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旅立ちの朝

「アイリス。私と婚約解消してくれないか」


 撫で付けた艶やかな黒髪が俯いた拍子にはらりと一筋、理知的な額に落ちる。エドガーはサファイアのように美しい蒼の瞳に涙を溜め、震える声で私に告げた。


 私はことりと首を傾げ、そんなエドガーの顔を覗き込みながら疑問をぶつける。


「エドガー、どうして出立の朝に婚約を解消しなければならないの? よろしければ理由を教えていただけるかしら」


 極力、怒気を含まぬように聞いたつもりだったけれど、彼の瞳からは大粒の涙が溢れ落ちる。


「だって……婚約したまま私が死んだら、アイリスはどうなる……? 私に操を立てて、修道院に行かなくてはならないじゃないか……」


「まあエドガー……」


 私は心の中で笑いを堪えつつ、優しくエドガーの右手を取り両手で包み込む。


「なっ……アイリス、手を……!」


 今度は真っ赤に頬を染めて手を引っ込めようと身をよじるエドガー。まったくもう、十七歳にもなってどれだけ初心(うぶ)なのかしら。


「エドガー、それは小説の読み過ぎよ。確かに『白亜の誓い』のヒロインは婚約者に先立たれて修道院に行ったけど、新たなヒーローに助け出されてハッピーエンドだったじゃない。だから大丈夫よ」


「そ、そうか……なら解消しなくてもいいのかな……でも、私が死んだらアイリスは誰かのものになってしまうのか……それは、イヤだな……やっぱり、行きたくない……」


 せっかく泣き止んだのに、また瞳に涙が浮かび上がってきた。彼はポケットに入れていたハンカチを取り出しそっと涙を押さえる。このハンカチは、彼の無事を願って私が一針一針縫い上げて贈ったものだ。


「そうね。確かに魔物討伐は危険な任務よ。怖がるのもわかるわ。でもみんなで協力して戦うのだからきっと大丈夫。周りの騎士と自分の腕を信じるの」


「うん……アイリス……私が武勲を立てられなくても嫌いにならないでくれる……?」


 背が高いから俯いて、上目遣いで甘えてくるエドガー。泣き顔もとっても可愛らしい。私は聖母のような微笑みを返し、優しく言いきかせた。


「もちろんよ、エドガー。私はあなたが大好きなの。功を焦って無理したりしないで、無事に帰って来てね。大丈夫よ、あなたはキズ一つ負わずに帰ってくるわ。……私、毎朝毎晩お祈りする。あなたに大聖女アデリン様のご加護があるようにね」


 握った手にギュッと()をこめると、彼は目を閉じて深く息を吸い込んだ。


「ああ、アイリスに励ましてもらうと本当に心が落ち着くよ……力が漲って、なんだか、魔物なんて怖くない気がしてきた」


 やっと目に光が戻ってきたようね。あと一押し。


「それでこそ武官を輩出するラルクール侯爵家の嫡男、エドガー・ラルクールよ。さあ、初の任務、行ってらっしゃいませ」


 淡い金の髪に菫色の瞳、薔薇の花びらのように可憐な唇を持つ私、アイリスは今、窓から差し込む朝日を受けてキラキラと輝いている筈だ。

 だってほら、エドガーは感嘆の表情で見つめているではないか。


「ありがとうアイリス。必ずやり遂げて帰ってくるから待っていて」


 そっと私の手を取り触れるか触れないかのキスを落とすと、エドガーは名残惜しそうに馬車に乗り騎士団本部へと向かった。朝早くにわざわざ回り道をして、私に挨拶をするために来てくれたのだ。

 それなのになぜ第一声が婚約破棄だったのか、と思うけど。まあ私を想ってのことだから許してあげる。



 三十年前に大聖女アデリンが亡くなってしまったロラン王国は、近年魔物に脅かされており、定期的に討伐を行う必要があった。貴族の子弟は十七歳になると騎士団に入り討伐隊に加わらなければならない。半年の訓練期間を経て、エドガーは今日が初陣なのだ。


「剣の腕も体術も誰より優れているのに、気弱で怖がりなのが残念」と言われているエドガー。でもそんなエドガーを私は心から愛している。だからこそ――大聖女アデリンの加護を与えたのだ。これで、彼が魔物にやられることはない。


(後は、自信を持って戦うだけ。頑張ってね、エドガー)


 私が十七歳になったら彼と結婚する約束だ。その日が待ち遠しくてたまらない。


(早く身も心もあなたのものに……)


 前世で叶えられなかった願い。


 大聖女アデリン、いや伯爵令嬢アイリス・ホールデンは必ず叶えると心に誓った。


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