4 フライパンを相棒に
3月9日、水曜日。時刻は朝。
疲れが全く取れてないショーンは、ひどい状態でキッチンに降りた。
紅葉は既にしっかり着替えてて、静かにお茶を飲んでいた。深緑のタイカラーブラウスに、ベージュの刺繍入り革ベスト。チェック柄の灰色のショートパンツと、昨日よりちょっといい服を着て、髪にはしっかり芙蓉の角花飾りをつけている。
彼女はなぜか財布の金を数えており、寝起きのショーンを見て、ティーポットからお茶を注いだ。
「ショーン。私、これから新聞社に行ってくるよ」
「……ああ」
「ほかに、何かすることある?」
紅葉の瞳が、じっとショーンを見つめる。
「『する』って………何を?」
ショーンがお茶をすすりながら紅葉に聴いた。寝ぼけた頭で飲むお茶は、何の味も感じない。
「だから事件を解決するのに。ほら、ショーンは動けないでしょ?」
息巻く紅葉は、強く拳を握っていたが──怪訝なツラをしたままのショーンを見て、徐々に顔を曇らせた。
「……別に何もしなくていいよ」
「…………えっ……なんで?」
変な、重い空気が、静かなキッチンに充満する。ショーンはなぜ、彼女がこんなに事件に突っ込んでくるのか、初めはピンときてなかったが……
(……そういえば、紅葉は、新聞社に自分の意志で行ったんだっけ……)
ショーンと違い要請ではなく、自ら、情報を掴もうとしてる事に思い至った。
「じゃあ、新聞社行った後は……すぐ僕のとこに来て教えてくれ。たぶん僕は一日中役場にいるから。それ聞いて、今後どうするか考えよう」
「……うん」
「あんま危険なことするなよ」
「大丈夫だよ」
紅葉は、古いフライパンを、キッチンの戸棚の奥から取り出した。
「これでよし!」
「それで何する気だ」
「用心棒だよっ。じゃあ行ってくるね!」
フライパンと財布を手に元気よく紅葉が去っていき、ショーンはひとり取り残された。ミソサザイが遠くで鳴いている。だんだん目が覚めてきて、じんわりとお茶の味が判ってきた。
なんで紅葉はあんなに必死なんだろう。窓の外には、一昨日と何一つ変わらない、のどかなサウザスの風景が広がっているのに。ショーンは宙に浮かんだ疑問をボンヤリと考える。
(────だって、彼女も事件の当事者じゃないか)
その事実にようやく思い至り、ぞわぞわとした恐怖が尻尾の付け根に広がった。ひとりで行かせてしまった事をようやく後悔し始めたけど、警察でも名探偵でも帝国調査隊ですらない、ただのアルバのショーンには、何をどうすればいいのか分からなかった。
「アーサーは出かけています。どこへ行ったかは知らないわ」
バチャンと処刑のような金属音を立てて、モイラが答えた。
サウザス出版社2階の新聞室。室長のモイラは、紅葉に一瞥もくれず、黙々と手元のタイプライターを動かしていた。
「………その、心当たりとかは」
「彼はね、Sleuthとしては優秀かもしれないけど、Journalistとしてはイマイチね」
Sleuthってなんだろう。そう疑問に思ったけれど、眼鏡を鋭く光らせバチャバチャとキーを叩き続けるモイラの勢いに気圧され、何も聴けなかった。
「その右に積み上がってる一番上の記事を見て。赤でチェックしてあるから」
「これですか?」
コリン駅長の特集記事だった。定年の引退記念に、彼の生い立ちとインタビューが複数行に渡って組まれており、日付は2週間前となっている。
「そこに、あなたの事件のことも書いてあるわ」
「………っ!」
新聞の1段を丸々使い、確かに10年前の事件のことが書かれていた。少女が吊るされてるのを見て列車を急いで止めたことや、ショーンの両親が治療していたこと、動向を見守っていたことなどが書かれている。
「私はね、それがこの事件の、引き金になったんじゃないかと思っているのよ」
バチン、とタイプライターのキャリッジを動かし、文章が改行された。
「モイラさん、これ持って行っていいですか?」
「1ドミーよ」
バチン! とまたタイプが大きく鳴った。紅葉は財布から小銭を置いて、急いで新聞室を出て行った。
「……ああ、もう来てくれたのか。後でもいいのに」
出版社社長のジョゼフは、1階の社長室のデスクで、目をショボショボさせて突っ伏していた。
「ええと、代金は203ドミー。グレスでもいいよ」
「ニヒャクサン……」
泣きながら2グレスと3ドミーを彼に渡した。
「何か情報持ってきてくれたら買うからね」
ジョゼフはニコニコと終始笑顔でホッとしたが、肝心のアーサーがいないのでは非常に困る。
「アーサーの居場所? サァねえ、あの子は神出鬼没だから」
「……そこをなんとか!」
「うーん、行きつけのお店なら知ってるよ。メロウムーンって居酒屋さ」
「『メロウムーン』……東区ですか?」
「そうそう。青空床屋の裏手に、黄色い屋根のお店があるだろう、あそこだよ。昼間は喫茶店で、夜は居酒屋をやっている。店主は青羆熊族のおじさんで、安くて旨くて評判の……ああでも今日は水曜日か。お休みだねえ」
──そうだった。
紅葉は肩をガックリ落として出版社を後にした。
得たものは、すっかり軽くなった財布と、2週間前の新聞記事と、アーサー行きつけの店名だけ。
さて、これからどこへ行こうか。