脇熟成のお文
御年93歳のお文は、町のみんなの人気者。ちょいと脇にものを挟めばあら不思議、なんでもかんでも旨くなる。
「お文さんや、スーパーで外国産の安い牛肉を買ったんじゃが、旨くしてくれんかのう」
「お安い御用だよ、辰夫さん」
1日に2品までしか熟成出来ないが、確実に旨くなるのでお文の脇熟成は大人気なのだ。1日1品1万円ポッキリ、脇に挟めるものならなんでも歓迎、が謳い文句である。
「あいよ、お待たせ辰夫さん」
「おお、ありがとう。すごいな、もういい匂いがする」
安い牛肉もお文の脇にかかればこの通りである。
「お文さん、このブランデーを旨くしてくれ!」
「お安い御用だよ、翔一くん」
翌日、よく熟成されたブランデーを翔一に手渡す。
「ありがとう、これで価値が何倍にもなったよ」
「毎度おおきに」
お文は年中脇を締めて過ごしているが、実は彼女には夢がある。脇に何も挟まず自由に海で泳いでみたいのだ。しかし、彼女の脇は町の宝であり、皆熟成を楽しみにしているため、叶わぬ夢であった。
「へへへ、お文さん、このバナナを挟んで欲しいんだ、へへへ、剥くね」
「お安い御用だよ、俊平さん」
お文は脇にバナナを挟んだ。2時間が経過した頃、なぜかバナナは姿を消していた。
「ありゃ? おかしいな」
右腕を上げて脇を見てみると、そこにあったのはただの黒いドロドロしたなにかだった。それを指ですくうお文。
「ペロ、甘い⋯⋯」
これはおそらくバナナが腐ってしまったのだ。お文はそれに気づくと、頭を抱えてしまった。
「俊平さんになんて言えば⋯⋯! 前金制だからもう1万円はもらってて、パチンコで使い果たしちゃったし、どうすれば⋯⋯」
お文は悩んだ。5時間ほどそのままの体制で悩んでいたそうだ。右腕を上げ、招き猫を左脇に挟んだ状態だ。
「よし、バックレて海行こ!」
招き猫を置き、三輪車に飛び乗るお文。このまま海まで一直線だ。
「ふぅ、着いた。何十年ぶりの海だろうねぇ」
陽は落ちかけていたが、まだ夜ではなかった。オレンジ色に光る海面がお文を呼んでいる。
「ひゃっほーぅ!」
服を脱いで全裸になったお文は三輪車のまま海へ走った。
「きゃっ、冷たぁい」
子どもの頃に戻ったような笑顔で海を楽しむお文。彼女は今、間違いなく世界で1番の幸せ者である。
「ぬっ! ぐはぁ!」
突然苦しみだすお文。必死にもがくが、どんどん体が沈んでいってしまう。
「くっそクラゲこのやろっ」
お文の体には30匹のクラゲがくっついていた。全身を滅多刺しにされているようだ。
誰の助けもなく、海の底へ沈んでゆくお文。その数年後、白骨化した彼女の遺体が見つかった。その脇には、脱皮した蟹の皮が挟まっていたという。
蟹が旨い理由ってこれだったんですね。旨くなったのはこの蟹以降なんですね。
狂い昔話シリーズ用に書いたお話ですが、特に狂わなかったのでただのお話として投稿しました。