When you fill the bottles
「争うな、話し合え。話し合えば理解し合えないことを理解できる」ー〈係争調停委員会〉テスカ・ルルブ
結局、その日は一度たりとも講義に出なかった。一日中、ずっと風紀委員室でだべっていたわけだ。昼休みが終わると別のサボり魔が入ってきて、一緒にいた鹿島も混ぜて三人でパーティーゲームをしていた。その過程で例のサボり魔、イリアから係争調停委員会にグレイが決闘申請をした、という報告を受けた。
係争調停委員会とは院内で行われるあらゆる揉め事の公的な解決を目的とした委員会だ。学級裁判をやったり、争っている院生の間を取り持ったり、和解を促したりと「院生間の揉め事」であればすべてを解決することを強いられる、ある意味で風紀委員会よりも激務な仕事だ。
「院生間の揉め事」ということは当然ながら決闘の取り扱いも係争委員会預かりとなる。係争調停委員会経由で正式な認可を受けたものを、風紀委員会が仕事を委託される形で執り行う、という具合で職務上、風紀委員会と係争調停委員会は共同で仕事をすることが多い。
決闘に必要なのは係争調停委員会の認可はもちろんのこと、決闘する人間二人の間で正式な合意をする必要がある。昼前にここを訪れたエリスからは決闘をする、なんて話は聞かなかった。彼女の性格からして、もし決闘をすることが決まっていればこそこそ隠すようなことはしないだろう。だからきっと、彼女も預かり知らないことなんじゃなかろうか。
「エリスの性格ならそうかも?あたしも係争調停委員会の友達から聞いたってだけでまだ裏取りしてないし」
「放課後に聞いてみるよ。てか、イリアはこんなところでサボっててにいいの?」
「教師のクソ長いだけの講義聞いてるよか、ゲームしてる方がマシだって。あ、邪魔邪魔邪魔邪魔!ほら、ディーフェンス、ディーフェンス!」
え、と思いテレビ画面に目を向けてみるとカメラに殺到している俺と鹿島、あとNPCをイリアの操作しているキャラクターが激しく妨害していた。俺が会話にうつつのを抜かしている間の間隙、なんて卑怯なんだろうか!必死になって挽回しようとしてももう遅い。結局、俺も鹿島も弾かれてイリアが得意げにない胸を張ってドヤ顔を浮かべる姿を苦々しい感情で見つめるしかなかった。
殴りたい欲求は正直ある。殴って殴って殴って、血肉の塊でしかない彼女をただただ見つめていたいという暴力欲求は正直あるが、さりとてそれはちゃぶ台返しに過ぎない。ゲームでの鬱憤はゲームで解決するべきで、健全な精神とはそういうところで育まれるものだ。言いなりにならないから暴力で解決するなんていうジャイアニズムな解決法は令和のこのご時世には似合わない。いや、違うな。むしろ原点回帰という意味でいいかもしれない。いや、やめよう。
とにかくだ。そうやって時間を潰していると終業を知らせるチャイムが鳴り、ガラガラと後ろの扉が開いてゾロゾロと風紀委員会の面々が入ってきた。各々が自分の席に座り勝手にだべりだしたところでゲーム機を置いて、エリスの教室まで出て行った。逃げるのかー、とイリアが煽ってきたが無視した。
教室の前まで行くと焦れた様子のエリスと彼女の後ろで睨みをきかせているアリスの姿があった。なんで遅れた、と聞かれたので、咄嗟に実はイリアから、とあの子生意気な赤髪の上司を利用させてもらった。いや、悪用させてもらった。
どれだけ本人の性格が破綻していて、破局していたとしてもやっぱり風紀委員長であり、遠海魔術学院現十二騎士序列3位という肩書きには一定の効力があるのか、イリアを理由に出されると反論することができず、エリスは納得した風を装って唸った。ただ、イリアの素の性格、もとい私生活について理解しているアリスにはそれは通じないようで、疑念の眼差しで俺を見てきた。どうにかして話題を逸らそうとイリアから聞いた話、決闘の件を切り出すと、当のエリス本人はなんのことだ、とちんぷんかんぷんな様子だった。
「決闘だと?何の話だ」
「じゃぁ、やっぱりエリスは知らないんだ。グレイが決闘を申請したことを」
「寝耳に水だな。私からすれば」
寝耳に水、それはまさしく彼女にとって晴天の霹靂に違いなかった。家の中にいたら突然竜巻によって吹き飛ばされたドロシーくらいには唐突な出来事だったに違いない。
決闘をしたければ両者の合意は不可欠だ。エリス本人が知らないなら、係争調停委員会が認めるわけがない。規定に反するからだ。
「多分、今日のどっかでって。ちょうどじゃないか」
顎をくいっと前に向かって動かす。校門前に立つ一人の院生に向けられたそれに反応してエリスとアリスも歩を止める。俺達の存在に気づいた院生は襟を正してエリスの前まで歩いてくると腕章を見せて係争調停委員会の人間であることを示した。
「テスカじゃん。どしたん?」
「ミス・サックフェルト。今日のは君ら風紀委員会にではなく、そこのレディに僕は用があるんだよ」
テスカは目でエリスを見る。その紫陽花色の瞳は実力以上の凄みがあり、歴戦の魔術師であるエリスも気圧されたように生唾を吞み込んだ。
「どうも、係争調停委員会のテスカ・ルルブです。本日は確認したいことがあり、馳せ参じました。お時間、よろしいですか?」
「慇懃な奴だな。そして、貴様の問いに答えよう。時間はある、と」
「それは良かった!僕としても『ない、帰れ』とか言われたら困ってたんですよねぇ」
空笑いをするテスカの肩に手を伸ばし、ちょっとだけ人目のつかないところに連れていった。他の二人がどうした、どうした、と興味の目で見てくるが、それを見んな見んなと手で追払い、木陰でテスカと密談を始める。
「で、話ってあれか?グレイのことか?」
「あーら、お耳が早い。そーですとも。グレイ・サーデラの件ですよ。その件の確認をしたくてさ」
「そん時のグレイの様子ってわかるか?」
「そん時って、ああ。申請しにきたときのグレイの態度?」
オフコース。そうでなければ誰がグレイなんぞのことを知りたがるというのか。自分の彼女が知りたがっている、という理由以外にアインシュタインの性事情や性癖を知りたがるバカがどこにいる?大学のレポートを書く以外でミャンマーやらインドネシアやらフィリピンやらの修学率を知ろうとする人間がいるというのか?
人間、自分の興味のあること以外には淡白かつ冷徹なもので、アフリカの餓死者よりも自分の国のチンケな事件の方が大々的に報じられるものだ。ならば、俺がグレイの動向を知ろうとすることになんの矛盾がある?
「それは後で話すよ。ほら、お茶でもしながらね?」
「今、話せ。俺は俺で動く」
えー、とテスカが言い渋ったので肩に回した手で二の腕を強く握ると、彼は優しいことに俺にその時、つまりグレイが係争調停委員会の事務室を訪れた時のことをかいつまんで話してくれた。
「昨日の放課後のことさ。なんか、すごい自信満々だった」
「どこでやるか、とか聞いているか?」
「えーっと、確か使われなくなった廃棄棟だったかな?余計な横槍を入れられないためにってさ」
「廃棄棟、廃棄棟か」
遠海魔術学院は中心に校舎があり、その左右に菜園棟と廃棄棟がある。北側に行けば例の研究棟があるわけだが、肝心なのは廃棄棟と呼ばれている今は使われていない旧事務棟の存在だ。八階建ての赤煉瓦造りで、かつては鮮やかな赤い色合いの厳かな建物だったらしいが、今となってはひどく荒れている。
荒れているというか、荒らされている。
事が起こったのは今から30年前。院生の中の不良グループと院側との間に起きた大規模な抗争のせいで色々な魔術が飛び交い、さながら悪霊の巣のごとくとなってしまった。以来、院の側としても接触が困難になり、院生も一部の不良を除いて立ち入らなくなった。誰だってよくわからない呪いやら魔術やらが渦巻いている建物には入りたくない、閉鎖された病院にバカと解体業者以外に近寄る人間がいないのと同じ理屈だ。
人が立ち寄らない、という話はまさしくその通りで、風紀委員会の人間だって、つまりは院の秩序を預かる人間だって真っ当な理由で入ることはおろか、散歩感覚でも入ろうとはしない。まさに決闘をする場所としては不適格で的確な場所であると言える。
「なるほど、なるほど。面倒ごとを一気に片付けるには十分、都合がいい場所だな」
「そういうことだ。って、痛い痛い!爪食い込んでるって」
おっと。どうやら俺の情熱のせいでテスカは火傷を負ってしまったみたいだ。これは可哀想なことをした。すぐに手を離すとテスカは俺に掴まれた腕をさすってみせた。ごめん、ごめんと日本人らしく、東洋の爪弾き者らしく謝罪した。謝罪が終われば後は二人の元に戻るだけだ。
テスカを伴って校門前に戻るとスマホを片手にだべっているアリスと、参考書を読んでいるエリスが塀に背中を預けて俺達を待っていた。なんともわかりやすい不良学生と優等生だろうか。
俺達が近づいてくると彼女らは持っていたものを仕舞い、その足先を昨日とは逆方向に向かわせた。市街区へと通じるその道を下っていき、市街の一角にある厳かでノスタルジーを感じさせる喫茶店に上がり込んだ。
さて市街区、そう市街区と俺は言った。市街区とは文字通り、市街区であり居住区であり歓楽区である。学業に必要となる教材や各種材料を揃えるためにも、ひとときの贅沢を楽しむためにも、夕食の食材を買うためにも必要不可欠なもの、それが街であるならば、遠海魔術学院のある飛鳥島にとってこれほど有益な場所もない。
一般的な価値観ではあるが、街というものは人間の営みには不可欠な生活システムをあらかた完備している。生活インフラに代表される浄水システムや送電システムはもとより、物流、金融、情報の面でこれほど包括的な場所もない。例え魔術師であっても、食欲、性欲、睡眠欲の三大欲求を持った普通の人間とそうは変わらない。彼らの研究には金もかかるし、研究を続けるためには副業を営まなければならないことは口酸っぱくして言っているから、商業の点でどれほどこの市街区が、イスカ街が重要であるかは伺いしれる。
俺としてもこの街の存在には助かっている。街がなければ日々の食事やトイレットペーパー、ティッシュペーパーの有無、果ては洗顔、洗髪、洗濯、食洗のための洗剤類もままならない。魔術に必要となる触媒にしてもそうだ。俺は研究者気質ではないし、滅多に魔術を使わないから例外にしても、「魔法の薬」や「魔法のインク」のような魔術と特定の材料を用いらないと作れない道具はいっぱいある。魔術師らしく生きるにしろ、只人らしく生きるにしろ、やはり街というものは必要不可欠である。
つまりだ。俺が例えメープルシロップをだばだばとかけて周囲から忌避の目で見られても仕方ないのだ。人の営み、街という歓楽の園の中ではこういった甘味に対する欲求を我慢できるだろうか、いやできない。三段パンケーキにジャムとバターとシロップをたっぷり乗せるカロリーの暴力、これを食の背徳と呼ばずして、何を食の背徳と呼ぶのだろうか。
ばくばくと平皿の上をシロップまみれにして俺が食事に興じる傍らで、テスカはエリスに俺に話したのと同じ内容を話していた。沈黙を守って彼らの話にアリスも耳を傾けている。
話が終わり、テスカは俺に視線を向けてきた。なにか言いたげな目だ。まさか俺がパンケーキをシロップまみれにしてしまっていることを咎めているのか!?だとしたら断固抗議する!基本的人権、選択の自由を行使するぞ!
などと戯言を並べてみたはいいが、どうもそういう空気ではないらしい。有体に言えば議論が白熱している時に「ラーメン食べたい」と言い出す水を指すようなことをしてしまった時に広がる嫌な波紋のようなものだ。
「ねぇ、茨木くん。ちょっと相談があるんだ」
「相談?できることならいくらでも。できないことなら俺はパスで」
「なぁに悪巧みさ、悪巧み」
そういう奴を俺は信頼はしないが、信用はしている。つまり、俺から相手を頼ることはできないが、彼の作戦を用いる余地はあるのだ。
それはある種の絶対原則にして、絶対法則。信用とは互いに利益を生み続けることでしか担保されないのだ。そういうわけでその悪巧みに参加した暁には俺は一体何を得るのだろうか?
「栄誉と風紀委員としての実績」
「はい、終わり。この話は終わり!」
タダ働きなんてやってられるか!せめて東京都の最低時給分くらいは出せ!
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