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「待って・・・」
ところが、アリーシャはそう呟くように言うと、立ち去ろうとするランスエルの背を追いかけた。
そして背後から抱き締め、彼を引き止める。
「行かないで。お願い・・・」
消え入るようなか細い声で発された、女王からの懇願。
ランスエルは彼女の腕が自分の腰に回された瞬間に足を止め、ビクリと体を震わせた。
その状態で、二人はしばらくその場に立ち尽くしていた。
ランスエルは女王の真意を推し量るように、両手を握りしめたまましばらく沈黙していた。
アリーシャは、分かって欲しいとばかりに、自分の額を彼の広い背中に押し当てる。
その感触に、彼女の柔らかな体の温かさに、ランスエルはふと笑みを浮かべた。
そして、己の体に回されたアリーシャの腕を優しくほどき、身を翻して彼女と向き直る。
不安の色を瞳に湛えたアリーシャが彼を見上げていた。
ランスエルはつと手を上げると彼女のその白磁のような頬にそっと触れる。
「心配しなくていい。詳しいことは明日話すが、君にとってけして悪いようにはしない。ファルディアを失わせはしないし、きっと君の手にこの国を残してみせる」
ランスエルの口調は、幼馴染みであり従兄であり、今となってはアリーシャにとって最も近しいもののそれに戻っていた。
いつでも自分の側にいてくれ、何物からも守ってくれた唯一無二の頼もしい存在。
その彼がこうもキッパリと断言するのなら、きっとそれが真実なのだろう。
アリーシャも頷くと微笑んでみせた。
だが、心の中の怯えや恐れが全て消えてしまったわけではない。
「・・・ランス・・・。今宵は共に・・・」
自分の心を読まれたくないかのように、視線を落とし俯いたアリーシャの口からそんな言葉が漏れ聞こえて来る。
彼女の背後に見えるのは、天盖付きの豪奢なベッド。
その言葉の意図するものが何か分からぬほど、ランスエルも鈍感な男ではない。
それでもしばし迷い――ランスエルはそっとアリーシャを抱き寄せた。
腕の中の彼女の体が微かに震えているのが分かる。
幼い頃から手に入れたいと願っていた愛しい存在。
女王となった今では触れることさえ叶わぬ高貴な至宝。
それが己の腕の中にいることに、ランスエルは無上の喜びを感じていた。
アリーシャの顎に軽く指を当てると、つと上を向かせる。
素直にランスエルを見上げた彼女の瞳が濡れているのが夜目にも分かった。
言葉はなく、微笑むとランスエルはアリーシャに顔を近づけた。
心得たように目を瞑る彼女の甘い吐息がすぐ近くに感じられる。
そして、引かれ会うように二人の唇が重なった。
ランスエルは瑞々しい桜桃のような女王の唇をなぞるように味わう。
しばらくして一度離れると、二人は互いの目を見交わし会った。言葉はいらなかった。
アリーシャは体を離し、振り返ると足を踏み出す。
その彼女に手を引かれ、ランスエルも後に続いた。
二人の姿が寝台の天盖の覆いの中へと消える。
後には、白い月明かりだけが静かに室内を照らしていた――
了
短編ですがご愛読ありがとうございましたm(_ _)m
今後もし可能でしたら設定を膨らませて長編を書けたらなぁと思います。