表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
35/39

「―約束の音が響く日―」


◆202X年・春・広陵高校音楽室


窓から春の陽が差し込み、白いカーテンが風に揺れている。


あの頃と同じ音楽室。しかし、そこに立つ生徒たちの顔ぶれは、もう夏葉が顧問として迎えた最初の世代とは違っていた。


変わらないのは、音楽と向き合う姿勢。

――そして、その音を支える教師の姿。


「……そこ、フレーズの繋ぎ意識して。息が切れそうになったら無理せず、でも“繋げる”意志は音に残して」


教壇に立つ夏葉は、もはや誰もが認める“名物顧問”となっていた。

結婚・出産・復職。幾度もの挑戦を経て、彼女はこの場所に戻り、再び生徒たちと音を紡いでいた。


その日は、卒業式の数日前だった。


部員たちが帰った後、一人の男子生徒が音楽室に残っていた。


「……先生、ちょっとだけ、いいですか?」


振り返った夏葉の目に映ったのは――


中学3年になった未衣奈の姿にどこか似た、凛とした目の少年だった。


「ええ、どうしたの?」


彼はゆっくりと、ケースからサックスを取り出しながら言った。


「今日、親父に言われたんです。“好きなものを選べ”って。野球か、音楽か。でも――決めきれなくて」


少年の名は、真尋まひろ

ある夫婦の息子… (どっちかが夏葉の教え子で… )。今は広陵高校1年の吹奏楽部員。そして、中学までピッチャーとしても活躍していた。


「どっちを選んでも、もう片方を裏切る気がして……」


「……そうね、悩むわよね。両方、大切にしてきたんだもんね」


夏葉は椅子に腰かけながら、真尋と同じ目線で語りかけた。


「でもね、裏切りじゃないよ。選ぶってことは、もう一方の“影響”を胸に抱えて生きていくことだから。野球を選んでも、音楽はあなたの一部だし。音楽を選んでも、野球の経験が支えてくれる」


真尋は俯きながら、ぽつりと呟いた。


「……母さん、すごいな。昔から、ずっと変わんない。俺、小さい頃……母さんがステージで指揮してる姿、覚えてるよ」


夏葉は驚いたように、でも嬉しそうに目を見開いた。


「えっ、本当に? もう忘れてると思ってた」


「ううん。なんか、あの時の音、胸に響いて……今でも時々、夢に出てくる」


そう言って真尋は立ち上がり、サックスを構える。


「……最後に、一曲だけ、吹いてもいい?」


「もちろん」


音楽室に、サックスの温かな音色が広がる。

ゆっくりと、しかし確かに心に沁みる旋律。


それは夏葉がかつて、全国大会の自由曲として選んだ**「Your Song」**。

駿輔と出会った日、初めて心が重なった瞬間の記憶を呼び起こす曲だった。


夏葉の目に、少しだけ涙がにじむ。

“あの日の音”が、今――息子の手によって再び響いた。


◆その夜・自宅


リビングでは、駿輔が料理をし、未衣奈が大学の課題に取り組んでいる。

彼女は今、東京の音大で指揮を専攻する大学2年生。母の背中を追いながら、次の時代の音楽教育を目指していた。


「ただいまー」


真尋が帰ってくると、未衣奈が手を止めた。


「おかえり。……どうだった?」


「……決めたよ」


「どっち?」


「両方やる。……音楽も、野球も。ギリギリまで、やれるとこまでやる。中途半端でもいい。俺、どっちも好きなんだ」


駿輔がふっと笑って、鍋の火を止めた。


「それでいいさ。限界ってのは、自分で見つけるもんだからな。親が決めるもんじゃない」


夏葉が横から真尋の頭をくしゃりと撫でた。


「その“好き”を信じてるよ。ずっと」


家族の食卓に、ささやかな笑い声が広がる。


その日、テレビではプロ野球OB特集が放送されていた。画面の中に、若き日の駿輔の投球フォームが映る。


「パパ、やっぱかっこいいじゃん」


「そりゃな。現役の頃はね、ちょっとモテたよ?」


「“ちょっと”ね?」


夏葉がすかさず突っ込み、子どもたちが笑い転げた。


◆数日後・卒業式


広陵高校の卒業式。体育館には、今年も在校生の演奏が響いていた。

指揮台に立つのは、卒業する3年生部長。夏葉は、体育館の端でそれを見守っていた。


隣にいた校長が、そっと言った。


「……先生の指導の積み重ねが、ちゃんと形になってますね」


「いえ、私はただ、音と向き合う時間を一緒に過ごしてきただけです」


校長が微笑む。


「それが“教育”というものですよ。未来を繋ぐ、静かで確かな手渡しです」


式が終わり、涙を拭う生徒たち。

その中で、真尋が友人たちと笑いながら、出口へと向かっていた。


未来はまだ、何も決まっていない。

でも、彼の胸には確かに音がある。夢がある。そして、愛された記憶がある。


――音の先に、未来がある。


【完】


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ