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双華のディヴィーナ《地獄篇》  作者: 賀田 希道
Violence Fill the Hearth.
18/72

Laboratory

 研究棟は本校舎の北側にある建物と前に言ったことがあるかもしれない。それは真実であることに一ミリの間違いもないが、より正しくは研究棟は院内の人工林を抜けた先にある建物であることは言ってなかったかもしれない。そう、本校舎と研究棟の間にはセントラルパークとか、新宿御苑を彷彿とさせる人工林もとい公園が広がっている。


 公園と言っても遊具があったり、仮設トイレがあるわけではなく、ただ境界線を超えた先にだだっ広い木々の空間が広がっているに過ぎない。一応、研究棟に通じる舗装された道はあるが長年整備されていなかったせいで石畳に使われるプレートは割れているし、木の根に侵食されているしで荒れ放題だ。


 樹林の間を駆け回るのはリスや野鳥などの小動物で、大きな獣はここにはいない。木々の間を飛んだり跳ねたり、落ちたり潰れたり鳥に攫われたり、逆に鳥の雛を食べたりとごく一般的なリスや野鳥と変わらない生態系を築いている。もっとも、魔術師だって博愛主義者でもなければ、動物愛護の使徒でもないわけで、もっぱらこの樹林帯のリスや野鳥は実験動物として使われている。そうでなければわざわざ繁殖力のあるリスなんて野放図にしない。わざわざリスや野鳥を捕まえるための罠が仕掛けられているくらいだ。


 樹林を抜ければようやく研究棟が見えてくる。研究棟と言ってもラボラトリーとか病棟のような白い窓のない建物というわけではなく、その造りは西洋の古い城をそのまま持ってきたと言った方が適切だ。早い話がノイエシュヴァイン城でも想像してもらえばいい。樹林の中、ぽっかりと開いた穴の中に立つのは荘厳な城というのはなんともミステリーな雰囲気を感じる話じゃないか。


 研究棟の周りは厳重な囲いがあり、これは外からの護りのためというよりも中から危険なものを出さないためにある。研究棟なんて銘打ってはいるが、要は収容施設だ。入るにも出るにも申請が必要になる。それは風紀委員も例外ではない。唯一の例外はそう、十二騎士だけだ。


 説明に次ぐ説明、もう説明しっぱなしで喉が渇いてしまうが、要は院内の全院生を対象とした成績上位者の集団とでも考えてくれて構わない。院の全生徒、つまり初等部から高等部までの3,000人以上の中から選び抜かれた上位12人なのだ。彼らは研究棟の出入りに際して申請の必要はないし、持ち込みも原則自由だ。だから例えば簀巻きにしたエリスとアリスをグレイが抱えていたとしても、守衛は何も言わないし、何も求めない。かく言う俺は敷地内に足を踏み入れたと同時に守衛に呼び止められ、しち面倒臭い申請書を書かされた。風紀委員ということである程度は筆記事項は面積されているが、それでもA4紙一枚に匹敵する文量を書かされるのは億劫である。


 書き終えて身体検査を終えてようやっと解放された俺が向かう先は尖塔だ。研究棟の四方にある四つの尖塔、東側の階段を登った先にあるそれはグレイの研究室として使われている。研究棟にあるすべての研究室の中で一際大きいのが四つの尖塔で、これらは十二騎士にのみ解放されている。より正確には十二騎士の上位4名に、だ。


 しかし残念なことに遠海魔術学院の十二騎士上位4名は生徒会長で一位、多忙を極める和泉(いずみ)さんを始め、三位のイリアは風紀委員長、四位のアードォ先輩は戦狂いという極東蛮族さながらの研究とは有縁な人材ばかりのため、現在、尖塔を利用しているのは降って、序列二位のアルファアラート先輩、六位のシリウス、七位の劉、そしてグレイの四人となる。


 塔一つが研究室になるだけあって、その広さは申し分なく、報道委員長の劉はともかく、アルファアラート先輩とシリウス、グレイが塔内から出てくること自体が稀だ。一院生に物件一つを貸し与えてしまうのはさすがは魔術の学舎といったところだろうが、それだけ魔術学院の上層部が若い世代に、とりわけ優秀な人間に期待しているということだ。


 さて、その尖塔だが入り口は城の五階にある連絡橋を使う以外には存在しない。はるか眼下を除けば草花や苔に埋もれた塔の根本が見えるが、そこにはこれっぽちも入り口の跡は見られないなんでこんな面倒な造りになっているか、イリアに聞いたことがあるが、彼女もさぁね、と返してきた。つまりは謎だ。

 

 イメージとしては「ルパン三世、カリオストロの城」でクラリスが幽閉されていた塔でも想像すればいい。ただしあちらと違って連絡橋は元々繋がっていて、機械式でドッキングなんて近未来なからくりなどアリはしない。びゅうびゅうと上に向かう上昇気流が激しく鬱陶しく顔に吹き付けられるという不快極まりない険道を通らなくてはならない。尖塔にこもりがちになる原因はこのひどい連絡橋のせいじゃないかとすら思えてくる。こんな道を改修もしないでそのままにしているなんて、魔術師ってマゾなんじゃないか?


 そういった冗談はまぁさておいて、向かい風の連絡橋を踏破すれば後は古びた木製のドアだけが残る。早く中に入ろうと本来なら引き戸になっているはずのドアを前へ後ろへ押したり引いたりしていると、不意にズドンという雷鳴にも似た大きな音がその奥から轟いた。慌ててドアを蹴破って中に押し入ったことは想像に難くない。


 吹き飛んだドアを遠くに蹴り飛ばして、中を見てみるとちょうど目の前を緋色の落雷がかすめ、それははるか下、空洞の尖塔の天井から床までの数十メートルにかけて、梯子のように伸びた緋色の雷が振り下ろされた。ビリビリと四方に稲妻が散り、壁を伝って火花が散った。


 恐る恐る眼下を望んでみると、シューと鎮火したキャンプファイアレベルに黒焦げになっているグレイの姿が恥ずかしいこと、おぞましいことにまず目に入り、次いでエリスの姿が、縛られ眠っているアリスの姿が目に入った。


 悲しきかな、ナイトの出番はなかったようだ。俺がやったことと言えばグレイに化けていた王李偉(ワンリーウェイ)を逃してしまったことくらいだ。これといった戦果もなく、これといった苦労もない。ただイタズラに左足を痛めたに過ぎない。まったく嘆かわしく、恥ずかしいことこのうえない話、憤死するに余りある。


 呑気に階段を降りてくる俺を見て、一体エリスは何を思ったのだろうか。軽蔑かそれとも無関心か。俺が現れたことに目をキラキラと輝かせなかったことだけは確かだ。


 何があったかは聞くまでもない。かろうじて意識があるグレイを見れば大体のことは予想できる。麗しくも高潔なレディを自室に閉じ込めようとした男の末路など、息子を切り飛ばされるか、睾丸を潰されるか、逆襲に遭って不審死を遂げるかのどれかだ。どうやらグレイは三つ目だったらしい。気になるのはどうやってエリスとアリスがここにいるかだが、王李偉がグレイに協力していたのなら、彼女らを気絶させることくらいは造作もないはずだ。


 ふと意識を遺憾ながらグレイに向けてみると、黒焦げになった彼はなおもを首をもたげてエリスを睨む。黒焦げになってボロ雑巾のように地べたを舐めてもまだエリスを睨むあたり、相当に恨みがあるようだ。エリスは全く憶えていないらしいが。


 「なぁ、グレイ。前々から聞きたかったのだが、貴様は何をそんなに私に苛立っているんだ?改めて考えてみたのだが、貴様に恨まれる記憶がなくてな。教えてくれ」


 素直にすごいな、と思った。


 当人は心底真面目に聞いているつもりなのだろうが、グレイからすればこんなの煽っているようにしか聞こえない。事実、無意識にエリスは彼を煽っているわけだから、グレイの心情は察するに余りある。察したくはないが、察してしまうのはきっと俺が誰よりも共感能力に長けているからに違いない。


 冗談はさておいて、事実グレイは怒りで顔を真っ赤にしていた。耳の先から爪の先まで風を操る魔術師が炎でも吐きそうなくらいに怒り狂っていた。


 「このアバズレがぁあああ!!!」


 その怒りを原動力にしたかはわからないが、それまで潰れていたグレイは跳ね起きると自身の魔術を補助するための礼装、短剣と八面体のオブジェを取り出し、灰色の風をエリスめがけて飛ばしてきた。面目躍如とばかりに風とエリスの間に割って入り、障壁を展開する。


 障壁に風が激突するとどういうわけか、展開したばかり、出来たてほやほやの壁は灰色に染まり、霧散した。ちょっとだけ予想外、しかしいい情報だ。


 「千乱、貴様余計なことを」

 「いいからいいから。少しはいい格好させてくれ」


 本当の本当にいい格好させてくれ。このまま何の活躍もなくエリスに任せっきりなど俺の男としてのプライドが許せない。それにエリスの勝利を疑っているわけではないが、傷ついた魔術師とは何をするかわからないものだ。


 俺の障壁を霧散させたと同時にグレイは追撃を加えてきた。障壁は無意味であることは十二分に理解している。ならば、と凍結魔術で巨大な氷の壁を張ってみたが、それすらもグレイの風は霧散させた。まるで時間を巻き戻しているかのように、氷の壁は消えると同時に霧飛沫となってしまった。


 ただの風でないことは一目瞭然。自分の研究がおじゃんになるかもしれないのに、研究室で使うあたり、人体や物質以外には効果がないのか?礼装込みでグレイが風を完璧に制御できているならそういう可能性もあるだろうが、傷ついた状態の魔術師が使う魔術など、風邪気味のシェフが作ったスープレベルに信用できない。舌の感覚がおかしくなったシェフのスープが奇抜な味で終わるように、グレイの魔術もまたどういう形で暴発するか、わかったものじゃあない。


 早めに決着をつけるか。


 意気込んで無数の氷のつぶてを空中に生成する。研究棟が壊れようともはや知ったことではない。少女誘拐犯をとっ捕まえるためには仕方のないことだ。一斉に掃射されたつぶてに対してグレイは灰色の障壁を展開する。佳日の決闘の時にエリスの雷撃を止めた障壁だ。障壁に激突した氷のつぶては一分の例外もなく雲散霧消する。やはり飛沫を残して。


 障壁が消え、グレイはほくそ笑む。


 「雑な魔術だなぁ!そんなんじゃ僕には傷一つ付けられないぞ!」


 「なるほど、なるほど。そういうことか。じゃぁ次は。こういうので」


 氷漬けにされたロザリアを取り出し、新たに魔術を発動させる。体から力の本流が湧き上がり、外界へと放出される。氷のつぶてが総数二十発、一つ一つが抱き枕レベルに大きいそれらを一斉に放つとグレイは面倒くさそうに再び障壁を展開した。


 氷のつぶてが障壁とぶつかり合う。きっとグレイはさっきと同じように雲散霧消するものだと思っていたのだろうが、そうはいかない。氷のつぶてが衝突すると同時に薄氷を割るがごとく、障壁は粉々に砕け散り、放たれたつぶては次々とグレイに向かって殺到した。グレイは何が起きたのかわからないといった様子でより一層傷ついた体に鞭打って、立ち上がり俺を無言で睨みつける。何をしたのか知りたい様子、しかし答える義理はない。


 「貴様、何をした?あの氷のつぶてに何か細工でもしたのか?」

 「ん?あーうん。グレイのあの魔術はさ。時間をものすっごい速さで回してるんだよ。水だろうが、炎だろう、雷だろうが、時間が経てば消えるでしょ?だったら逆転の発想というか。じゃぁ時間が止まっているものには効果ないんじゃねって思ってさ」


 結果として俺の目論見は成功したわけだ。グレイの魔術は風、風は自然物である以前に流動性も司る。つまり流れだ。グレイの魔術は大方、その流動性を時間の流れと照応させて触れるものすべての時間を大きく進ませる、一種の破滅へのタイムマシン的なものだったに違いない。すごい魔術だが、時間の流れから隔絶したものに対しては無力だ。だから俺の魔術であっさりと彼の魔術は打ち破られた。


 自慢げに話す俺の背後でガラガラと喉に腫れ物でもできたかのような苦悶の雄叫びが上がる。俺が語ったことがきっと真実だったからだ。たかが一介の風紀委員ごときが、とでも言いたげな様子で血まみれの手でグレイは懐に手を伸ばす。


 続く言葉はきっとこれだ。


 「「奥の手を出さなくてはいけないなんてな」」


 グレイが取り出したのは黒い手帳、新聞記者や刑事がメモ書きをする時に使っていそうな装飾のない黒い手帳だ。


 「起これ(Rise)


 直後、グレイの体へ膨大な瘴素が取り込まれ、それは灰色の竜巻となって顕現した。

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