3 スケッチブックに書かれた名前
彼は角の取れてヨレヨレになった古いスケッチブックを取り出し、濃い鉛筆でシャッシャッと文字を書き込んだ。
「この事件は3つある」
紅葉 (全身)吊り下げ事件
町長 失踪事件
町長 (尻尾)吊り下げ事件
「問題は、犯人が全員同じか、それとも別かだ」
トントンと、鉛筆の頂点についた消しゴムで紙を叩いた。
「事件にはそれぞれに共通点がある」
彼は『吊り下げ』というワードと、『町長』というワードを丸で囲った。
「……私は、町長事件が単独犯とは思えないのよね」
モイラが険しい顔をして見解を語った。
「彼は元銀行員で、軍人並みの訓練を積んでるのよ。警護官もついてるし……たとえ犯行が一人だったとしても、協力者がいておかしくないわ」
ルドモンドの銀行員は屈強な戦士だ。元銀行の頭取であるオーガスタス・リッチモンドも例外ではない。
「なるほどね、他に何か共通点はあるかい?」
アーサーが周りに意見を求めた。
「共通点といってもねえ」
「ふーむ」
モイラとジョゼフが首をひねる。
古くより金融関係で財を成し、サウザス勃興期から活躍するリッチモンド家の現当主・オーガスタス。そして、住民簿にも名前がない民族不明の少女・紅葉。
彼らに共通項などあるだろうか。
「…………しっそう」
ふと思いついてしまった紅葉が、震える声で、テーブルの端に転がる、短いペンで書き加えた。
紅葉 失踪事件
紅葉 (全身)吊り下げ事件
町長 失踪事件
町長 (尻尾)吊り下げ事件
「たぶん………私の失踪自体は、あったんじゃないかと」
「……ああ、なるほど!」
ジョゼフが唸った。赤いチョッキと白い羽毛がふるふる震える。
「でも関係ないかも……」
「いや、その視点は重要だよ」
アーサーは褒めてくれたが、紅葉はぎゅっとペンを握った。
紅葉は、実は、昔から……自分の家族が娘を捨てようと吊り下げたのかも……と疑っている。そうしたら失踪ではなく……遺棄事件になる。
「考えることが増えたわね」
モイラは冷静に分析中のようだ。
「僕が考えているのはね、こういう共通点だ」
アーサーが、鉛筆でシュッと書き加える。
【 明確な殺意がない 】
「これだ」
コンと、鉛筆の芯で叩いた。彼は片目でちらりと、何か言いづらいものを見るかのように紅葉を見る。
「私は、大丈夫です」
「…………ありがとう」
では、と、彼は紙の前に向き直った。
「この事件は、どちらも『明確な殺意』がない」
アーサーは、広げられたスケッチブックの上に、大きな両手を広げた。
「本気で殺すつもりなら当に殺せるし、そうした方が楽だ」
モイラとジョゼフは何か言いたそうにしていたが、黙っていた。
「もし自分で手を下したくないなら、線路上に転がしとくなり、もっと確実で楽な方法がある」
紅葉が、固い顔で、コクリと頷いた。
「なんらかの見せしめ、誇示………あるいは性癖……とかかしらね」
モイラの眉はこれ以上ないほど吊り上がり、ジョゼフの鼻がヒクヒク動いた。
「だが、亡くなっても……その、構わないから吊るしているんだろう。尻尾の場合は二度と繋げなくなるとか」
「そう……亡くなっても構わない」
アーサーが鉛筆を強く握る。
「──だが現実は助かった!」
彼がサラサラと事件の横に書き加えたワードに、紅葉は驚愕で目を見開いた。
紅葉 失踪事件
紅葉 (全身)吊り下げ事件 ターナー夫妻
町長 失踪事件
町長 (尻尾)吊り下げ事件 ショーン・ターナー
「僕はこう考えている!」
紅葉は、背中の奥からムクムクと蠕動する吐き気をもよおし、テーブルの上に突っ伏した。長年慣れ親しんだその綴りは、事件の隣に書かれた途端、歪んで邪悪に染まって見えた。