『―音と夢を継ぐ者たち―』
◆第一章:指揮棒の先にあるもの(未衣奈編)
春。東京の音楽大学。
未衣奈はその日、いつものように早朝から練習室にいた。専攻は指揮法。母・夏葉が立ってきた背中を、いつしか自分も追いかけるようになっていた。
「……テンポ、崩れてたかな」
鏡の前で指揮をしながら、細かな手首の動きを何度も確認する。
だが、心の中には小さな迷いが渦巻いていた。
周囲は皆、全国コンクールで賞を取った名門校出身の“音楽エリート”たち。
未衣奈は“元名指導者の娘”として、常に期待と比較の視線を浴びていた。
「夏葉先生の娘なら、当然うまいよね?」
「でもちょっと、真似してるだけって感じ?」
そんなささやきが、時折背後から聞こえてくるような気がした。
それでも、彼女には絶対に手放せない“原点”があった。
小学生の頃――母の指揮する広陵高校の演奏会で、客席の最前列で感じたあの音の圧。光に包まれるようなあの瞬間。
「……あたしも、あんなふうに、誰かに音を届けたい」
涙ぐみそうになる心を堪え、未衣奈はバトンを握り直した。
そんなある日、大学の客員教授として現れたのは――かつて全日本吹奏楽大会で“伝説の演奏”と称された指揮者、中村栄司だった。
「君、面白いね。技術は未熟だけど、音に“祈り”がある」
そう言って、中村は未衣奈に特別セミナーへの参加を勧めた。
その中で彼女は初めて、自分の音楽が“母の模倣”ではないことを知った。
彼女の指揮には、いつも“人の顔”があった。
母に憧れ、父に励まされ、弟とともに育った音の記憶が、そこに詰まっていた。
学内演奏会で初めて全体指揮を任された日。
彼女は目を閉じて、ゆっくりと腕を振り上げた。
「――次の一音が、誰かの心を揺らしますように」
そして彼女は、静かに、確かに、“自分の音”を指揮した。
◆第二章:二つの道の先で(陽翔編)
未衣奈の大学生活が後半に差し掛かる頃、陽翔は広陵高校のエースとして、甲子園春のセンバツで注目を集めていた。
最速150キロを超える速球、安定した制球力。
彼には確かに“父譲りの才能”があった。
だが、真尋の一番の特技は、試合の合間に披露する“サックス演奏”だった。
グラウンド脇で吹く「栄冠は君に輝く」。
それを聴きながら、野球部も吹奏楽部も、静かに涙を流していた。
「お前、どっちに進むんだ?」
そんな質問を、毎日のように受けていた。
野球推薦での進学。あるいは音大進学。
どちらの道にも、応援してくれる大人がいた。
どちらにも、“もう一つを捨てる”という覚悟が求められた。
だが――陽翔は決めた。
「俺、アメリカに行く。野球で挑戦して……でも、音楽を捨てる気はない」
彼が選んだのは、米国のスポーツと音楽が融合したカリフォルニアの大学だった。
午前は野球、午後は音楽。授業の合間にスタジオでジャズを吹き、週末にはリトルリーグの子どもたちに野球と音楽の両方を教えた。
「“夢は一つ”って、誰が決めたんだろうな。音楽と野球、どっちも命だよ」
そう語る彼の姿は、父の勇敢さと母の優しさを合わせ持っていた。
数年後、陽翔はマイナーリーグのプロ選手として登板しながら、現地の吹奏楽団でソリストとして活動。
そのユニークなキャリアは、新聞の一面を飾ることもあった。
◆第三章:再会の演奏会
東京。ある春の夜。
未衣奈が初めて、母校・広陵高校で客演指揮者として戻ってくる日。
音楽室には、懐かしい空気が流れていた。
ステージ袖には、弟・陽翔の姿もあった。
「姉ちゃん、相変わらず指揮、でかいな」
「うるさい。……でも、ありがとう。来てくれて」
未衣奈は深呼吸し、ステージに上がった。
曲目は、かつて母が選び、自分が指揮に憧れたきっかけとなった一曲――「Your Song」。
指揮棒が空を切り、音が走る。
客席に、かつてこの部を導いた教師――夏葉と駿輔の姿があった。
母は、手をぎゅっと握っていた。
――それは、音楽と家族が繋いできた、“夢の継承”。
未衣奈の指揮が終わった瞬間、会場に広がったのは、嵐のような拍手だった。
陽翔が舞台袖で言った。
「姉ちゃん、次は俺が主催で“音楽と野球のフェス”、やろうぜ」
未衣奈は驚き、そして笑った。
「やってみようか。……未来を繋ぐ“音”と“夢”の祭典」
兄妹は顔を見合わせ、拳を合わせた。
その夜、彼らは“音と夢”の未来を歩み出した。
それは、夏葉と駿輔から受け継いだ――決して絶えることのない「愛」の旋律だった。
【完】




