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【星の魔術大綱】 -本格ケモ耳ミステリー冒険小説-  作者: 宝鈴
第1章【Rat-a-tat】ラタ・タッタ(サウザス町長吊り下げ事件 ①不穏な日常編)
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6 酒場の朝

「よいしょっと!」

 紅葉の昼の仕事は、下宿の共有部分を掃除することだ。

 この下宿は2階に個室。1階にシャワー室やトイレ、キッチン等の共有施設と玄関がある。建物北の、横に細長いスペースで、隣にオーナーの自宅があるので、かなり手狭だ。下宿と自宅の間にはドアがなく、直接行き来はできないものの、双方のキッチン壁にある木製小窓で、たまに食べ物をやり取りしている。

 下宿の階段は、地下まで続いており、地下室に住む従業員達も、下宿の共有施設を使用している。大所帯でありながら、下宿に住む面々は揃いもそろって宵っぱりなため、紅葉は朝、悠々と一人で掃除し、朝食を取ることができるのだった。


 手早くシャワー室とトイレの掃除を済ませ、朝食を作りがてら、キッチンの掃除も小まめに進める。オレンジマスタードを塗ったトーストを頬ばっていると、二日酔いの顔をしたマドカが、だらしない格好で帰宅してきて、トマトジュースだけ飲んで部屋へと戻っていった。

 廊下の窓から、女将さんが畑のハーブを手入れしているのが見える。この酒場の料理は、すべて女将さんの主導で作られており、採れたての自家製野菜もよく出てくる。マスターの出す美味い酒、女将さんの出す美味しい料理が、ラタ・タッタが繁盛している要因だ。

 紅葉はトーストを食べ終え、皿を洗いつつシンクを拭いた。玄関の埃を竹ぼうきでザザッと掃いて、ドアノブを拭き、1階の掃除が終わった。ファンロンの菊水(きくすい)茶でも淹れようと湯を沸かしていると、神経質な足音が上から響くのを感じた。



 ──ショーンだ。

「おはよう! ショー…」

「…………ぁ」

 すると、何ということだろう。

 階段を下りてきたショーンは、紅葉の姿を見るなり急に踵を返してしまった。

 分厚い外履き用のスリッパの音をドタドタ鳴らし、

 階段を駆け上がり、姿を消し……

 重い赤樫のドアとおぼしき音が、

 ズン……と、暗いひとりぼっちの階下に響いた。


「えっ」

 あまりのことに、紅葉は呆然と固まった。

(わ、私そんな悪いこと言った?)

(き、昨日言ったこと、ひどかった?)

 いきなり顔を背けるなんて。

 紅葉はダラダラ背中に冷や汗が流れて、爪先がキューっと冷たくなるのを感じた。喧嘩したことは数あれど、あんな風に避けられたのは初めてだった。

(いやいやいや嫌、嘘やだ。どうしよう)

(あ、謝りに行く?)

(拒否されたらどうしよう、嫌だ)

(ショーン、イヤ……)

 彼女が愕然としながら、睫毛を固まらせていると、ショーンが、ガウンをつっかけバタバタと戻ってきた。



「ほら、これ!」

 彼はバシッ! とキッチンテーブルに、何か小さい物を叩きつけた。

 それは2枚の小さなシール。

 親指の爪ぐらい大きさの、昔おもちゃのオマケで付いてたような、色褪せて汚れた白いシールだ。

「お前の顔見て思い出したよ、砂時計に貼っとけ!」

 紅葉は呆然と、黒い瞳で、シールを眺めた。

「あーもう、本棚の奥まで探しちゃったじゃないかっ、埃だらけだ!」

 ショーンは怒りの尻尾をフリフリ振りまわし、ガウンの埃を払ってる。

「はぁ? ちょっと何笑ってるんだよっ、何がおかしい!」

 小さなシールを爪で摘んで、肩を震わせケタケタ笑う紅葉に対し、ショーンは不審げに顔を引きつらせた。唇を尖らせながらキッチンを見回し、「ほら、ヤカンも沸いてるじゃないか」と小言をいいながら火を止めた。

 ようやく笑い終えた紅葉は、軽やかな手つきで、戸棚から菊水茶の缶を手に取り、ティーポットに大さじ2粒の茶花を入れた。


「シール忘れるなよ、シール、シール」

「ハイハイ。」

 彼女は砂時計の上下にシールを貼り、それぞれ上から「start!」「fin.」とペンで綴った。ショーンは冷蔵庫から、自分の白パンと大盛りレタスを取りだした。

 彼がレタスに胡麻とケシの実のドレッシングを振りかける間に、紅葉はティーポッドにお湯を注ぎ、小さな3分砂時計の「start!」と書かれた面をひっくり返す。

 時の砂つぶがサラサラと落ちてく間、ショーンはバタバタと、棚から愛用の湯呑みを、ふたつ引っぱり出した。紅葉はふふっと笑って、私物のオレンジマスタードを、コトンと彼の朝食の前へと置いた。


挿絵(By みてみん)


「今日はアルバの仕事を休みにしようと思う」

 ショーンは、白パンにオレンジマスタードを掬って、塗った。

 バターナイフを置きながら、静かに紅葉へ宣言する。

「おやすみ?」

「うん」

「そっか。じゃあ、みんなにそう伝えとくね」

「頼む」

 砂時計が、最後の砂つぶをぽとりと落とした。

 表がしっかり「fin.」と書かれているのを確認する。

 紅葉は、桃色の釉薬が掛かった藍色の湯呑みに、出きたての菊水茶をサラサラ注いだ。


「今日は、外へ出かけにいく」

「いいね、どこ行くの?」

「あちこち。行きたい所があるんだ」

「行ってらっしゃい」

 ふたりでお茶の香りを吸い込んだ。清く澄んだ青い香りがキッチンに広がる。遠くで子供が太鼓であそぶ音が聞こえた。窓からゆったりと風がそよぐ。いつもの鉄を叩く音は、今日はお休み。代わりにミソサザイが鳴いている。

 サウザスで一番大きな酒場『ラタ・タッタ』は、いつも、こんな感じに時が過ぎていく──

 


 ──いや、3月7日の火曜日。

 この日まではそうだった。

 この日を境にショーンと紅葉、そしてサウザスで平和に住む何人かの運命が、大きく変わっていく事になる。

 厄災は、いつも突然、音を立ててやってくる。

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