2 マルセルちゃん
紅葉は、市場の屋台から鶏肉とネギの串焼き、鯖の缶詰、ライムサイダーを買い、マドカと部下の人がいる席についた。
「見てええ、この子もみじチュアあん! 前にゆったでしょお、下宿の子よ! 太鼓隊してんの!」
「……はじめまして」
紅葉は、部下らしき人物に向けて頭を下げた。酔っ払いはビール瓶を振り回し、お互いを紹介させる。
「んでこの子はー、はいっ! マルセルちゃあん!」
「こ、こんにちは」
ゲッソリと頬のこけたマルセルが、ぺこん、と小さく顔を下げた。彼は青年……というより少年に近い。あどけなさが残る風貌をしていた。
「マルセル・サマーヘイズと申します」
「カレはねー同じ警備の子なのお、趣味はぁ〜ジョギングらって、仲良くしてね!」
マドカは自己紹介者の何倍も大きな声で叫んで、机を叩いた。
「ええと……マルセルさんも夜勤なんですか?」
「いえ。僕は夜行性じゃないんで……砂犬族です」
細い体躯で、毛艶もあまり良くない彼は、砂漠で何時間も突っ立っていたかのような、貧相な姿をしていた。
「そうなんだ……」
紅葉は自分の民族を言おうか戸惑っていたら、
「僕は、紅葉さんのこと知っています」と、彼の方から申し出てくれた。
「学校も一緒に通ってました。学年は僕が3つ下です。……紅葉さんはすぐ卒業しちゃいましたけど」
「わっ、そうなんだ!……ごめん、覚えてなくて、ごめんね」
「いえ、直接お話したことは無かったので……」
紅葉は、本当の年齢は不明だが、便宜上ショーンと同い年として学校へ通っていた。12歳の途中から入学し14歳で卒業した。事件のことは学校中の生徒が知っていて、終始、遠巻きに見られ……結局、学校で親しい友人はできなかった。
「へぇー、しょっか。ふたりは同じ時期に学校行ってたんだー」
御年28歳のマドカは6本目のレモンビールをグビッと飲んだ。
「紅葉さんが入学した時は、てっきり僕ら下級生と一緒に、授業受けると思ってました。そしたら普通に上級生の授業受けてて……ビックリでした」
「えっ、そう見えてたの……?」
下級生から見た自分の知らぬ過去を伝えられ、紅葉は顔が赤くなった。
「……すみません。記憶を失ってるって両親から聞いていたので」
「ううん、気にしないで。あ、そうそう私、学校から事前に教科書もらって、入院中にちょっとは勉強してたの!」
「そうでしたか……」
うなだれて、ますます可哀想な顔になるマルセルに、紅葉は慌ててフォローした。
紅葉は……自分に関する記憶はなかったけれど、教科書の内容は既にそこそこ知っていた。そのため勉強に関しては、そこまで労なく授業を受けられた。
「まあ、成績は良くなかったんだけどね、アハハ。太鼓ばっかやってたし」
「紅葉さんは今、太鼓隊なんですよね。ラタ・タッタの……凄いですよ」
中途入学で友人もできず、太鼓の練習に夢中になっていたこともあり、学校での良い思い出はあまりない。まさか、今になって学生時代の話をするとは思わなかった。
「……列車事故のこと、ずっと心配してたんです。当時は話しかけられなかったけど」
「そ、そうなんだ。ありがとう…!」
話したこともなかったのに、自分を心配してくれた人がいた。
町長事件の真っ最中にこんな感動と出会えるなんて。
ずっと暗澹たる思いで過ごしていた紅葉の周囲が、急に光が射して明るくなった気がした。
「マルセル君これからよろしくねっ。ラタ・タッタにも、いつでも遊びにきてね。食事もいっぱい奢るから!」
「ハイ、ありがとうございます」
「ちょっとお! もうこの子何度か連れてってるし、アタシらってちゃんと奢ってるあよ!!」
バンバンバンと酔っぱらいが机を叩く。紹介したのは彼女本人なのに、ふたりが仲良くなればなるほど、マドカは不機嫌になっていった。
「マドカ先輩の連れてく店って、いつも『メロウムーン』じゃないですか……」
マルセルが呆れて呟いた。
──安居酒屋『メロウムーン』。
あの人の行きつけの店だ。
紅葉は火が点いたように飛び上がった。
「ねえ、新聞記者のアーサー・フェルジナンドって知ってる⁉︎ 私その人を探してるの!」
勢いよく叫んだ紅葉は、市場のテーブルをバンと叩き、鯖缶から汁が飛び散った。
「……アーサー? 知ってるわよォ〜もちろん。飲み仲間だもの」
「どこにいるか知ってる? 彼に会いたいの」
「会いたいぃ〜? やめときなさい。アイツめちゃくちゃエッチ下手なんだから」
水曜で人混みもまばらな市場内。太陽が燦々と照らされる真っ昼間でも、夜行性民族にとってはテッペン回る時間だった。
「あ〜の仕事デキます! な感じでエッチ下手って、サギよねサギ! あっサギじゃなくてキツネだったかあ〜〜ガッハッハ!!」
「…………」
「………………」
紅葉も、向かいのマルセルと同じくらいゲッソリやつれ、一気に頬がこけた気がした。
「そういう目的じゃなくて……そう、ショーンが探してるの。アルバとして、あの人に聞きたいことがあるって」
説明も面倒だったので、ショーンに全責任をなすりつけた。
「ん〜なこと言われても居場所なんて知らないわよお、新聞社で待つしかないんじゃない? 今日中に帰ってくるかは分かんないけど〜」
「だよね……」
新聞室長の口ぶりからは、1週間急に帰って来なくなっても不思議じゃない。
「自宅は貧民街の『ジュード』ってボロアパートの203号室よ。んで、その下がカレのバアちゃんち。ま、ほとんどいないし、自宅もいつ帰ってくるかは知らないけどねぇー」
「うわ、まって、待って。メモするから!」
こっちもまさかの大収穫だ。結構な情報を得ることができた。
「アーサーさん、いつもその辺で寝てますもんね」
幸の薄そうな顔のマルセルが、コップの底のレモンの切れ端を、ストローでくるくる回している。
「てゆーか、ショーンなら自分で探せば良いじゃない。なんかそういうベンリな呪文とかあるんでしょお〜? 知らないけど」
「ショーンは……忙しいから」
紅葉は彼を言い訳に使ったのを誤魔化し……と同時に、何か……心に小さく引っかかるものがあった。なんだろう。
「そおだそーだ、マルセルちゃん。イヌの嗅覚で探せな〜い?」
「えっ」
——嗅覚で?
「んー、やってみます」
マルセルは、事も無げに頷いた。
紅葉にとって、事件を解くための希望の光は、もしやアーサーでなくマルセルなのか?