4 女スパイ紅葉
「あれ?」
鍛冶屋トールのドアノブに「closed.」と書かれた看板がゆらゆら揺れていた。
「な、何で? どうして!?」
「うるせー、ブス!」
「あら紅葉さんじゃない。こんにちは」
店の前で遊んでいたフレヤとボルツが、礼儀正しく紅葉に挨拶してきた。
「こんにちは、2人とも……お店、どうして閉まってるの? 今日は水曜だよね?」
「シー! 大事なお客様が来たからお休みなんですって。今は入っちゃダメなのよ」
「お客さま……?」
「ええ。お客様が帰ったら、また鍵を開けるらしいわ。それまで待っててちょうだいね」
フレヤが水色のプリーツスカートをふりふり振りつつ、紅葉にクローズ事情を伝えた。——待つなんて冗談ではない。
「う、うん……フレヤちゃん、そのお洋服かわいいね」
「ホント? そうなの! ウフフ、かわいいの!」
少女フレヤは、瞳をキラキラさせて喜んだ。
「先月買ってもらったの! どう? いいでしょ!」
「うんうん、すっごいかわいい!」
「ちょっと揺すっただけでね、ホラッ、フワッと広がるの!」
「ステキだねー、お姫様みたい!」
何せこの間からスカートをアピールしては、スルーされ続けてきたのだ。絶賛して褒める紅葉に、フレヤの嬉しさはひとしおだった。
「ねぇフレヤちゃん、私ね……お店の中に入りたいの。お願いできるかな?」
紅葉は一かバチかで、ドアの鍵を持っているはずのフレヤに頼んだ。
「フーム………そうね、いいわよ! ママにはナイショね!」
あっさりと少女は陥落した。
スカートのポッケから鍵を取り出し、店の鍵穴をかちゃりと回す。
「アーッ! いけないんだ、いけないんだー!」
と騒ぐボルツの首を締め上げながら、少女フレヤは快く笑顔で、紅葉を送り出した。
「………おじゃましまーす……」
声にならない挨拶をして中へ入った。
ギシッと堅い床が鳴る。しんとした暗い店内の中、1階左奥の応接室が少し空いていた。重苦しい気配がドアの奥から漂っている。どうやら、新聞記者アーサーはもちろん、リュカも夫妻も、全員そこにいるようだ。
紅葉はそっと息を殺して、ドアの傍で聞き耳を立てた。
「──なるほど。普段と違って『甲冑』が廊下の脇にあったと」
アーサーの声がする。
(甲冑?)
紅葉は話の内容に困惑した。ショーン関係の話じゃないのか。
「……あの甲冑は、そんな簡単に動くものではない……当時も床板とボルトをしっかり固定した……そうそう楽には取り外せない……」
親方のオスカーと対話をしている。どうやら予想していた話と違ったようだ。
「ですが移動していたという事は、床からは外せるんですよね。斧は取り外し可能ですか?」
「…………まあ、ボルトを外せば……」
「その斧を使って、町長の尻尾は切れますか?」
「そんなこと……!」
バン! と机を叩く音がした。
「……そんなことをジャンがするなど!……ピエトロも! あの店を出すのに、彼らがどれだけ苦労したか……!」
常に寡黙で優和なオスカーの、珍しい激昂だった。
紅葉の肌にも緊張感が冷たく走る。
「——彼らコスタンティーノ兄弟は、全部で6人、兄弟がいます」
しかしアーサーは冷静に受け流した。
「まず、次男のピエトロと三男のジャンが『ボティッチェリ』のオーナーで、それぞれシェフとウエイター。さらに長男マルコと四男ファビオと五男ステファノが、市場を握る3兄弟だ。つまり、あの夜に町長と会合していた人物」
「……だからどうした!」
アーサーは声色ひとつ変わらない。帽子を目深にかぶり両手を組んで、説明する様子が目に浮かぶ。
「そして6人目。それが町長の元第3秘書のエミリオ・コスタンティーノ──彼は3年前、階段の上から “偶然” 転倒し、腰骨が粉砕しました。未だに歩くことができません」
しん、と、室内が静まりかえった。
紅葉も冷気を浴びたような震えが止まらなかった。
「………そんなこと、警察も承知しているでしょう」
オスカーの妻エマが喋った。
「仮に、彼らと町長に何か因縁があったとしても……州警察が既に調査しているはずです!」
オスカーの代わりに果敢に相手をしている。
「新聞記者のあなたが、事件を究明する必要なんてないわ…!」
怒気を含むエマの圧力に対し、アーサーは次の言葉で、軽く一笑に付してしまった。
「ハハハ。僕は事件の解決ではなく、『事実を調査』しているだけですよ。奥さん」
それは新聞室長のモイラが言っていたことだ。アーサーは昨日その言葉を鼻で笑ったくせに。
「事実の調査も、大事な記者の仕事なんでね」
エメラルドの瞳で、ウインクしてる様子が目に浮かぶ。やはりコイツは信用ならない。紅葉の怒りが再燃してきた。
「まあ、お怒りのようですから最後にひとつだけ。あの甲冑の戦斧で、町長の尻尾は切れますか?」
「……金鰐族の尻尾は強靭だ。それこそ……付け根など。固い机にでも載せて、何度も叩き切らないと無理だろう」
「切れる、という事ですね」
「あくまで甲冑の斧を取り外したら……だ」
「では、階段脇に置かれた甲冑の戦斧に、ぶつかって尻尾が切れる可能性は?」
「ぶつか…?……ないとはいえないが、甲冑の方もタダでは済まない……確実に変形しているはずだ…………」
それを聞いて、紅葉はスクッと立ち、足音を立てぬように素早く裏口へと向かった。
そのまま鍵を開け、疾風のように鍛冶屋を後にした。
心臓がバクバクする。
すぐには呑み込めないほど、大きな情報を得た。
町長は呪文で窓から姿を消したのではないのか。
レストラン『ボティッチェリ』。
そこに事件の手がかりがある。




