未来編❶「あなたに、音を返す日」
◆数年後・春――
風がそっと桜の花びらを舞わせている。
広陵高校の正門。そこに立つ一人の青年が、どこか懐かしそうに校舎を見つめていた。
「……変わんねえな、ここは」
彼の名は志音。
元・広陵高校吹奏楽部。トロンボーンパートリーダーであり、夏葉の“最初の教え子たち”の一人だった。
志音は今、音大を卒業し、春から地元の中学校で音楽教師として勤めることになった。
「……挨拶、しとかなきゃな」
ゆっくりと門をくぐる。その足取りは、緊張というより、確信と感謝に満ちていた。
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◆音楽室
午後の陽光が差し込む音楽室では、今日も変わらず音が響いていた。
変わったのは――指揮台に立つ者だけだった。
「じゃあ……もう一度、最初から。“風のエチュード”!」
ピシッと空気が張り詰める。若き部長がバトンを振ると、管と弦と打が一斉に重なり、音の波が生まれる。
その後ろで、笑みを浮かべながら見守る女性――夏葉。
数年前に再び産休を経て現場を一時離れていたが、昨春から副顧問として復帰していた。
すると、音楽室の扉がノックされる。
「失礼します……!」
「……!」
振り返った夏葉の目が見開かれる。
「……志音!? え、うそ……!」
「お久しぶりです、夏葉先生。今日から、近くの第三中で音楽教えることになったんです。挨拶に来ました」
「ちょ、ちょっと……もう、立派になって……!」
思わず込み上げる涙をこらえながら、夏葉は志音を抱きしめる。
「ありがとう……来てくれて、ありがとう」
その様子を、現役の生徒たちが不思議そうに見ている。
「先生の教え子、なんですか?」
「……そう。最初に一緒に、全国目指した代の……」
「伝説の“初代ゴールド代”……!」
ざわつく生徒たち。志音はちょっと照れくさそうに頭をかいた。
「今でも、あの時の音は覚えてますよ。あと、夏葉先生がくれたあの言葉も」
「え?」
「“音楽は、返ってくるよ。あなたが出した音は、いつか誰かに届いて、また戻ってくる”……って」
夏葉は、目を伏せながら小さくうなずいた。
「そう……言ったね、そんなこと」
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◆グラウンド・夕暮れ
その日の夕方。志音は校庭をゆっくり歩いていた。
ふと、背後から駆けてくる足音が聞こえる。
「志音くん! あっ、いたいた!」
声の主は――香奈。
GRT48を卒業し、今はタレント・司会・ドラマと多方面で活躍する香奈も、この春から広陵高校の“特別音楽アドバイザー”として月に一度だけ講義を受け持っていた。
「え、香奈さん!? ……まさかここで再会するとは」
「そうだよ、私も今日だったんだよ、来る日! 偶然だね~」
「……でも、嬉しい偶然です」
香奈はくすっと笑い、志音の横に並んで歩き出した。
「……あの頃、みんな“未来が怖い”って言ってたけど、ちゃんと進んでるね、志音くん」
「……夏葉先生が、“音は止まらない”って言ってくれたから」
香奈の目が少し潤む。
「……それ、私もよく覚えてる」
空を見上げれば、春の淡い夕焼けが一面に広がっていた。
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◆夜・自宅
夏葉の家では、夕食が終わった頃。
リビングには、未衣奈(高校生になった長女)と、吹奏楽部に入ったばかりの息子・陽翔の姿がある。
未衣奈「ママ、今日ね、学校で“未衣奈ってあの広陵エースの娘?”って言われた」
夏葉「え、それまた……お父さんの知名度、まだあるの?」
陽翔「俺の友達なんて“吹部の未衣奈先輩と、野球の陽翔って最強兄妹じゃん”って」
夏葉「ちょっとちょっと、ハードル上げすぎないでよ(笑)」
そこへ、野球中継から戻った駿輔がリビングに顔を出す。
「おーい、ただいま。……今夜は家でゆっくりだ」
未衣奈「パパ、今日もヒット打ってたね!」
駿輔「ふふん、当然!」
夏葉はキッチンからその様子を見ながら、静かに思う。
――音楽も、野球も、家族も。
すべては流れて、交差して、また巡ってくる。
あの日、あの教室で言った言葉は、
今こうして、教え子や家族を通して――自分に返ってきた。
「……ありがとう」
夏葉は、誰にともなくつぶやいた。
その声は、まるでひとつの“音”のように、優しく空間に溶けていった。
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◆ラストカット:音楽室・夜
ひと気のなくなった音楽室。
窓の外では、夜桜が風に揺れている。
ピアノの上に置かれた譜面――タイトルは、
『風のエチュード 第II楽章』
その端に、筆跡の異なる文字でこう書き加えられていた。
「あなたに、音を返す日」――Sion
風が静かに吹き抜ける。
そして、また新たな音が、未来へ向けて奏でられようとしていた――。
―完―




