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5 10年前の光

 何度も、色の洪水が襲ってきた。

 丸い色の塊が、ふわふわと網膜の裏を流れ、

 チカチカと光が点滅し、水がゴウゴウと流れる音がした。

 うっすらと「本物の」光が頰に当たる。

 本物の光は、熱量がある。

 当たると、ちゃんと痛みを感じる。

 目を開けると、見慣れた黒い樫の木の天井だ。

 木目の数まで覚えてしまった。


 奥で、コツコツと誰かが叩く音がした。

「もみじ、起きてるか?」

「…………ぉ」

「しょーん、覚えた? ショーン」

「…ん……」

 彼の名前はショーンくん。

 たぶん自分と同じくらいの歳だって。

 小さな、白い、羊のツノがかわいい。

 私が声を出せるようになったら、もっと仲良くしてくれるかな。



 ショーンくんは、大きな魔法の本をそばに置いた。

 彼はここへ来ると、わたしの手に魔法をかけてくれる。

 爪をなおすんだって。

 わたしの爪は全部黒ずんでしまったから、新しく爪を生やす呪文をかけてくれている。

 魔法つかいになりたいから、子どものうちにたくさん練習するんだって。

 いつも頰がまっかになるまで、呪文をかけようとしてくれる。

 じっと集中して、かっこよく言葉を叫ぶけど、だいたい失敗してしまう。

 失敗しても何も起きないけど、成功するとくすぐったくなる。

 今日は、右手のくすり指だ。

 これで4本目。

 指はあと16本ある。

 うまくいかないときは、あきらめて、学校のことを聞かせてくれる。


「今日、計算のテストがあってさあ、」

 学校って何となく知ってるけど、じぶんが行ってたか覚えていない。

「それで、リュカが言ってたんだけどな」

 ベッドに肘をついて、楽しそうに、わたしの近くでしゃべってくれる。

 ショーンくんの、茶色くてながい尻尾が、笑うたびにゆらゆら揺れる。

「ユビキタス先生が教えてくれて──」

 尻尾もかわいい。

 いいな、あんなに長いしっぽがあって。

「──あぁっ、まずい、しゃべりすぎた! ちゃんとやんなきゃ」


挿絵(By みてみん)


 呪文が成功するのは嬉しいけど、

 うまくいかないで欲しいなって、いつも思ってしまう。

 終わらないで、また、ここに来て欲しい。

 ぜんぶうまくいってしまったら、いったいどうなるんだろう。


 ぜんぶのゆびが治っても、一緒に遊んでくれるかな。






「……どういうことなの?」

 モイラは、引きちぎられた洗面台を見て、呆然としていた。

 排水溝のパイプがひしゃげ、水がぽたぽた垂れていた。台を支える立派なボルトは、4箇所とも無残に引きちぎられて歪んでいる。

「すみません、弁償します」

 紅葉は、洗面台の残骸を右腕でブラブラ下げて、豪雨で家が流されたドブネズミのような貌をしていた。

「まぁまぁ……従兄弟のロビンのとこに行ってくるよ。夜にやってるんだ、すぐに対応してくれる」

 ジョゼフが逃げるように、工具店へ行ってしまった。

 アーサーは顎を抑えて、探るように紅葉を見つめている。


「すみません、私、もう帰ります……」

「待ってくれ」

「アーサー、もう遅いんだから帰らせたら」

 モイラ・ロングコートは静かに怒っている。

「……いや、フーム」

「明日、またご協力します……」

 時刻は夜の10時半。太鼓隊の最後の演奏が終わる時刻と一緒だ。

 普段はあっという間に楽しい時間が過ぎてゆくのに、重い時間というのは、ものすごくユックリ経過する気がする。

「もう帰りなさい。……そうした方がいいわ」

 アーサーは聴きたいことたくさんあるようだったけれども、新聞室長の一声で、紅葉は帰宅することになった。(壊れた洗面台はその場へ置いてきた)



《トン……タ、タ、タンタン…………》

 深夜のサウザス地区。

 遠くの太鼓の音もそろそろ鳴り止み、ほのかな静けさに包まれている。

 市場では昼の喧騒が撤退し、夜行性の人々が静かにオレンジを売っていた。

 紅葉は酒場にまっすぐ帰ろうとしたものの、なんとなく踵を返し、役場の様子を見に行ってみた。


 夜のサウザス役場に着いた。新聞社からは歩いてすぐだ。

 建物の明かりは最低限に落とされている。関係者らしき人たちが、何カ所かまとまりヒソヒソ話をしていた。記者っぽい人物や野次馬もいる。物売りが食べ物を売りつけにやってきては、シッシッと警官に追い払われていた。

 知り合いがいないかどうか……見回ってみたけれど、いないようだ。

 役場の前の掲示板には、町長事件について、情報提供の募集張り紙がベタベタ貼ってある。乏しい灯りの下で、何か新情報がないかボンヤリ読んでいると、役場の玄関口がガチャリと開き、ガヤガヤと何人か出てきた。

 白いヴェールのような、たっぷりとした布が夜の街に翻る。

 翻る布の間から、長くて細い猿の尻尾がちょろりと見えた。


「…………紅葉?」

 サウザス地区で唯一のアルバ、羊猿族のショーン・ターナーが、きょとんとした顔で紅葉を見つめていた。

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