟は色々機密も多くて専用の業者を雇って修繕しないと」


 「ローンの積立は!リボ払いでもいいぞ!」

 「あいにく一括払いでお願いします。ていうか、そこまでエリスが懇願するって。ひょっとしてお金ない?」


 ぐぅ、と図星をつかれたのか、珍しくエリスは目を逸らす。そして開き直ったか、逆ギレしたのかしょうがないじゃないか、を皮切りに自己弁護を始めた。曰く、貧乏だから金がないとのことだ。


 「今いる『白泉ハウス』とかって結構いい寮じゃん。そこに通えるのに金がないって」

 「あれは……まさか、私に家なしになれと!?」


 『白泉ハウス』の家賃はたしか月六万円、そこに水道代、ガス代、共益費も入るからかなりの金額になるはずだ。院自体も学費の他に教科書代やOB会への入会費、クラブへの入会費などを加味すれば年間五百万以上の金が消える計算になる。日々の食費や参考書の購入費も加味すれば、人によっては一千万近い出費が一年を通して発生する。


 魔術師は世知辛いという話は前にもしたが、それは院生のころから変わらない。タダで物を学べる道理がないように、魔術学校もまたお花畑のきゃっきゃうふふ、資本主義なんてしりーません、ではないのだ。


 ただ、金、金、金とここまで連呼してきたが十二騎士や委員会に所属している人間なら魔術学院側からある程度、学費やクラブへの入会費などが免除される。エリスのように優秀な人間なら自己負担率は二割程度のはずだ。しかも毎月、ささやかなお小遣いまでもらえる。お金がないなんてことはないはずだ。


 「いや、その、だな。確かに私は毎月それなりの額を研究費としてもらっているが、実はほとんどないんだ、それは」


 「はい?あ、ひょっとして」

 「うむ。借金で消えた」


 マジかよ。どんだけの借金こさえたんだ、エリスの先祖。エリスがそいつの孫か娘か知らないが、子孫に借金背負わせて没るって相当だぞ。


 「じゃー、うーん。とりあえず、エリス。寮変えろ。もっと安いとこにしろ」

 「う、む。そうだな」


 分割払い、ふとそんな甘美で陰湿な罠が隠されているフレーズが脳裏をよぎる。やっぱり明朗会計、一括払いが好ましい。わかりやすく、計算が楽だ。誰だって足し算や引き算の方が掛け算や割り算よりも好きなように。


 「まぁ請求書の件は後でもいいよ。俺としてはエリスの要件の方に興味がある」

 「貴様。まぁいい。今ここで騒いだとて解決する問題ではないからな」


 物分かりよく請求書の話題を一旦棚上げにして、エリス彼女の用事を俺に話し始めた。


 「端的に言えば貴様が廃棄棟で戦ったという魔術師、それについて聞きたい。どういう人物だった?」


 おかしなことを聞くものだ。いや、おかしなことではないな。エリスとしては知りたいのは当然か。自分を狙った魔術師の正体がわからないなんて不気味だものな。


 俺が王李偉(ワンリーウェイ)の概要を教えるとむぅ、と彼女は唸り、視線を俺から外してはるか遠くの水平線を睨んだ。きっとその所作に意味なんてなかったんだろうし、エリスとしては考えをまとめるために余計な情報を視界からシャットアウトするつもりだったに違いない。ひとしきり唸って、閉じていた瞼を上げた彼女はおもむろに口を開き、俺に質問を投げかけた。


 「その男は私を狙っているのだな、やはり」

 「今回は手を引くって言ってたけどね。色々と謎が多い男だから、俺も全体像は把握していない。会ったのも今回のを含めても二、三回だしね」


 「話を聞く限りにおいてはかなりの身のこなしだ。貴様の足を砕いたのもその男なのだろう?」


 視線を俺の左足に落とし、エリスは問いを投げかける。幸い、本校舎に戻ってすぐに医務室に担ぎ込まれたことで1日も経たない内に松葉杖を使えば歩けるようになるまでには回復した。もう3日か4日もすれば松葉杖なしで歩くことができる。


 エリスの問いには肩をすくめ、そうだな、と首肯した。王李偉の格闘センスは驚くべきものだ。彼の技術はおおよそ人間技とは思えず、俺をはるかに凌駕する。たまたま彼が怪我をしていたから、今回はどうにかなったが、次に会った時、ちゃんと戦えるかどうか俺にはわからない。


 「近接格闘を重視し、魔術師としての腕も立つ二重属性の魔術師か。厄介だな。そんな男に狙われているとあってはオチオチ夜も眠れん」


 「じゃぁうちの寮くる?安いし、セキュリティそこそこよ?」


 言った直後、しまったと自分の頬を叩いた。まるで誘い文句、ナンパでもしているのか、俺は。そんなに大久保公園近くで立ちスマホをしている女性達を誘いたいのか?地獄に堕ちろ。


 「ほぉ、貴様の寮、か。確かアリスティスもそこだったな」


 やめろ、と言いたい。突っ込まないでほしい。もう放っておいて!


 しかし俺の悲痛な訴えはエリスには届かない。彼女はほぉ、ほぉ、とフクロウのような鳴き声、もとい英語の「Hm」みたいな冠頭苻をあげ、俺の顔を下から覗き込んだ。


 「いや、いいのではないか?私としても新たな家を手に入れ、さらに私よりも強い魔術師に守ってもらえる。願ったり叶ったりだ」


 「別に俺はエリスより強いってわけじゃ」


 「ルールありなら貴様に負けるつもりはない。決闘などならな。だがルールなしの殺し合いなら貴様はそのナリでも私を殺せるだろうよ。緊急時の貴様の身のこなしを見ている私が断言しよう」


 腕を組んで無い胸を張るエリスに断言されてもな。むしろ今の俺は羞恥のあまり断罪されてしまいたいくらいだ。彼女の余計な評価がさらに俺を悶絶される。そんなすっきりとした眼差しで見られると俺の中のプライドがプライドロック張りに成長してしまう。


 「それじゃぁまた。これからも守ってもらうぞ、千乱」

 「わ、わーい。楽しみだなぁ、エリスの入寮」


 頷き返すエリスの背を目で追い完全に消えたところで、俺は激しく後悔してうなだれた。壁に向かってズルズルと腰から崩れ落ち、はぁ、と盛大なため息を何度となく吐いた。


 端的に言えば面倒臭い。それに尽きる。


 おいおい、刺激がなくなるのはつらいなぁ、とかつい十分だか二十分だか前に言っていたじゃないか俺、と冷笑めいた囁きが耳元で聞こえるが、結局のところそれはポケモンを殿堂入りまでやった奴らが後のストーリーをエンジョイするようなもので、真のやり込み勢よろしくバトル施設に行ったり、通信対戦に熱を出すのとは違うという話だ。そしてエリスのことを守るというのはすなわち後者に精を出すことを意味している。


 人生とは本当にままならない。何度だって言うが人間の人生はいつだって自由にならない。大学を出るまでは親に縛られ、いざ社会に出てみれば会社や組織に縛られ、会社や組織から脱しても年金問題といった金銭のしがらみから逃げられることはない。金持ちだろうが貧乏人だろうが魔術師だろうが社会のくびき、情勢のくびきから逃れることはできやしないのだ。


 そして自由を貫こうと不登校になったり、離職したり、脱税をすると漏れなく素晴らしいプレゼントを押し付けられる。素晴らしきかな社会、麗しいかな現実。人間とはかくも縛られるのが大好きなドMに違いない。この世に真のサディストなんてものはいやしない。人類全員マゾヒスト、ただその中に程度の差があるにすぎない。


 「うーわ。めっちゃ萎れてるじゃん、どしたん」


 「あーアリス。なぁー聞いてくれよぉ」


 なんでここにいるか聞きたいが、今はさておいて、事情を話すと彼女もドン引いたようで疲れたのか階段の上に座り、背中に海を背負い諦観を抱いているような哀れみを帯びた表情を浮かべたまま、はぁ、と盛大なため息を吐いた。


 「首吊りてぇ」

 「縄なら用意するぞー。俺も後追うから天国で仲良くすごそーぜぇ」


 「うわぁー、最悪のプロポーズ。——とまぁ冗談はさておいて。実際どうする?凄腕の魔術師からの護衛なんて、随分な話じゃない」


 脱力モードから真面目モードへの切り替えの早いこと、早いこと。その変わり身の速さは感嘆に値する。まるで松永弾正だ。ただし女版松永弾正だ。そのうち裏切りそう。


 まぁ、そんな冗談はさておいて、どうしようか。


 王李偉は恐るべき魔術師、というわけではないが、少なくとも単純な総合力では俺よりも上だ。魔術戦、格闘戦いずれも俺に勝り、知識量もバカにはならない。それはすでに昨日の戦いで証明されている。だがしかし、勝ち目がないわけでもない。


 「その心は?」

 「隠し手」


 「なるほど、魔術師らしい」


 魔術師という奴は難儀なもので、友人、知人、親類、家族に至るまで秘密ごとがあるものだ。俺もそうだし、エリスやアリス、島城やイリアなどなどに至るまで秘密がある。それは切り札であり、最後の手段みたいなものだけど、アーラシュの最後の一矢みたく使えば自分が死ぬかもしれないのがほとんどだ。実際、昔そういう手合いと戦ってかろうじて俺は生き残ったが、使った奴は跡形もなく消し飛んでいた。


 王李偉も例外じゃぁない。俺に切り札があるように、奴にもきっと切り札がある。それがどういうものなのかは皆目見当がつかないが、彼のルーツ、魔術を考えれば多少の推測はつく。


 「帰ったら結界の勉強しなくちゃな」

 「頑張ってねー。って『文月荘』にアレが入るならあたしも巻き込まれるわけか」


 実際のところ王李偉が正面切って戦に挑むとは考えづらい。極力、自分の痕跡を残したくないからグレイを利用したんだ、今回は特別だ、と言われればそれまでだが、魔術結社に所属している魔術師というのは大抵訳ありだ。「一族」を追いだされたもの、あるいは逃げてきたもの、大した後ろ盾のない魔術師は自分の存在を知られることを嫌う傾向にある。犯罪者が警察の目を避けるように隠れて犯罪を犯すのと同じ理屈だ。


 だから真に警戒するべきは王李偉ではなく、奴が放つ刺客だ。刺客達の凶刃から守れるものなら守りたい。自分の憧れを守りたいと思うのは間違っているだろうか。


 「そういえば、この前さエリスが昔助けられたって話してたよね」


 話は変わるが、くらいのノリで俺にとっては苛立たしい話題を持ち出すアリスの底意地の悪さには呆れるが、今はつままないでおこう。アリスさんはそんな俺のメリットにならない、むしろ嫉妬心を駆り立てる話をしてどうするつもりだろうか。


 「あれってさ、千乱君でしょ?」

 「は?え?」


 「なーんで千乱君がそういう反応するわけ?いやね、あたしもちょぉっと気になって調べてみたんだけど、なーぜーかー、エリスが襲われたっていう記録のあった日と千乱君があたしとの約束すっぽかして消えた日が一致するんだよねぇ」


 何を言っているんだ?本当にわけがわからない。


 仮に俺が本当にエリスを助けたのだとして、どうして俺がそんな重大事を忘れることがあるっていうんだ。彼女が入学していた時からその存在を知っていた、とは言わないがエリスが襲われたらしい一年前だか、一年半前にはもう名前を知っていた。その俺がわざわざ助けた人間がエリスだっていうのに、名前を忘れるなんてことがありえるのか?


 ちなみにどういう事件だったの、と聞くと不良院生のグループとエリスが交戦状態に入った、とのことだ。時期としてはちょうど俺が和泉さんの命令で不良院生を間引いていた時期と重なる。ひょっとしたら俺がちぎっては投げ、ちぎっては投げを繰り返していた不良達の中にエリスが争ったという不良院生が混ざっていたのかもしれない。なんにせよ、はるか遠い記憶だ。鮮明に憶えているわけもない。


 「なるほど、なるほど。つまり俺はあれだな、エリスにとっての恩人てことだな!」

 「自覚がない恩人って、ガチで恩人ぽいよねぇ。逆に押し付けがましい恩人って」


 別に清廉さとかを求めているわけではないが、確かにアリスの言う通りだ。ここで俺お前の恩人、恩人、と連呼して彼女に強く迫ると、ドン引かれるどころかもう二度と口をきいてもらえないかもしれない。


 恩人はただ恩人であればいい。見返りや尊崇を求めた時点でただの打算的な功利主義者に成り下がる。それは聖者の皮をかぶった悪魔、中世11世紀頃の教皇と皇帝の権力争いレベルのくだらなさで性根が腐っている人間がすることだ。きっとエリスはそういう悪魔を嫌う。


 彼女に嫌われることは俺にとって苦行だ。せっかく芽生えたわずかな義侠心も萎れて芋虫の腹を満たす雑草になりかねない。いや、嫌われるだけならまだいい。軽蔑されたまま、あの鋭い蒼い眼差しに晒され続けると思うと首をくくりたくなる。


 つまり、絞首。なるほど、裏切り者は吊るせ、と言いたくなる。


 「とにかく、がんばろ」


 ポンと肩に手を置くアリスは過去一番に優しく感じられた。いつもの変に作った馴れ馴れしさや朗らかさではなく、俺の心境を真に慮っての優しい接触、なんだって今になって優しくするんだろうか。


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