第8話:「響け、未来へ――心を超える私たちの音」
放課後の音楽室は、昨日までの喧騒が嘘のように静かだった。
カーテン越しに射す夕日が、淡く差し込んでいる。定期演奏会を終えたばかりの吹奏楽部の生徒たちは、楽器の片付けをしながらもどこか夢見心地のような表情を浮かべていた。
「昨日の演奏会……終わっちゃったんだなぁ」
「まだ夢みたい。あんなに大きな拍手、忘れられないよ」
笑いながら話す生徒たちを見て、夏葉は微笑む。緊張感から解き放たれた彼らは、どこか一回り大きくなったように見える。
「本当によく頑張ったわね。音楽室が、ちょっと広く感じるのは……みんなが成長したからかも」
しかし、そんな空気の中で、ひとりだけ沈んだ表情を浮かべている男子生徒がいた。
「……僕、演奏中、一度だけ音を外しました。悔しくて……昨日の夜、眠れなかった」
その言葉に、空気が静まる。
夏葉はそっと彼に近づき、柔らかく語りかける。
「ねぇ、その音……誰かに伝えたかったの?」
彼は小さくうなずいた。
「……亡くなった祖父に、です。吹奏楽を始めるきっかけになった人で。昨日は命日だったんです。演奏、届けたくて……」
夏葉の声が優しく重なる。
「なら、それで十分よ。その想いが音に乗っていた。私は、ちゃんと受け取ったわ」
周囲の生徒たちも頷く。その場を包むのは、音楽が持つ“目に見えない力”だった。
――その時、廊下から明るい足音と声が響いた。
「やっほー! おつかれさま、みんなーっ!」
音楽室のドアが開き、私服姿の香奈が手を振りながら現れる。GRT48の人気メンバーにして、夏葉の義妹。生徒たちの間にざわめきが広がった。
「えっ!? 香奈ちゃん!? また来てくれたの!?」
「今日ライブじゃなかったの?」
香奈は悪戯っぽく笑う。
「今日はお休み!でも昨日の演奏会、来れなかったのが悔しくて。せめて一緒に音出したいなって思って……ダメかな?」
生徒たちは歓声と拍手で彼女を迎える。
夏葉も笑って応じる。「もちろん。じゃあ今日は“打ち上げセッション”ね」
即席のセッションが始まった。
香奈はトランペットを手に取り、部員たちはそれぞれの楽器を構える。夏葉が静かに指揮棒を上げた瞬間、音楽室は生き物のように息づき始めた。
軽快なジャズアレンジの中で、香奈のトランペットがリードを取り、打楽器隊がリズムを刻む。演奏は生き生きとし、途中で各パートが代わる代わる見せ場を作った。
観客はいない。でもそこには、確かな「音楽」があった。
曲が終わると、香奈は少し息を整えて微笑む。
「みんな、ほんとすごくなったね。私も負けてられないな~って思ったよ」
「香奈ちゃんのトランペット、鳥肌立ちました……!」と、ひとりの生徒が呟いた。
夏葉は生徒たちを見渡しながら言う。
「音楽って、こうやって人と人をつなげてくれるのよね」
香奈はふと、少し静かな声で口を開いた。
「……音って、心を超えるんですね。言葉が届かないときでも、音は真っすぐ届く。改めて、そう思った」
――その夜、夏葉は帰宅し、リビングの灯りにほっと息をつく。テーブルには、香味焼きチキンと味噌汁。キッチンには、料理を終えた駿輔の姿があった。
「おかえり。夕飯、できてるよ」
「……ありがとう。美味しそう」
ふたりで食卓を囲みながら、自然に一日のことを話す。
「今日ね、香奈ちゃんがまた来てくれて。生徒たち、すごく喜んでた」
「見たよ。SNSでも話題になってたな。お前の“音”、ちゃんと届いてるよ。あの子たちにも、香奈にも、俺にも」
夏葉は一瞬、表情を曇らせた。
「……でもね、時々怖くなるの。私の“限界”が来たらどうしようって。教師としても、音楽家としても」
駿輔は黙って彼女の手を取り、静かに言った。
「限界ってのは、誰かに決められるもんじゃない。“もうやめたい”って思ったときが、たぶん本当の限界。でもお前は、まだ“もっとやりたい”って思ってるんだろ?」
夏葉は目を閉じ、彼の肩にそっと寄りかかった。
「うん……私は、まだ、音を出していたい。誰かのために。自分のために」
――
夜が更けるリビングの窓からは、満月が顔を覗かせていた。
夏葉の心の中には、確かに「音」が鳴っていた。昨日よりも今日、今日よりも明日へと続く音。それは、言葉では言い尽くせない想いを、優しく、そして力強く奏でてくれていた。
エンディング・ナレーション(夏葉のモノローグ)
「音は、時に心の奥を震わせる。
言葉じゃ足りない瞬間に、そっと寄り添ってくれる。
音楽と向き合う日々の中で、私は確かに、生徒と、家族と、そして自分自身とつながっている。
明日、また音を出そう。どんな気持ちも、音にして届けていこう。
“音が、心を超える日”は、いつだって今日なのだから」




