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3 無欲も欲望も、人の生き様

「こちらはキアーヌシュの秘書キューイ・キューカンバー様のカルテ、こちらが都市長の秘書オーレリアン・エップボーン様のカルテ、これがノア警察にお勤めのヴェルス・ビネージュ様のカルテ、そしてこれが花火のカルテになりますわ。この4名が怪しいんですの?」

「いえ、ひとまずは僕が関わった人をお願いしただけです。他に誰か関係してそうな人をご存知ですか、タバサオーナー」

「いえまさか、お客さまを疑うなんて! ああでもキンバリー社の社員なら過去に何名か来店してましたわね。ナツコ、持ってきてちょうだい」

 秘書ナツコは、シャッシャと小走りにカルテ室へと駆けていった。4階の社長遊戯室から1階のカルテ室まで、すでに2往復していた彼女は、フゥーファーと大量の汗をかいている。



(キューカンバー、最初はこのサロンに入店したのは12年前、そこから年に数回くる程度だったのに。大富豪の秘書になってからは毎週来店するようになってる。今から8年前か……)

「キューイくんは、わたくしも懇意にしているお客様ですのよ。もとは高級ブティック『イヴェルモ』で働いていたのです。5区の街道沿いのお店ですわ。ああでも不幸なことに、高級な服屋の店員は、高級な服を買えるほどの給料はありませんの。転職は英断でしたわね」

「もとは服屋の店員さんだったんですね。どうやってキンバリー社の大株主の秘書に……?」

「さあ。わたくしも、事情を存じてるわけではないのですが、もともとあの方に専門の秘書はいなかったのですわ。塔の『守り人』として来たばかりの頃は、多くの業者が直接塔に来訪していましたのよ。わたくしどもも2度ほど美容品を贈りに参りましたもの。キンバリー社の社員たちが入れ替わり立ち替わり面倒をみていたようなのですが、ある日キューイくんが秘書に就任し、そこから全ての物事が秘書を介して行われるようになったのです」

 タバサが語る昔の思い出に、ショーンはかりかりと胸かけずれる音がした。


「……キアーヌシュ氏はかなりの人嫌いだと聞いていますが………昔は違ったんですか?」

「わたくしがお会いした時もそわそわと落ちつかない印象でしたけれども、けして拒絶のような態度ではなかったですわ。まあ疲れてしまったのでしょうねん。欲望の目にさらされると、人格は変わっていくものですし。ああそうそう若い頃、故郷では質屋を営んでいましたのよ。ソフラバー兄弟を支えられるくらいには繁盛していたとか。そこまで人嫌いでは客商売はつとまらないはずですわ」

 タバサは少々喋り疲れて、酒棚から濃いめのグリーンの瓶を取りだし、コップの縁に赤塩をつけてライムカクテルを飲み始めた。

 ショーンは床に胡座したまま、カルテを広げ、ノア都市に根づく人物模様に思いをはせた。


(キアーヌシュには元々特定の秘書はいなかった…。キューカンバーが秘書になったことで、人嫌いが形成されていった……? まさか)

「キューイ・キューカンバー……彼がもし大富豪の死を望んだら、何でもできる立場にありますよね」

「秘書が犯人ですって? まぁ立場的にはそうですわね。でも一番疑われる立場にあることもまた事実。高額な給料を捨てて殺しに関わるかしら、ねえナツコ」

 タバサは自分の秘書ナツコにたずね、ナツコはどうでしょう、ヌフフと分厚い唇と肩をすぼめた。

「ここに通っているキューカンバー氏が、1回の来店でつかう額は?」

「週に2度ここへ。400 ドミーから600ドミーといったところかしら。もちろん他に年会費もかかりますのよ」

 ショーンが愛するファンロン州の高級茶は、1ポットにつき60ドミーから80ドミーほど。そう聞くとキューイ・キューカンバーがみすみすこの生活を手放すとは思えなかった。美と金の価値より重いものはない。ショーンは深く頬杖をつき、話題を変えた。



「では、この2人はどうですか、オーレリアン秘書とビネージュ警部は」

「ああ、ビネージュ……彼女は困り者ですわね。夢を追う若者たちや、過去に数回いらしただけのお客様向けに配布した割引チケットを、どこからか毎回仕入れてくるんですの。みみっちい。警察でなければとっくに出入り禁止にしております」

「警察を優遇する理由はなんでしょう。脱税でも見逃してもらってるんです?」

 ショーンは猿の尻尾をふり、冗談めかして聞いた。

「無礼は物言いはおよしになって。美容店にはトラブルがつきものです。大金をついやして “何も変わらなかった” お客様が年に数人、ビルに火炎瓶を投げこんでくるんですの」

「そ、それって、ちゃんと表沙汰になっていますか?」

 タバサは肩をすくめ、「ビネージュ様には今後もご愛顧いただきたいものですわね」

 権力者は報道を嫌う。サウザス町長から骨身にしみた教訓だ。



「じゃあ……ええと、オーレリアンはどうです?」

 ナツコ秘書が持ってきたキンバリー社員のカルテが、目の前に20冊ほど置かれてクラクラしてきた。

「ええ。彼はイイ子ですわよ。金づかいも一番スマートですし、季節が変わるたびに当サロンに贈り物をしてくださいますの。きめ細やか。都市長の秘書を務めるだけありますわね」

「へえ……良いとこのご子息なんでしょうか」

「いいえ。オーレリアン君は6区にある歯車工場の生まれですのよ、1区の高級住宅ビルに住めるまでに至ったのは彼の努力の賜物ですわね」

 かなり評価は高いようだ。そういえばタバサに初めて話しかけられた時も、オーレリアンから事前に情報を得ていた口ぶりだった。

「頻繁に来店してるんですね」

「ええ。実のところ、最も大事なお客さまだと言っていいでしょう。彼がイルミネーションカラーを染めながら垂れながすボヤきは、ノア都市のコップの汚泥を掻きだすかのよう……」

「彼から聞いたノアの情報を——別の組織に横流してませんか、タバサさん」

 ショーンはタバサ・ジュテを疑うことも、しっかり忘れてはいなかった。花火に裏切られたかのうような口ぶりで油断させ、仲間である可能性はじゅうにぶんに残っている。

「いえまさか! お客さまの大事なおはなしを、よそへ渡すのはこの商売にて厳禁……アルバ様のような、皇帝に仕える高貴なかたには別ですが、フフフ……」

 タバサが蟻食のように長い爪でコツコツと机を叩き、笑みをこぼした。

 嗚呼、なんとなく見えてきた。このサロンには生き霊のごとく、各業界人らの欲望が集まっている。生ける人間をなるべく排してきた『時計塔』の静謐さとは真逆の存在だ。

 彼女が時計塔を排除したい気持ちも、相反するものへの感情だろうか……

 


「それで、こちらが花火のカルテですけど、どういたします? 読みますか」

 他の3人もそこそこ分厚いカルテなのに、花火はさすが会員第1号の座はダテじゃなく【星の魔術大綱】なみに重い鈍器となっていた。

「いえもう結構です。……タバサさん、花火とはいったい何者なんですか。ただの大物女優じゃないでしょう。彼女は僕の【真鍮眼鏡】を盗み、ノアの大工事にも関わっていた。正体は何なんです」

 ショーンはすでにここを去りたい気持ちが強くなっていた。感情が欲情に取り込まれそうになる。もうそとは夜の海に入りこんでいた。紅葉やロビー・マームと合流したいし、フェアニスとの約束にも間に合わせなければならない。

「花火……わたくしも正体を知りたいのです。何がしかの秘密に関わっているは確かでしょうね。犯罪組織の一味か、政府のスパイか……あるいはその両方なのかも」

 もうちょっと具体的に教えてくれないか。ショーンはそういう目を浮かべた。

「そうだ、彼女は今まで5回の結婚と離婚をくりかえしていますが、同胞である雪虎族だったのは最初の2人目までで、あとは別の民族でしたのよ。ちょっと珍しいでしょう」

 異種民族では結婚はできても、子供は生まれない。3人目から子供を諦めてしまったのか。あるいはただの金目当てか……

「全員なんらかの実業家ですわ。いえ2番目は元俳優だったかしら。とにかく3人目以降は、世間に名を公表することなく結婚しましたの。なので一部の友人たちにしか知られてません。3人目は帝都の陸運業の会長。4人目はオックス州の製造会社の社長、そして最後に結婚したのは我々ノア都市民にもゆかりのある人物……」

 タバサはカクテルでゆっくりと舌で湿らせ、その名を告げた。


「ギャリバーの発明家、ソフラバー三兄弟のひとりであり、キンバリー社の副社長である、カーヴィン・ソフラバーですわ」

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